レッド・メモリアル Episode10 第1章



国家安全保安局 《ボルベルブイリ》
12:22 P.M.



 国家安全保安局にいるセルゲイ・ストロフは、今まさに新たな作戦を指揮しようとしていた。
 彼ら、国家安全保安局に勤める捜査官が新たな任務を行う際は、必ず上司の、そして上院
議会の承認を必要とする。
 ストロフは間違いなく、議会の承認は通ると思っていた。何しろ、これから行おうとしている任
務は、『ジュール連邦』と、東側の国々、『WNUA』との戦争になるか否かと言う重大性を秘め
ている。
 そのためには、『チェルノ財団』へと捜査のメスを入れる事が何よりも重要だ。ストロフはすで
に『チェルノ財団』の情報を片っ端から集め、更には東側諸国の情報提供者も協力させ、『タレ
ス公国』での軍の捜査の情報も集めていた。
 『ジュール連邦』内の慈善団体であるはずの『チェルノ財団』が、『WNUA』側にいる『グリー
ン・カバー』と手を組み、『タレス公国』を初めとする国々でテロ事件を起こしたのは明白だっ
た。帳簿にずらりと並ぶ膨大な金額の数字がそれを物語っている。
 だが『チェルノ財団』と、『ジュール連邦』のテロ事件への関与が少しでも疑われるような事が
あれば、『WNUA』は戦争を仕掛けてくるだろう。
 静かな戦争と言われて来た“静戦”は、軍事行為により途端に世界戦争に変わる。本物の戦
争の幕開けになる事ははっきりと分かっていた。
 だからストロフはさっさと、『チェルノ財団』を、あくまで『ジュール連邦』が摘発し、テロ事件の
関与を認めさせる事によって、事を抑えたかった。
 国家安全保安局は、国の安全を保障するためにいる。その捜査官としては当然の義務だっ
たのだ。この保安局に勤めている皆が望んでいる事だ。
 だが、
「どういう事ですか?作戦の許可が下りないって!」
 安全保安局の副局長のオフィスにストロフの声が響き渡った。彼が提出した作戦実行の書
類を前にして、副局長は作戦実行を渋っていた。
「ヤコフ上院議員からの命令だ。『チェルノ財団』に対しての軍事的な干渉は認められない」
 と、副局長はきっぱりと言ってのけた。
「そんな事を言っている場合じゃない事は、あなたも分かっているでしょう?」
 ストロフが声を荒立てて言った。何しろ今起こっている事は、国際的な問題に発展しているの
だ。
 議員の命令など実際は無視したっていい。だが副局長はさらに言って来た
「『チェルノ財団』がこの国にどれだけ影響力を持っているかは知っているな?」
 そんな事は、ストロフは百も承知だった。『チェルノ財団』の名前は捜査を始めてからはもちろ
んのこと、それ以前からストロフも心得ている。名前を知らない者など、政府機関にはまずいな
いだろう。
「ええ、国内最大の慈善団体だ。我々政府の開発計画にも積極的な参加をしている。もし摘発
をするとなると、これは大きな問題になるのは間違いないでしょう」
 呆れたような口調でストロフは言うが、
「ああ、そして今まで軍事的な介入は一切してこなかった。あくまで慈善団体だからな。影響力
は大きいが、軍事的力など本来は皆無なんだよ」
 その副局長の言葉に、ストロフは覆いかぶせるようにして反論する。
「だから、国外の『グリーン・カバー』と結託したんでしょう?目的は何も分からない。だが、実際
に国外で事を起こしているのは明白です。
 私は、この『チェルノ財団』の創設者にして現在の団体代表である、ベロボグ・チェルノに全て
の話を聞くつもりです」
 と、ストロフはファイルを副局長のデスクに差し出すなり言い放った。開かれたファイルには、
大きな写真に一人の男が映っている。
 スキンヘッドの長身の男で、細長い、そして威厳を持った顔をしている。年齢は58歳。『スザ
ム共和国』方面のいかつい顔をしている。慈善団体の代表とは言われているが、その風貌は
長身と顔つきも相まって、近寄りがたいもののはずだ。
「チェルノは今どこにいるか分かっているのか?」
 副局長が、ベロボグ・チェルノの顔写真を持ち上げてストロフに尋ねた。
「それが、奇妙なんですよ。この男は、現在は行方不明になっている。それも1年以上前から
姿をくらまし、本職である病院にも姿を現していないのだとか」
 ストロフは副局長の表情を伺う。だんだんと相手の雲行きが変わってくるのが分かった。
「病院に張り込み、決定的な証拠を掴む。というのは?」
「もうやらせていますよ。奴の病院に患者として部下を送り込みました。ですがね。私はすぐに
軍事行動に移るべきだと思いますよ」
「それは時期尚早だ。もう一度、議員に連絡を取る」
 議員に連絡を取ると言う事が、どれだけ時間がかかる事か。ストロフは良く知っていたから、
相手を皮肉るしかなかった。
「そうしている間に、『WNUA』に宣戦布告をされないようにしてくださいよ」
 もう埒が明かない。そう判断したストロフは副局長の部屋を出た。
 あそこまでごり押しができるのも、ストロフが高位の捜査官で、今までの実績も申し分ないた
めだ。確かにストロフは今まで、国家の安全のために尽くしてきて、実際に多くのテロリストを
摘発したし、非能力者でありながら、あの『能力者』達をも押さえ、管理する事が出来ていた。
 だから、ここまで言う事ができる。
 しかし、今は事が発展しすぎていたのだ。『能力者』もテロリストも超えた範囲で何かが起こっ
ている。
 それはストロフにもはっきりと分かっていた。
 だから彼には選択の余地は無かったし、いくら副局長が作戦を渋ろうとも、すべきことは決ま
っていたのだ。
 ストロフはある人物へと電話連絡を入れた。
「ああ、どうだ病院の様子は?動きがあったらすぐに知らせろ」
 と、電話を入れるストロフは、いい加減苛立っていた。日ごろは冷静に任務をこなすストロフ
は、何よりもその的確な判断力が売りだったが、戦争を前にした今ではとても落ち着いている
事ができないでいた。
(今のところ動きはありません)
 電話先から言葉が返ってくる。その言葉を聞くだけでも、ストロフは更に自分が追い詰められ
ているような気がした。



アルタイブルグ チェルノ記念病院



(いいか、どんな些細な事でも良い。『チェルノ財団』に『能力者』がいると言う事を突き止めろ。
それだけで私達は動く事ができるんだ)
 電話先の言葉を聞き、ストロフの命令でとある病院にいた捜査官は、周囲を見回した。
 病院の中では計器が誤作動をするため、電源をオフにしなければならない。と、注意される
だけでも医師達の注意を引いてしまう。
 今は計器の誤作動などと言っていられない状況ではあったが、医師達の注意を引かないた
めにも、その捜査官は周囲を見回した。
 とりあえず周辺には医師も、看護師もいない。患者さえも、普段は使われていない建物の裏
口付近には姿を見せなかった。
「今のところ動きはありません。ただ…」
(ただ、何だ?)
 まるで期待をしていないかのようなストロフの声。しかし捜査官は構わなかった。
「西側の手術室で手術が行われたようです。先ほど病院の予定に探りを入れましたが、今日、
手術の予定は入っていません。急患も来ていません」
 ストロフの部下は、この国ではごく限られた人間しか持つ事が出来ない、携帯端末に表示さ
れた、この病院の予定表を見て言った。
(そうか、怪しい動きがあるようだな。しっかりと探っておけよ。何かあったら、すぐに私の携帯
に連絡を入れるんだ)
 ストロフはそのように言い放つ。
 そして通話は彼の方から切られた。
 捜査官は、予定表には載っていない手術が行われたと言う手術室の方へと歩いていく。する
とそこからは、移動式のベッドに乗せられた患者が2人、医師達に囲まれて運ばれていく姿が
あった。
 これはもう少し探ってみるべきだぞと、捜査官は思い、行動に移るのだった。



 手術を終えた、シャーリが父と呼び、アリエルの父親でもあると言う男と、ミッシェルは手術室
のある1階から病院の3階にある個室病室へと移されていった。
 父とミッシェル、アリエル、シャーリ、そしてレーシーは、白衣姿の男達にカモフラージュされ、
他の病院内の患者や医師に怪しまれないように移動する。
 移動している時、今更ながらと言った様子で、アリエルは思った。今、この場にいる者達は、
白衣姿の男達を除いて、皆家族なのだ。
 皆、血がつながっている。アリエルの父とされる人物は、シャーリの父親でもあったし、レーシ
ーの父親でもあった。アリエルは、父親の血を介してシャーリ達と繋がっているのだ。
 もちろん、にわかには信じられない事でもある。突然、目の前のベッドに寝かされた長身の
男、まるで老木のような姿になってしまっている男が父親と言われても、すぐに信じることなどで
きない。
 だが、これが本当の現実なのだろうか。アリエルにはまだ心構えができていなかった。
 数日前に学校から飛び出して以来、あまりに目まぐるしく色々な事が起こり過ぎている。現実
を理解し、受け入れなければならないと、自分自身に言い聞かせているものの、それを上手く
する事が出来ないのだ。
 シャーリのお父様、そして、彼女によればアリエルの父親は、シャーリとレーシーと共に別室
に移っていった。一方、アリエルとミッシェルはシャーリと同じテロリストらしき二人に双方を囲ま
れ、シャーリ達とは別室に移された。
 母はベッドに寝かされ、シャーリはその横で彼女を見守る。テロリスト二人に見張られてしま
っていては、あまりに落ち着かない状況ではあったけれども、とりあえず母が生き残ってアリエ
ルにとっては一安心だった。
 そして、アリエルはシャーリ達の用事が済んだ以上、しなければならない事があった。今度、
彼女はその計画について、頭を巡らせた。



「お父様、御無事で何よりです」
 シャーリは実の父に顔を近づけ、静かに彼へと尋ねた。
 老木のようになってベッドの上に横たわる彼女の父は、まだ意識が混沌としているらしく、薄
眼をあけるだけだ。彼は頭に包帯を巻かれており、まだそこにはうっすらと血がにじんできてい
る。
 何しろ手術をしてから1時間ほどしか経っていない、無理も無いのだ。
 シャーリは、ぐっと自分の父親の手を握り締めたままだった。お父様は自分が手を握ってい
る事に、すでに気づかれているのだろうか?それに関しては分からなかったけれども、その手
を通じてはっきりと伝わってくるものは、親子同士の絆だ。
 はっきりと血が繋がり、お互いがお互いの事を想う気持ちが、手を取り合うことではっきりと
分かる。
 シャーリはお父様の手を握ったまま、まるで抱え込むようにした。
 その手や腕さえも枯れ木のようになったお父様は、まだ目を開く事は無い。本当にミッシェル
の脳の一部を移植しただけでお父様の体が完治するのだろうか?
 いや、疑ってはいけない。お父様の言う言葉は正しいのだ。お父様は必ずや完治するに違い
ないのだ。
 シャーリはお父様が目を覚ますまで、何時間でも待っているつもりだった。
 背後からレーシーが近づいてくる
「ねえ。お父様の御病気は治ったの?」
 相変わらず緊張感の欠如したような声だった。お父様は今、生と死の間をさまよっているか
もしれないのに、レーシーは何とも緊張感が無い声を出すんだろう。
 お父様の置かれている状況が分からないとでも言うのか。
「ねえ、シャーリぃ〜」
 レーシーが再度言ってくる。あまりに緊張感が抜けてしまったような声は、シャーリの癪にさえ
触ってくる
「ええ。治ったはずよ。お父様が言っていたんだから間違いないわ。あんたはあっちへ行ってい
なさい。うるさいのよ」
 苛立ったような声でシャーリは言った。レーシーは血の繋がっていない妹だが、お父様の娘
ではある。この緊張感が理解できないのか? 例え彼女が10歳ほどの年齢だったとしても、シ
ャーリにとっては許せなかった。
「何でそんな事を言うのよ!シャーリは!」
 レーシーも怒りを露わにしてきた。7歳も年下の義理の妹の癇癪など、本来なら大したことは
無い。
 だが、レーシーは違った。この娘をいざ怒らせると、とんでもない事をしでかす。彼女の『能
力』を知っている以上、この場でレーシーに怒りを解放させるわけにはいかない。
「レーシー。私が悪かったわ。いいから、落ち着きなさい」
「嫌だもん!」
 と言うと、レーシーは、シャーリの方に向けて手をかざした。それが何を意味するのかシャー
リには分かっていた。
「レーシー!」
 再度彼女の名を呼ぶ。だが、意図的に善悪の区別ができないように育てられてしまったこの
娘は、義理の姉に向けて、自分の『能力』をぶつけようとしてきている。
 だが、その時、
「レーシー! シャーリ! やめなさい!」
 ベッドの上から声が響き渡った。しわがれた声ではあったが病室の中にはっきりと響き渡り、
レーシーもシャーリもはっとする。
 それはベッドの上で横になっているお父様からの声だった。
「お…、お父様…!」
 シャーリは思わずつぶやき、お父様の横たわる姿、そして顔へと目を向ける。
「私は、大丈夫だ。止めなさい。姉妹同士で争うのは」
「お父様!」
 お父様の言葉を遮るかのようにしてレーシーが彼の体へと飛び込んでいく。彼女がお父様の
体に飛び込んでいくと、彼が横たわっているベッドは激しい音を立ててきしんだ。
 レーシーは、お父様が目覚めた事に嬉しさを隠せなかった様子だったが、今、お父様がどの
ような状況にあるのか、分かっているのか。手術を終えて間もない彼は、今、安静にしていなけ
ればならないのに。
 レーシーはそんな事など構わず、お父様の体に飛び込んでいく。彼女は子供としての体格し
かもっていなかったが、お父様は、彼女に飛びかかられたことで思わず呻いた。
「嬉しいぞ、レーシー。そこまで私の事を想ってくれるとはな…」
 お父様は苦しく、しかも、今のレーシーの飛びかかりはかなり苦痛にさえ感じたはずだ。だ
が、そんな苦しさを押し殺し、そのように呟く。
 シャーリは黙って見ていられず、レーシーのジュール人形のような服の背中をひっつかむと、
彼女の体をベッドから引き剥がした。
「お父様。大丈夫ですか?」
 シャーリはお父様の容態を気にする。もしかしたら、今の飛びかかりで骨折でもしてやいない
かとひやひやした。
 だが、お父様は手を上げて見せて言った。
「私は大丈夫だ。心配するな。シャーリよ…」
 お父様がとりあえず無事と知って、シャーリはほっと胸をなでおろした。今の飛びかかりで骨
折でもしていたらと思うと、シャーリはいても立ってもいられない。
「お父様…、大丈夫?」
 レーシーは心配して再びお父様を見上げた。しかしその前にはシャーリが立ち塞がる。
 彼女は何も言わずにただレーシーの姿を見下ろしていた。その眼には、明らかな軽蔑と、憤
怒の色があった。
 レーシーのせいで、お父様は死にかけたのかもしれないのだ。次に同じような事をレーシー
がやったら、例え義理の妹であっても容赦はしないだろう。
 それは、シャーリにははっきりと分かっていた事だった。
 そんなレーシーを見下ろすシャーリの腕を、お父様が掴んでくる。
「お父様、どうなさいました?」
 シャーリは、今度こそレーシーに先を越されまいとお父様に顔を近づけ、彼を気遣うように静
かに尋ねた。
「アリエルを…、アリエルをここに連れて来てくれ…」
 お父様が発したアリエルと言う言葉。シャーリは戸惑った。自分ではないのか? 何故、アリ
エルを呼ぶ必要があるんだ。
 あんな子を呼んでお父様は一体何をする必要があるのだろう。
 シャーリは改めて、アリエルがお父様の娘であると言う事を思い出していた。だが、自分だっ
て、お父様のかけがえの無い娘であるに違いは無いのだ。
 何故、アリエルを呼ぶんだ?


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