レッド・メモリアル Episode01 第1章


『タレス公国』《プロタゴラス市内》
128丁目
γ0080年4月4日 11:34P.M.

 雨降りしきる夜。世界の西側の政治の拠点となる都市にて―。
 その国の、政治と経済を動かす都市の中心地からは離れた、郊外の寂れた地区。その男は
やって来た。
 今日は雨が降っている。これは『タレス公国』特有の気候で、どうしても雨が多い。『タレス公
国』のしかも《プロタゴラス》に住んでいる者ならば、そんな雨などもはや慣れているはずなのだ
が、その男にとって、今日の雨はどうしても不安を拭い去れない。
 これから会う男の事、そして懐に忍ばせたある物の事を考えているから、だろう。
 男は、あるカフェにやって来た。《プロタゴラス》の郊外。夜になれば、浮浪者や、ハイになっ
ている若者がうろつくような地域だ。待ち合わせ場所のカフェだって、外見からして寂れたもの
だったし、客層は、《プロタゴラス》の高級官僚などを対象にしたものでももちろん無い。
 ここらの界隈に住む、貧しい階層が大半だろう。
 男がカフェに入って行くと、中には店主を除いて3人いた。目当ての男は背を向けていてカウ
ンター席に座っていたが、すぐに分かった。
 何も言わずにカウンター席にいき、その男とは一つ椅子を隔てた場所に座る。カフェの店主
はすぐにやって来て、注文を尋ねたので、男は飲み物を注文した。
「リー・トルーマン」
 カフェに入ってきた男は、注文のすぐ後にそう呟いた。
 一つ席の間隔を置いて座っている男。年齢で言ったらおおよそ40歳ぐらいだ。体格は決して
大柄ではない。細身と言っても良いくらいで、整ったスーツを着ている。この辺りの界隈には少
し似つかわしくない。滲み出ている雰囲気が、何よりも無機質で人間的でない。まるで、サイボ
ーグであるかのようだった。
 監視カメラのように、決して油断のないような目が、カウンター席の上に置かれているコーヒ
ーの中へと注がれている。
 リー、と呼んだ男に話しかけた男は、話を続けた。
「あんたが欲しがっている情報は、手に入れたぜ。だが、そもそもこれをあんたらに渡す事で、
俺は国に恨まれる。裏切ったと思われる」
 そういって、男はリーに、向けて小さな、指ほどのサイズのメモリースティックを、カウンター席
を滑らせるかのようにして渡した。
「そもそも、あんた達のような連中と取引したなんて事がばれたら、俺は…」
 男はいいかけたが、リーはただ一言だけ口を開く。
「ヴォーイ、これを渡したんだったら、さっさと出て行った方が身のためだ」
 と、心の底から響くような声で言い放った。
 ヴォーイと言われた男は、結局、運ばれてきた飲み物に手をつける事もできずに、カフェを出
て行くしかなかった。
 彼はずっと、周囲の様子を伺うかのようにして行動していた。
 一方、リーという男は、一度もその男とは目線を合わせる事をしなかった。



 ヴォーイは、カフェを出て、128丁目の通りへと出ていた。この時間は車の交通量も少ない。
彼は職業柄、自分の車を使う事を避けていた。リーのような相手と取引するときは、特に尾行
や追跡装置などに注意をしなくてはならない。
 今回も取引こそ終えたが、まだ油断をすることはできなかった。肝心なのは、この取引自体
が、無かったことになるかどうかにある。
 ヴォーイは、開けた通りまでやってくると、道路の中に埋め込まれた軌道の上を自動的に走
っていく、全自動のバスに乗ろうとした。停留所で専用のパスを読取装置にかざせば、次に来
るバスが自動的に停止するシステムになっている。
 ヴォーイのパスは、自分の身分を偽って作られている。彼がどこのバス停でどこまで行こうと
も、それが外部にバレるような心配は無かった。
 ただ、それは一部の者達を除いての話だったが。
 ヴォーイの目の前にバスがやって来た。夜も深夜だったから、バスの運行本数は少なく、乗
客も少ない。ヴォーイにとってはちょうど良いが、用心に越した事は無かった。
 彼を乗せると、バスは、深夜の《プロタゴラス》市内を走り出した。
 バスに乗って3分もしないうちに、ヴォーイは異変に気付く。数名の乗客達に混じって、フード
を被った、背の高い男がヴォーイよりも前の席に座っていた。
 路面を走るバスの、わずかな振動に合わせ、その男の体が揺れている。
 ヴォーイは、フードを被ったその男が怪しいと直感した。顔が伺えず、まるで背中側でもヴォ
ーイ自身を見張っているかのように見える。
 その男が、少しでも怪しいからには、一つバスを遅らせるしかない。用心に越したことは無い
のだ。例え、前に座っている男が、ヴォーイにとって敵でも障害でもない、ただの一般市民の男
であったとしても。
 降車スイッチをヴォーイが、誰の注意も引かずに押そうとしたときだった。前に座っているフ
ードを被った男が突然振り返り、降車スイッチを押そうとしたヴォーイの腕を掴んできたのだ。
「き、貴様は!」
 ヴォーイは思わず叫んだ。彼の口から漏れだしたのは、この『タレス公国』の言葉ではない、
別の国の言語。『ジュール連邦』の言葉だった。
 次の瞬間、ヴォーイは自分の腕が、一気に焼けていくのを感じた。とはいっても、それは一瞬
でしかなかった。
 腕を掴んできた男の手が光りだし、やがてそれが、男自身の全身へと広がっていく。
 あっという間だった。ほんの1秒もしない内に、《プロタゴラス市内》を走っているバスは、大爆
発を起こした。
 内部から破裂するかのように炎が溢れ出し、その炎は深夜の街を一気に照らし上げた。バ
スは一瞬にして屋根が吹き飛び、車体の上半分が粉々に吹き飛んでいた。バスは爆発をして
も急停車をせずに、数十メートルは進んだ。黒焦げになった車体が濛々と炎を吐き出しなが
ら、夜の道路を数十メートルも進んでいく。
 それは、乗客たちも、自分が爆発に巻き込まれた、という事さえ理解できないほどに一瞬にし
て起こった出来事だった。



 その情報は、爆発の直後、《プロタゴラス》の市街地から50km離れた、《プロタゴラス空軍基
地》へと伝えられ、
 『タレス公国軍』はこの事件を、テロ攻撃として処理した。
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