レッド・メモリアル Episode10 第2章



 一方、別の病室で横たわる義理の母を、ベッド脇の椅子に座って、アリエルはじっと見下ろし
ていた。
 母は、脳の一部を無理に切除されてしまったという。だから、すぐにその意識が戻ってくれる
とは思えない。
 本人の同意もなしに無理に手術をさせられたのだ。何とも酷い話だとアリエルは思った。こう
して今も母の命があるだけでもまだ良い方だ。
 今、テロリストが自分達を見張っていなければ、いつでもこの病院から母を連れて脱出してや
ると言うのに。
 力づくでも脱出してやろうか? テロリスト二人ぐらいだったら、アリエルにも倒せる自信があ
った。何しろ、自分は『能力者』なのだ。常人ではとてもかなわないほどの『能力』を有している
のだから、テロリスト二人くらいならどうにかなるはずだ。
 この病室の中はひどい有様になるだろうが、母親のベッドに突っ伏して、眠っている振りか、
泣いている振りでもして、テロリストが近づいてきた時を狙い、自分の腕から刃を引き出し倒
す。
 多分、それだけだったらできるだろう。だが、母はどうしたら良いのか。彼女はまだ頭に包帯
を巻かれ、絶対安静の状態だ。
 母を連れて脱出しなければならない。それはアリエルにとって絶対の事だった。母と一緒でな
ければ、脱出しても意味は無いのだ。
 シャーリ達も、それを知っているからこそ、部下のテロリスト二人に任せて、自分は父親の方
へと向かったのだろう。
 今はどうする事も無い。テロリストたちが手出しをして来ない。そして、母親が安静にしていな
ければならない今のうちは、ただ、機会を狙って待っている事しかできないのだ。
 アリエルがそのように思考を巡らせていると、突然、病室の扉が開かれた。
 そこに立っていたのはシャーリだった。
「ねえ、アリエル。ちょっと」
 と、アリエルに呼びかけてくるシャーリの声は、どことなく苛立っており、攻撃的だった。向こう
の部屋で彼女を苛立たせるような事でも起きていたのだろうか?
「な、何?」
 アリエルはシャーリの声に警戒心を払いながら答えた。
 シャーリは、ミッシェルの横たわるベッドのすぐ脇にいるアリエルに向かって近づいてくる。そ
して彼女のすぐそばに立つ。
「お父様が呼んでいらっしゃるのよ。すぐに来なさい」
 その口調は攻撃的で、無理矢理にでも病室から連れ出していこうという態度を持っていた。
 だが、アリエルも嫌だったわけではない。シャーリの父、さらには自分の父と名乗る自分物に
はもう一度会っておきたかった。
 そして、本当に自分の父親なのか、もう一度確かめておきたかったのだ。



 アリエルが再びその男と出会った時、彼はベッドの上で、老木のような姿となっていた。頭に
は包帯が巻かれており、それだけが手術前と後を区別する唯一の手掛かりだ。老木のような
姿の男は、明らかに死期が迫っている事が分かる。
 本当に彼は手術によって母の『力』を手に入れ、体を回復させる事なんてできるのだろうか?
「やあ、アリエル。もう一度会えてうれしく思う」
 病室に入って行くなり、男はアリエルにそのように言って来た。シャーリの妹、更には自分の
妹でもあるとか言う、レーシーと言う少女もそこに一緒にいた。
「あなたが、私のお父さんって…、本当なんですか…?」
 アリエルは恐る恐るベッドの上にいる“父”に尋ねた。
 彼は少し考える様子を見せた。言葉を選んでいるのか。どのような言葉を選べばアリエルを
刺激しないか、と言葉を選んでいるのだろうか?
 やがて、“父”は口を開いて言って来た。
「確かに私はお前の父だ。アリエルよ。と言っても、すぐに信じる事は出来ないだろうがね」
 と、男は言って来た。その通り、アリエルはまだ彼の事を父だなんて信じる事はできないし、
信じるつもりも無かった。
「もし、私の父親だと言うのならば、私を信じさせられるだけのものを見せて!」
 アリエルは再度言った。
 多分、この男は自分の父親なのだろう。それは薄々感づいていた。だが、シャーリ、つまり別
の娘を使って母を拉致し、無理矢理自分の為に手術をしようとした男なんて、とても父親だなん
て信じるわけにはいかない。
 その考えがアリエルを押しとどめていた。
「なら、お前の母親に聞くと言い。お前の母親は、私の直接の妻ではなく、義理の母親と言う事
になるのだが、彼女ならば私がお前の父親であるという事を知っている…」
 そこで、“父”と名乗る男は顔をしかめた。本当に手術をして回復しているのだろうか? 逆に
手術の後の方が悪くなっていやしないだろうか?
「信じられません!私の、義理だけれども、お母さんを無理矢理手術させた人が、私のお父さ
んだなんて言われても!」
 アリエルは言っていた。
 父親ならば、再会する事が出来て喜びを感じる事ができるのが普通だ。だが、この男からは
不気味なものしか漂ってこない。この男はあくまで男であって、父親だと思う事はとてもできな
い。
 アリエルを、決定的なものが踏みとどまらせていた。
「何故、何故なんですか?何故、そこまでしてあなたは、自分の命を?自分の為に私のお母さ
んを利用しただなんて。例えあなたが、私の本当の父親であったとしても、私はあなたを許せ
ません!」
 アリエルはまるで頼み込むかのような声でそのように言って来た。だが、“父”と名乗る男は
突然アリエルの手を握ってきた。
 老木のような腕、そしてしわがれた指は、しっかりとアリエルの手を握って来る。そんな力が
どこにあるのかと思えるほど強い力だ。
「私には目的がある。それさえなければ、私も死を受け入れていただろう。だが、この目的のた
めには、自分の『能力』を使い、病を治す必要があったのだ」
「目的とは何ですか?それと、あなたの『能力』って?」
 アリエルは動揺を隠せないままにそのように言った。目の前の男は、アリエルにとっては父親
とは思えないほど不気味に映ってしまい、彼女自身、この場所からすぐに離れてしまいたい気
分にあったのだ。
 ベッドの上に横たわった、非常に弱弱しい姿とはいえ、安心することができない。不気味な雰
囲気を醸し出している。
 アリエルにとってはそれさえ恐怖だった。
 ベッドの上にいる男は言ってくる。
「では、まずは一つずつ話そうか? 何故、君の母親を私の脳の移植に参加させたのか、だが
…」
 男はゆっくりと口を開く。彼の話す言葉の一つ一つが、アリエルの心に深く突き刺さってくる。
「それは、君の母親が、どのような病をもはねつける抗体を持っているからだよ。君の母親は
そうした『能力』を有している事が分かった。彼女の軍歴には、極秘事項だが、確かにそのよう
な『能力』を有しているとの記載があったのでね…。
 君も、君の母親には悪い事をしたと思っているが、脳の一部を移植して貰った。特に『能力』
に関する部分をね…」
 アリエルをじっと見据え、男は言ってくる。彼と視線を合わせていると恐怖が募ってきて、とて
も視線を合わせ続けることができない。
 アリエルは目をそむけて答えた。
「それは、シャーリから聞きました。私の母親の脳の『能力』に関する部分を移植したって。でも
それだけでは」
「納得いかんかね?それはそうだ。ただ『能力』を発揮する部分を移植したからと言って、その
『能力』を使いこなせるようになるわけではないのだからね。だから、そこで私が有している『能
力』が必要になってくる」
 ベッドの上の父と名乗る男の口調が強くなった。
「あなたの、『能力』って?」
 アリエルがそう言うと、男は目を見開き、彼女をはっきりと見据えて言って来た。
「私は、他人の『能力』を手に入れる『能力』を有している。どのような『能力』であっても、私は
それを手に入れる事ができるのだ。
 方法は簡単。手で相手の頭に触れるだけでよいのだ。しかし、それがある時、突然できなくな
った。私は『能力』を手に入れる事はできるが、それは私の脳に新たな部分を作ると言う事でも
あったのだ。結果、次々と他人の『能力』を手に入れていった事によって、体はそれを異常と察
知し、脳腫瘍が出来上がった。手で触れるだけで他人の『能力』を手に入れると言う事もできな
くなってしまったのだ。
 ただ、希望はあった。私は長年の研究によって、人間の脳の、どの部分で『能力』を発揮する
かと言う事を突き止めた。そして、己の肉体も研究し、私が他人の『能力』をどの部分で発揮し
ていくか、その脳の部分も解明した。
 手で触れるだけで他人の『能力』を手に入れられなくなってしまった今は、君のお母さんの力
は、脳の一部移植と言う形でしか手に入れられなくなってしまったのだ」
 男の言葉を聞き終わって、アリエルは自分の頭の中に巡る考えを整理しようとした。上手くい
かず、しばらく時間がかかってしまったが、アリエルはようやく言葉を並べる事ができた。
「それで、あなたは、私のお母さんの『力』を使って、今度は自分の体の中にある病を治してい
こうと、そういうのですか?」
「ああその通りだ。すまない事に、もう君のお母さんの『能力』ではなく、私の『能力』だがね」
 男は何の感情も篭めないかのようにそのように言って来た。
 だが、アリエルは、男が何の感情も篭めない事に、感情が高ぶって来るのを感じた。
 気が付くと彼女は椅子から立ち上がり、ベッドの上で寝ている男を見下ろして言い放ってい
た。
「それって、どういう事か分かります?あなたは私のお母さんを傷つけて、脳を奪い取ったんで
すよ!そんな事が許されると思いますか?」
 アリエルがそのように言い放っても、男はじっと彼女を見ているだけだ。男とアリエルを見守
るシャーリは、アリエルの背後で警戒心を強めた。
 だが、男は手を向け、シャーリに警戒を解くように命じる。
「他人を利用して、自分を生き長らえさせるなんて、そんなひどい事!」
 アリエルは断固として男に言い放った。すると、男は更にアリエルの手を掴む力を強め、語気
さえも強めて言って来る。
「命までは奪っておらん。人間の脳には、普段使っておらず、その一部を切除しても命に別条
はない。だが、その部分こそ『能力』を秘めた部分なのだ。
それに君の母親には、今後手出しをせん。それに、私が自分の命を長らえさせたのは、理由
があるからだ。理由が無ければ私もそのような非人道的なことなどせん!」
 と言った男の顔は赤くなり、血圧が上昇した事が見て取れた。
「目的って!」
 アリエルが呟く。今では、ベッドの上に横になっている男の方が圧倒的に優位に立っているよ
うだった。
 明らかに死に瀕している男だが、存在感は圧倒的なものだった。
「目的とは…、この私にしかできない事だ。この私しか、今の世界を変える事はできん…!」
 と言ったところで、男は激しくせき込んだ。
 本当に病気を治す事などできるのか、アリエルには分からなかった。何も変わっていないの
か、逆に悪化していやしないか。
「は?あなた一体何を言っているんですか?」
 アリエルには何が何だか分からない様子だった。男から突然出てきた言葉は、アリエルにと
ってあまりに唐突だった。
 男は咳を無理矢理にこらえて、必死になって言ってくる。
「私は…、全ての財産と、今まで築き上げてきた組織を使い、この世界を変えようとした。計画
は現在も、進行中だ…!」
 と男が言っても、アリエルは何が何だか分からないといった様子で、思わず後ずさる。
 そんなアリエルに向かって、男はベッドの中から手を出してきた。
 だがアリエルはその男から後ずさりをする。男の存在があまりに恐ろしくてたまらなかった。
今すぐこの場から逃げてしまいたい。
 だが、アリエルはその背後をシャーリに立ちふさがられ、それ以上後ろに後ずさる事はでき
なかった。
「あとは、お前が必要なのだ…。アリエルよ。私の娘だからこそできる事があるのだ…」
 と男は言い、ベッドから身を乗り出して、アリエルへと手を伸ばしてくる。
 アリエルと男は見つめ合う。父親だと言うこの男が、今だに自分の父親であるのかはアリエ
ルには分からなかった。アリエルは混乱の渦中にあり、自分自身でもどのような行動をしたら
よいのか分からない。
 この男に従うべきか、逃げるべきか、何も分からない。
 アリエルが恐怖におびえ、どうしたらよいのか分からないでいると、突然、男の目が大きく見
開かれた。
 何が起こったのかとアリエルが思うよりも早く、男は突然、全身を痙攣させ、ベッドの上で激し
くのたうちまわった。
「お父様?」
 レーシーが、きょとんとした表情で言っていた。まるで目の前で起こっている事が何であるの
かさっぱりと理解できないようだ。
 だが、そうしている間にも男は激しくその体を痙攣させ、まるでベッドの上から転げ落ちそうな
勢いである。
「お父様!」
 シャーリはアリエルの体を押しのけ、床で痙攣する男の体を押さえつけようとする。アリエル
はシャーリによって突き飛ばされ、病室の床に倒れこんでしまった。
「医者を!早く医者を呼んで!」
 シャーリが叫んだ。即座に彼女の父親の病室には医師達が入り込んでくる。即座に医師達
が今度はシャーリの体を押しのけ、処置を始めようとした。
「ショック状態だ。これを恐れていた。彼の体が、別の脳を受け付けまいと拒絶反応を示してい
る!」
 と言ったのは、床で痙攣を続けている男を手術した医師だった。
 彼は別の意思と共に男をベッドの上に戻そうとする。医師達の腕の中でも激しく痙攣を続け
ており、戻すのは一苦労だった。
 ベッドに戻された男は医師によって処置が行われようとする。シャーリも医師達の中に混じっ
て行く。彼女は痙攣する男の手を握って言った。
「お父様!お父様!」
 シャーリが声を上げ、自分の父親に向かって呼びかける。痙攣の中、彼は酸素マスクを口元
に当てられた。
 その直前、彼は一言、シャーリに言っていた。シャーリはその言葉をはっきりと耳にし、聞き
逃さなかった。
「アリエルを、逃がすな…!我が娘を逃がすなよ…!計画には、彼女が、必要、なのだ…!」
 まるで無意識の中から放たれたうわ言のような言葉。だが、シャーリはそれをはっきりとした
父親の意思だと受け止めるのだった。
 シャーリは背後を振り向く。床に倒れ込んだアリエルだったが、今はそこにはいない。この混
乱に乗じて逃げ出したのだ。
 まだ病院の中にいるはずだ。



 アリエルは容赦をしなかった。
 自分を呼び出した男が痙攣を始め、医師達が流れ込んでくるのと同時に、シャーリの隙をつ
いて廊下へと飛び出していた。
 養母、ミッシェルがいた病室はすぐ傍にあったから、戻ってくるのは簡単だった。しかし、そこ
にはシャーリの部下の護衛がいるはずだった。
 アリエルは母親の病室にいるその部下達に向かって、病室に入って行くなり自分の腕の体内
に仕込まれている刃で切りつけた。
 一人の部下はあっという間にアリエルは倒したが、もう一人のシャーリの部下は、銃を抜き放
ち、それをベッドの上に横になっているミッシェルへと向けた。
「おい、それ以上近づくんじゃあない!お前のママがどうなってもいいのか?」
 と男が言った時だった。突然ベッドからミッシェルが体を起こして、男の体に掴みかかる。銃
は床に転がり、ミッシェルは男の体をベッドから押しのける。
 アリエルはその男の背後から腕を振り上げて、自分の腕から生えている刃を突き立てた。す
ると、男はうめいてそのまま床に崩れ落ちる。
「お母さん!大丈夫なの?」
 突然ベッドから起き上がった母に対してアリエルは言った。彼女は脳の一部を切除されたと
聞いていたから、すぐに起き上がることなどできないだろうと思っていたのだ。
「わ、わたしは大丈夫…。うっ!」
 と言ったところで、ミッシェルは大きく体をのけぞらせてベッドの上に戻っていってしまった。
「お母さん!」
 アリエルは叫び、母の体を気遣う。ミッシェルは頭に巻かれた包帯の部分を抑え、痛みに呻く
ような声を上げていた。
 そう言えば、医師達は母の頭に穴を開けたと言っていた。それはごく小さな穴だそうだが、包
帯に血が滲んできている事からして、その痛みに呻いてしまっているのではないだろうか?
 ミッシェルはベッドの上に倒れ込んでしまったまま、動く事も出来ないようだ。アリエルはどうし
たものかと周囲を見やる。
 母と共にこの場から、今すぐにでも脱出するつもりだったのに。彼女がこんな様子ではそれさ
えもままならない。
 しかも今すぐにでも扉の向こうからシャーリ達が流れ込んできそうだ。彼女に見つかったら、
再びこの病室内に監禁されるか、最悪の場合は殺されさえしてしまうだろう。
「お母さん。お母さんしっかりしてよ!ここから脱出しないと!」
 とアリエルは母に向かって嘆願するのだが、母は頭を抱えたままアリエルに言った。
「私の事は、どうでも良いから!あなただけでも逃げなさい!」
 母の方も必死になってアリエルに言って来た。彼女としてみれば、娘さえ助かれば本望なの
だろうけれども、アリエルにとってはそうではなかった。
 ミッシェルと自分が揃ってこの場から脱出することで、初めて逃げたと言う事になるのだ。
 もはや、母の体を抱えてでも連れ出すしかないと判断したアリエルは、周囲を見回して、何と
か脱出の手助けになる物は無いかと探す。
 アリエルは、病室の天井にある通気口を見つけた。
 その時、ロックをかけた病室の扉の向こうから、激しく蹴ってくる音が聞こえてくる。
「おい、ここを開けろ!我々も手荒なまねはしたくない」
 と言うのは、多分シャーリの部下の男の声だ。
 幸いな事にシャーリがこの場にいない。さっき、彼女の父親の容態が悪化したようだから、そ
ちらにつきっきりなのだろう。これは好都合だった。
「お母さん! 起きて!」
 シャーリは母に向かって言い、彼女の体を起こした。彼女はまだ体がぐったりとしているよう
だったが、今はそれどころではない。
「開けろ!ここを開けるんだ!」
 外ではテロリスト達が扉を激しく叩いている。多分、銃か何かでドアノブを壊そうとしている。
 アリエルが外にいるテロリスト達を全員倒してやると言う方法もあった。だが、自分がどこまで
持つのか、正直想像もつかない。
 母もいる。もし彼女に何かの被害があったら?と思うと、アリエルはとてもこの場で抵抗する
ことなどできなかった。
 アリエルは母の体を抱え、通気口のある方向へと向かった。
 それから1分もしない後に、テロリスト達はミッシェルの病室の扉を壊し、中へと突入してくる
のだった。


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