|
レッド・メモリアル Episode02 第1章
『ジュール連邦』《ボルベルブイリ》
チャコフ港
γ0057年4月6日 11:13P.M.
東側の世界、『ジュール連邦』の首都である《ボルベルブイリ》の港は、先進国とされる西側
の国の港に比べれば、信じられないほどに寂れていた。
船舶など1時間に1度、港にやって来るか、出て行くかを見る事ができれば良いほうだし、港
の積荷も、運び出されることなく、港で腐ってしまうようなものさえある。
『ジュール連邦』は確かに東側の大国として、その権威を振るっている。しかし世界に見せてい
る姿と、国の内情は幾分も異なるものがあったのだ。
そんな《ボルベルブルグ》の港のとある埠頭で、ひそひそとした囁き声が聞えてきていた。
「分かっているな?寄り道をせずに、きちっと届けるんだぞ」
男の囁き声だった。声だけでも警戒心に溢れ、闇の中で生きているかのような話し方をす
る。それに引き換え、次に聞えてきた声は対照的なものだった。
「分かってるって、いつもそうしてるでしょ。大丈夫。私に任せとけば」
女の声。それも、女とは言ってもかなり若い女の声だった。もしかしたら、まだ子供ではない
かと思えるほど若々しい声である。
口調も楽観的で、警戒心など微塵も無いかのようである。
「ふん。じゃあ報酬は向こうで受け取れ、いつものようにな」
男は少し呆れたかのようにそう言ったが、女はあまり気にしないようだった。
「はーいはい。アルバイト頑張ります」
女は明るい声でそのように答えたが、男の方はと言うと、港の周囲を見回して、誰もそこにい
ない事をチェックして立ち去った。
だが実際の所、《ボルベルブイリ》の港には、深夜ともなれば、人一人としていない。港の管
理者もサボっているし、深夜に往来する船も無い。せいぜい、港を根城にしている浮浪者くらい だろう。
男が去って行ってしまうと、女はすぐに行動を開始しようとした。
男から貰った包み。それは手に収まるほどの小さな包みだが、これを《ボルベルブイリ》郊外
に住んでいる、ある男の所へと届けてあげれば良い。これだけで、バイクのパーツが幾つも変 えてしまうほどの報酬を貰える。
このアルバイトは、女、いや外見で言ったらまだ少女、にとって願ってもいない事だった。
バイクに跨った少女はさっそくエンジンを吹かす。赤いボディをもつバイクは、彼女の体格に
合わせて大型ではないが、小回りが利くし、スピードも改造したエンジンやボディのお陰で相当 なものが出る。
そんなバイクに乗った少女は、すらりとした体を持つ。まだ若い少女としては十分な長身だっ
た。彼女はそんな体を、ライダースジャケットの黒い光沢で包んでいる。
この『ジュール連邦』にいながらにして、そんな素材を使ったジャケットを身につける事自体、
彼女自身が相当裕福か、ギャングか何かで金を巻き上げているとしか思われないだろう。大 体《ボルベルブイリ》でも、こんなジャケットを売っている店はそう簡単に見当たらない。事実、 それは東側の国の輸入品なのだ。
少女の顔は自信に溢れていた。彼女は少し派手な外見をしている。赤く染め上げたショート
ヘアが、活動的な印象を周囲に与えつつも、とにかく目を引く。彼女の赤い髪は、暗闇の中で もはっきりと赤という色を持つことが分かる。
彼女はそんな髪をもつ自分の頭部を、ヘルメットを使って保護しようとした。しかしその時、彼
女のライダースジャケットの中の携帯電話が鳴り出した。
『ジュール連邦』でも、携帯電話のネットワークは健在だ。幾ら、東側に見せられない現状が
あるとは言っても、携帯電話はとにかく必須のものだった。しかしもちろんの事ながら、携帯電 話は持つ人間も限られている。
少女は、お気に入りの赤いボディを持つ携帯電話を取り出し、それを耳へと持っていく。
「ああ、母さんなの? どうしたの?」
少女は、自分の母親からの通話に思わずにっこりとし、そう話し出した。
「うん。大丈夫だよ。私ちゃんとやってるからさ」
電話先で自分を心配してくれる母に対し、少女は話し出す。まさか、自分がこんな配達人の
アルバイトをしている事なんて、夢にも思っていないだろうと思いつつ。
「母さんこそ体には気をつけてよ。もう若くないんだから」
そう少女は言い、その後、二言三言のやり取りをした後で通話を切った。
仕事の邪魔をされたとは思っていない。母は少女にとってかけがえのない存在なのだから。
母に心配をかけさせないように、この仕事をさっさと終わらせてしまおう。そう思った少女は、
これまた赤いヘルメットをかぶり、バイクを発進させた。
夜の高速道路は気持ちが良い。
港からすぐの所に高速道路の乗り入れ口があり、本来ならば通行料を払わなければならな
いのだが、どうせ係員は、時速100km以上のスピードで飛ばすバイクを走って追いかけては 来ないし、半分寝ぼけている。
料金所の柵もどうせずっと前に壊されてしまったのだから、と、少女はまんまと無料で高速道
路を走っていた。
かかるのは蓄電池のバイクの電気代だけ。スピードを出せるようにした分、かなりの電気代
がかかるバイクだったが、それも今回の報酬だけで十分過ぎるほどに稼げる。
夜の高速道路には何も走っていない。《ボルベルブイリ》のビル街が周囲に広がっているが、
夜まで仕事をするという人間が少ないせいもあって、ビルの照明はほとんど点っておらず、さな がら廃墟のよう。
だが少女は、まるでこの高速道路を中心とした世界が、自分のものだけであるような気がし
ていて、夜の高速道路が好きだった。
バイク配達人のアルバイトをしているのも、そのせいなのだろうと思う。
だが今晩は、そんな少女のせっかくの時間を奪う存在が現れた。
バイクの背後から、何台かの車が迫って来ていることは、バイクのサイドミラーを見ずともす
ぐに気がついた。
高速道路を伝わって来る別の振動が、そのまま少女の体にも感じられていたのだ。
サイドミラーを見ると、ライトを消した車が3台、並んで迫って来ている。夜の闇にも溶け込ん
でしまいそうなくらい、真っ黒な車だった。
前にも高速道路の管理者に、料金を払わずに高速道路に侵入した事で追い掛け回された事
もあった少女だが、今回はそんな料金所の連中の車とは違う。
大体、追いかけてきている漆黒の車のような高級車は、この『ジュール連邦』ではほとんど見
かけない。
いたとしても政府の人間とか、大企業の重役とか、そういった人々しか乗れない車なのだ。
少女は警戒してバイクを更に加速させた。元々相当なスピードを出していたのだが、少女が
アクセルをかけると、更にバイクは加速する。
ライダースジャケットや、ヘルメットが切る風が一層強くなる。流れるビル街の景色も加速し
た。
車の方も更に加速して少女を追いかける。どうやら高級車という見た目に反して、加速もかな
りのものがあるようだ。
少女はあっという間に接近して来た黒塗りの車に左右を挟まれてしまう。更に背後にも1台の
車が迫ってきて、左右と後ろを固められる形になってしまった。
このままここから逃げるためには、減速しては駄目だ。背後にいる車にぶつかり、このスピー
ドで接触したり横転したらただでは済まない。
この場を脱する方法は一つ、更に加速するしかなかった。
少女はバイクを更に加速させようとした。だが、左右を固めている車が突然接近してきて彼
女のバイクに接触しようとする。
危うく彼女はそれを交わしたが、車のボディが脚をかすっていた。接触され、危うく倒れそうに
なるが、彼女は何とかバイクの姿勢を保つ。
だが今度は反対方向の車が、少女のバイクへとぶつかって来た。
バイク自体に細かな傷が入ることは構わない。もともと誰かに見せ付けるためにバイクに乗
っているんじゃあなく、高速を疾走するためにあるのだから。でもこのまま車にぶつけられれ続 けるのは、少女にとっても嫌だった。
だから彼女は、再び車が接近してくるのを待った。
案の定、時速100km以上というスピードで疾走しながらも、車は少女のバイク目掛けて再び
ぶつかって来ようとしている。
その時がチャンスだった。
少女は再び接近して来た、高速で回転しているタイヤ目掛けて、蹴りを放った。だが、タイヤ
を直接蹴るのではない、ぎりぎりの所を掠めるようにして足を突き出すのだ。
少女の足がタイヤの直ぐ脇を通過する。その瞬間は何も起きなかったが、彼女を追い詰め
ようとしていた車は突然、何かが破裂するかのような音と共にバランスを崩し、路肩によって寄 って行ってしまう。
その車は前輪のタイヤをパンクさせられていたのだ。
その隙に少女はバイクを操って、目の前に接近して来た、インターチェンジへとぎりぎりの所
で滑り込んでいく。
あまりに急激にカーブして、バイクの姿勢も片側へと倒れこみそうになっていた。少女の膝
が、高速道路の路面を掠って、膝のところが破けてしまう。
だが少女は何とか脱していた。あの車達は何だろう。あんな怪しげな車に追跡されるような
記憶はないのに。
そう思いつつも少女は繁華街の方へとバイクを走らせる。
時速100km以上のスピードで、《ボルベルブイリ》の繁華街へと突入していく。深夜だから車
もまばらだ。
開けた通りだったが、浮浪者がうろつき、怪しげな店が立ち並ぶ。こんな時間に外をバイクで
走る少女だったが、あまりこのような所には来たくなかった。だが、あの黒塗りの車から逃げる にはこれしかなかったのだ。
だが、バイクで疾走する少女の目の前に、また新たに1台の車が現れ、その道を塞いだ。
唐突に目の前に現れた車。急停車すればぶつかってしまうだろう。だが、少女はバイクのア
クセルの側にあった、ハンドルを握っていても操作する事のできる操作板を操作し、バイクへと ある命令を出した。
バイクは、全速力のまま、道を塞いだ車の方へと突入させていく。黒塗りの車からは、なにや
ら体格の良い、サングラスをかけた黒服の男達が次々と姿を現してきていた。
バイクはその男達に向って突入させていた。だが、このまま激突させるつもりはない。少女は
バイクをぎりぎりの所で車をかわさせ、さらに自分は、時速100kmは出ているであろうバイク から飛び降りていた。
飛び降りる瞬間、男達の足元目掛けて、バイクの加速を加えた蹴りを放つ。すると2人の男
を巻き添えにして、少女の体は彼らの足を払い、転ばせていた。
高速で走るバイクから飛び降りて、しかもその加速を利用した蹴りなどを放つなど、自分自身
もただでは済まない。
だがそれは、少女がただの人間だったら、の話だ。
今転ばせた男だけではなく、黒塗りの車から更に2人の男が現れる。
「おい、さっさと捕まえろ」
「ガキ一人だ。手こずるな」
男達は口々に言って、少女へと近付いてきた。ヘルメットを被った少女の顔は相手には伺え
ない。それに少女の被ったヘルメットの内側には、様々な光学画面の表示が現れており、彼女 の顔はその表示で更に隠されていた。
迫って来る大柄な男。少女とは2倍近い体格差がある。だが彼女は男に向っていきなり跳び
膝けりを繰り出し、鋭い膝蹴りを男の顔面に見舞った。
続いて逆方向から迫って来た男へと、後ろも向かずに蹴りを繰り出し、彼の体を何メートルも
吹き飛ばす。
ライダースジャケットを纏った少女の体は、すらりとして華奢なくらいだった。しかし放たれる
蹴りは、鋭く素早い。まるで弾丸のように放たれて、男達にとっては目に見ることができないほ どのスピードを持っていた。
だが彼女が放った蹴りでも、男達が倒せたわけではなく、すぐに起き上がり、彼らは再び彼
女へと襲い掛かる。
4人の男達に囲まれ、彼女には逃げ場がなかった。しかしその時、少女の頭に被ったヘルメ
ットの中で、鋭い信号音が鳴り響いた。
そして彼女のヘルメットの中に表示が現れる。
危険 接近中と。
男達が迫って来る中、少女はただ彼らの中心に立っていた。しかし次の刹那、男達の背後か
ら、思い切りぶつかってくる何かの姿があった。
それは、少女が乗ってきたバイクだった。誰も乗せていない無人のバイクが、男達の背後か
ら飛び込んできていたのだ。
背中からバイクにぶつかられた男は吹き飛ばされた。時速80kmは出ているバイクに背後
からぶつかられたのだ。
しかし少女は予期していたかのように、自分のバイクへと、空中に飛び上がりながら、ハンド
ルに手を付き、逆立ちをする姿勢を一旦とってから軽やかに飛び移っていた。
全てはリモートコントロールによって、自分のいる位置にバイクが戻ってくるよう、少女は操作
していたのだ。
少女は男達の内の一人の体で、まるで踏み台にするかのように、バイクを飛び込ませ、高ら
かにジャンプをした。一台のバイクが、黒塗りの高級車の屋根を飛び越え、バリケードのように 行く手を塞いでいた車を飛び越えてしまう。
反対側へと降り立ったバイクは、着地の衝撃を上手く吸収し、更なる加速をしていった。
少女を乗せた一台のバイクは、《ボルベルブイリ》の街並みへと消え去っていく。
|