虚界の叙事詩 Season1 Episode10 第6章



 病院内が何やら慌ただしい。アリエルとミッシェルは、リネンが置かれている倉庫に身を隠し
たまま、外の騒ぎを耳にしていた。
 倉庫内の狭い空間でも病院内の異変ははっきりと現れていた。一度、照明が落ち、それが
赤色の非常灯となって再点灯したからだ。
 放送でも、“病院を封鎖”というはっきりとした言葉が聞いて取れた。
「病院を封鎖って、一体、どういう事なのッ?」
 アリエルが慌てふためいて叫んだ。ミッシェルはリネンを入れておくカゴの中に大量の使い済
みリネンと一緒にいたが、その中から声を発してくる。
「アリエル、慌てないで。わたし達を探そうとするためにここまでやるとは思えない。もっと別の、
何かが起こったのよ。だから彼らは病院を封鎖した。多分、この病院は表向きは病院なんだろ
うけれども、それはただのカモフラージュ。本当は、ある組織の要塞なのよ」
 と、ミッシェルはリネンの中に埋もれて言ってくる。この洗濯工場へと向かう予定のリネンの中
に紛れて逃げ出すと言う作戦だったが、今はそんな事さえもできない状態へと追い込まれてい
ると言うのだろうか。
「ある組織って、何の事? あのシャーリ達の事? そして、私の前で、私の父さんだって名乗
った、あの人達の事なの? 母さん。一体、何を知っているの、話して!」
「アリエル。あまり大きな声を上げないで、外にいる者達に気づかれてしまう」
 だが、アリエルはそんな母の目を覚ませるかごとくに言い放った。
「ここだって、いずれ気づかれてしまうよ。だから話して!お母さんが知っている事を!」
 アリエルが必死になって頼む。彼女は倉庫の扉に背中を当てて座り込み、簡単には外側か
ら扉を開けられないような姿勢を取った。
 しばし考えるような間があり、ミッシェルは口を開いた。
「いいわ、話すわよ。この組織が一体、何者であるかという事を」
「話して」
 アリエルは、いつテロリスト達がこの倉庫に踏み込んでくるか分からない、そんな緊張感はあ
ったものの、じっと母が話し始めるのを待った。
「この組織の名は、『チェルノ財団』。この国で最大の慈善団体にして、政界にも権力を持つ組
織。そしてあなたが会った、あなたのお父さんと名乗った人物。彼の名前は、ベロボグ・チェル
ノ。この組織のトップに立つ人物。創設者よ」
「『チェルノ財団』。どこかで聞いたことがある名前…」
 アリエルが呟くように言った。
「それは、聞いたことがあるでしょう。だってこの『チェルノ財団』はこの国だけではなく、周辺諸
国や、東側の国にも病院やら、慈善活動を広げているんだものね…」
「慈善団体でしょう? なんで、私をさらったり、病院を封鎖したりなんてするの?」
 アリエルは母の目をじっと見て尋ねた。ミッシェルは時々やってきているのか、頭痛に顔をし
かめながらも、アリエルへの説明を進める。
「それは分からない。ただ、彼らは、政界にも大きな影響力を持ち、今では裏でテロ活動をして
いるという事をわたしは掴んでいる。
 わたしに幾度となく迫ってきていたのは、彼らだった。わたしは数年かかって『チェルノ財団』
の事を調べ上げ、ベロボグが背後でやらせているテロ行為についての裏を掴もうとしている」
 ミッシェルのその説明を知り、アリエルは、自分がどれだけ大きな出来事に巻き込まれてしま
ったか、その恐怖を感じざるを得なかった。
「で、でも。このテロリスト達を動かしているのは、私の、お父さん、なんでしょう?そのベロボグ
とか言う人は、本当に私のお父さんなの? だったら、なんで、私にこんな事をしたりするの?」
 と、アリエルは尋ねた。
「それは、わたしにも分からない。『チェルノ財団』が狙ってきているのは、わたしの『能力』のせ
いだと思っていたから、そして、あなたも『能力者』だから狙われるのだと思っていた。
 ベロボグがあなたのお父さんだと言うのならば、それは本当の事なんでしょう。わたしはあな
たを育てたけれども、あなたの本当の両親は知らない。孤児だと思っていたんだからね。だけ
れども、ベロボグがここまでやって、あなたを捕らえた事には、必ず理由があるはずだわ。そ
れは、わたしにも分からない」
 ミッシェルが説明している間、アリエルは背後の扉に伝わって来るわずかな振動を背中で感
じていた。今、すぐにでもこの扉が開かれるかもしれない。母の話を聞きつつも、警戒しなけれ
ばならない。
「分かった。分かったよ。お母さんがそう言うなら、本当に私の本当のお父さんの事は知らない
んでしょうね。お父さんが、病気で弱っていて、その上テロリストを動かしていた人なんて、ショッ
クもいい所だけれども、シャーリはどうなの? シャーリの事も、お母さんは知らなかったの?」
 アリエルは、頭の中に、シャーリとその妹だとか言う、レーシーの姿を想像して尋ねてみた。
「ええ、知らなかったわよ。だって、あなた達二人は似ても似つかないでしょう? 父親は同じベ
ロボグかもしれないけれども、母親が違うのね」
 と、ミッシェルが言った時だった。一斉に、倉庫の外に足音が近づいてくるのに気づいた。
「お母さん! 来るよ!」
 アリエルは母に注意を促した。だが、この逃げ場も無い倉庫の中で一体どうすれば良いと言
うのだろう。また天井裏に逃げているような暇はもうない。
「アリエル、出てきなさい」
 足音と共に聞こえてきた声は、アリエルが良く知っている声だった。
「そこの倉庫にいる事はすでに、赤外線探査で見させてもらったわよ。ママも一緒にいるでし
ょ? どっちも傷つきたくなかったら、出てくるのね!」
 その声に危機を感じたアリエルは、母の方に向き直った。そして、倉庫の外には聞こえない
ような小さな声で言った。
「お母さん。シャーリだよ。どうしたらいい?」
「素直に従う以外に、方法は無いわ…。多分、あなたは殺されない…。あなたは何かをさせら
れるために、ここに来たんだからね…」
 ミッシェルの顔は半ばあきらめかけている。もう、その場から一歩も体を動かしたくはないよう
だ。
「じゃあ、お母さんは? お母さんはどうなるの? きっとまた酷い事をされるよ」
「アリエル? もう待ってられないわ! このドアを打ち破るわよ。怪我したくなかったら下がっ
ていなさい!」
 アリエルの言葉は倉庫の外側にいるシャーリの言葉によって遮られた。
「シャーリは、話せば分かるって。そんな子じゃあない。昔、一緒に遊んで、ずっと友達だった子
が、こんな酷い事をするなんて!」
「それは、あなたが勝手に思っている事でしょう? シャーリは、もう昔のシャーリじゃあない。シ
ャーリは父親と出会った時から、テロリストになってしまった。何があったかは知らないけれど
も、“お父様”と呼ぶほどの間柄は、相当なものね。あなたの言う言葉は、シャーリの怒りを買う
だけね」
 ミッシェルがそのように言った時、倉庫の扉が、ショットガンの銃声と共に打ち破られた。扉は
内側に向かって破壊され、素早くシャーリがそこへとやって来た。
 そして、ショットガンの銃口をアリエルの方へと向けた。
「散々、手間取らせてくれたわね。あんた達は。おかげで、この病院を封鎖する事にまでなった
わよ。どうしてくれるのかしら?」
 シャーリはそのように言いながら、ショットガンの銃口を向け、アリエルへと近づいてくる。口
調こそゆるりとしているシャーリだったが、表情は険しかった。
 そんなに、そんなにまで自分の事を恨んでいるのだろうか。アリエルは心外な気持ちになりな
がらも、シャーリと面と向かって対峙した。
「シャーリ」
 アリエルはそのようにシャーリに向かって呟くように言うと、母の前に立ち塞がるようにして立
った。
 例え、ショットガンを向けられようと構わない。アリエルは確固とした意志と共に、シャーリの
目の前に立ち塞がった。
「おっと、妙な真似をするんじゃあ、ないわよ」
 と、シャーリは言うなり、ショットガンの銃口をアリエルの方へとぐいと押し出す。少し前のアリ
エルだったならば、そのショットガンの銃口に怯え切ってしまったかもしれない。だが、今のアリ
エルは違った。
 シャーリがショットガンの銃口を突きだしてくると言うのなら、逆にそれを、確固たる意志を持
った目で見返してやるのだ。
 どうせ、シャーリは、“お父様”の為に、自分を生け捕りにするように言われている。自分に向
かってショットガンを撃ってくる事はできないだろう。
「シャーリ。あなたを、わたしのお母さんに指一本手を触れさせない」
 アリエルはそう言い放った。
「偉そうな事を言っているんじゃあないわよ。あなた達の扱いについては、お父様が決める。あ
んたの意志なんて知った事じゃあないのよ。ねえ、迷子の子猫ちゃん。逃げ場なんて、どこにも
ない。この病院は、言わば要塞になっているのよ。
 あなた達が逃げることができる場所なんて、どこにもありはしない。素直にお父様に従いなさ
い。そうすれば、悪いようにはしないから」
「そんな説得に応じると思った? 言ったでしょう? 私のお母さんには、もうこれ以上、指一本
あなた達を触れさせないって」
 アリエルがそう言うと、シャーリはまるで面白いものでも見るかのように鼻で笑ってみせた。
 そんなシャーリの背後から、小声で話しかけてくる者の姿があった。
「シャーリ様、急ぎませんと。こいつらを連れて、ベロボグ様と一緒に脱出するんです」
「あんた達は黙っていなさい!」
 シャーリは突然一喝して言い放った。シャーリの部下らしき、銃を構えた男達は、その声によ
って怖気づいたかのように黙った。
「少し見ない内に、あんた、随分目つきが変わったみたいね。ママを人質に取られて、もしかし
て、本気になっちゃった、とか? こんな狭っ苦しい所で、体で分からせてやっても良いけれど
も、どうも、やりにくいのよね。表へとでてきなさい!」
 シャーリはアリエルに何をさせたいのか、自分達はリネンの置かれた倉庫から引き下がって
いく。だが、アリエルの自由にさせるというつもりは無いようだ。ショットガンの銃口をアリエルへ
と向けながら、ゆっくりと廊下の方へと引き下がっていく。
 アリエルも、母を倉庫の中に残し、自身が廊下に出た。
「アリエル。駄目よ。行ってしまっては…」
 と、倉庫の中から、ミッシェルが呼び掛けてくる声があるが、アリエルは、
「いいえ、お母さん。私は、一度聞いておきたかったの。シャーリに。どうしてこんな事をするの
か? 私が知っているシャーリだったら、絶対こんな事をするような娘じゃあないって。一体、何
がシャーリをこんな風に変えてしまったのか? 私はそれを知りたいの」
 廊下に出たアリエルは、シャーリと対峙し、母に言っていた。
 シャーリはショットガンを構え、部下を3人連れている。だが、部下はシャーリの背後に控えさ
せ、手出しをさせまいとしているようだ。彼らはシャーリの背後の位置に立っているものの、銃
を下ろしている。ただシャーリだけが、廊下でアリエルと対峙していた。
 堂々とした姿だ。ショットガンを片手に握り、アリエルの方へと攻撃的な視線を向けてきてい
る。まるで獲物を狙う猫のような目だ。決して目線を外すことなく、ただじっとアリエルの方を見
つめてくる。
 だが、彼女の方からショットガンで攻撃をしてくるような素振りは無い。シャーリは待っている
のだ。アリエルが迫って来るのを。
 ショットガンの銃口を向けられてしまっても、アリエルは銃器の類は持ってきていなかった。し
かし、彼女には確かな武器がある。その武器で、どこまで戦う事ができるかは分からないが、
それは確かな武器だった。
 アリエルは自分の両腕から刃を突き出させた。痛みは無い。ただ、アリエルの両腕の皮膚が
硬質化し、骨のように硬くなりながら、刃のような形状として腕はそのまま武器へと変わる。
 刃の大きさは、前と変わっていない。シャーリ達に連れ去られ、その先でアリエルの脳にされ
た何かによって、一時的に彼女の腕から出る刃は、非常に大きなものとなっていたが、今は違
う。
 以前まで自分が出せていたのと同じほどの大きさの刃だ。
 だが、それでもこの刃は武器になる。『能力者』ゆえの武器。それを使ってアリエルはシャー
リと対峙した。
「こうしてあんたと向かい合ってみると、あんたとは一度も喧嘩をしたことが無かったって事を思
い出すわ…」
 シャーリはアリエルと向かい合い、ショットガンを片手に持ち、まるでその間合いを伺うかのよ
うに足を動かしながら呟いた。
 だがアリエルは何も答えない。何も答えないが、手が震えているのは分かった。これはまるで
決闘。生きるか死ぬかの戦いをするのだ。よりによって、小さいころから共にいたはずの親友
とだ。
「アリエル。わたしの事を、もしかして大人しい娘だとでも思っていた? いいえ、私はそんな事
は無い。あなた達、ジュール人とは付き合いたくなかったって事よ。年中笑っていられるような
あなた達とは、住んでいる世界が違うのよ」
 シャーリはそのように言いながら、ショットガンの銃口をアリエルの方へと向けてくる。
 シャーリはどのように思っていたのだろう。小さいころから、共に遊び、一緒に学校に通った
仲だと言うのに。本当に人種などで、自分を差別の目で見てきたとでも言うのだろうか?
「“お父様”は尊敬する。お父様のしてきた事は正しい事。でもね、わたしはあなたと血が繋が
っているって言うだけで、虫唾が走るの。何でかしらね? これを止める事はできないわけよ」
 とシャーリは語気を強めながら言い放つ。彼女はショットガンの引き金を引いた。銃声が、病
院の廊下の中に何度も反射しながら、まるで衝撃波のように増幅していくのが、アリエルには
感じられた。
 シャーリのショットガンの銃口の中から、散弾が吐き出されてくるのをアリエルは見ていた。
 『能力者』と呼ばれる存在故だと言われた。全ての動きがスローモーションとして見え、ショッ
トガンの中の散弾が、空中に衝撃波を生み出しながらアリエルの方へと近づいてくるのさえ、
全て見ることができる。
 アリエルはその『能力者』ゆえの身体能力を発揮させながら、シャーリの方へと迫った。
 自分の元へと迫って来るショットガンの散弾は、自分の進む邪魔になる分だけ、腕から伸び
た刃で弾く。
 刃には何か衝撃があっても感覚に感じる事は無い。だが、アリエルの腕の刃は、散弾を弾く
に十分な硬度を持っていた。
 散弾をかわしたアリエルは、シャーリの元へと急接近する。彼女の背後にいるテロリスト達か
ら見れば、ほぼ一瞬で移動したように見えたかもしれない。
 アリエルは、シャーリに向かって刃を突き出した。
 だが、シャーリには不自然な所があった。つい昨日、シャーリに刃を突き立てた時、彼女の体
は全く傷つく事がなかった。
 一体、何故だろう。再びシャーリに刃を突き出しながら、アリエルは考える。
 シャーリは、アリエルが自分の懐に接近してきたのを知っても、まるで身構えようとしない、た
だ接近したアリエルに向かって、微笑を湛えているだけだった。
「私達をこの病院から出して。そして、二度と近付かないで!」
 親友だった人物を傷つけたくは無い。アリエルはそう思い、刃をシャーリの顔面すれすれで止
めた。
 だが、シャーリは全くその表情を変えようとしない。
「駄目ね。まったくもって駄目。あんたは甘くて、何も知らないただの平和ボケをしているだけ
よ。その刃で私を傷つけることができないの? 私はあなたの敵なのよ? あなたのお母さん
に酷い目を合わせた一味なのよ」
 どうやら何を言っても無駄か。そう判断したアリエルは、シャーリのショットガンを持つ腕に向
かって刃を走らせた。そうすることで武器を奪ってしまえる。そう思ったのだ。
 だが、再び不自然な事が起こった。シャーリの腕に走らせた刃は、彼女の上着を切り裂く事
は出来たが、腕はまるで鋼鉄のように硬く、少しも切り裂く事ができなかった。
 アリエルはとっさにシャーリとの間合いを取った。
 何かがおかしい。シャーリの体は何かがおかしい。こんなに硬いなんて。人間の皮膚とは思
えない。
「不思議よね。わたし達の体は、普通の人間とは違う所がある。お父様は、そんな不思議な人
間達の研究をしている。それさえ解明してしまえば、もう、わたし達は、既存の人間達の枠組み
にとらわれない、新たなステップに行く事ができる」
 シャーリはアリエルを見つめ、再びそのショットガンの銃口を向けてきた。
「何を、言っているのよ」
 アリエルにはシャーリが何を言っているのか分からない。彼女はただ微笑をたたえ、自分を
見つめてくる。
「わたしの体は、鋼鉄よりも硬い硬度にする事ができる。少なくとも銃弾や、あなたの刃では傷
つかないくらいにね。そして、あんたの腕で弾いたショットガンの刃」
 シャーリはアリエルの腕から突き出している刃の方を指差し、静かに呟く。
「すでにあなたの武器は、無効化させてもらったわ。その、ただの鉄の塊になった刃で、どう攻
撃する?」
 アリエルはそのシャーリの言葉に、思わず自分の刃を見た。そして、奇妙な事に気がつく。
 自分の両腕から突き出している刃に、何か奇妙な物体が付けられている。金属のように輝
き、そして蛞蝓のような動きでゆっくりと刃を這っている。まるで、何か液状のものをかけられた
かのように刃に覆いかぶさっていた。
「な、何なのよ。これは!」
 アリエルは思わず、自分の肉体の一部でもある刃から、その奇妙な物体を拭い去ろうとし
た。だができない。物体はゆっくりと刃を侵食していくかのように、覆いかぶさろうとしている。
「それは、わたしの放った、ショットガンの弾が変形したものよ」
 シャーリは続けざまに攻撃しようとしてくるわけでもなく、ただアリエルの方を、まるで勝ち誇っ
たかのような顔を向けて言ってくる。
 アリエルは必死になってその刃につけられている、奇妙な物体を拭い去ろうとしたができな
い。その物体は手で触れても硬く、ぴったりと刃に覆いかぶさっている。
「その物体はね、金属よ。それもステンレスよりも硬度の高い鋼鉄。私はそれを自在に操る事
ができる」
「金属」
 アリエルは、シャーリの言って来た言葉を繰り返すかのように呟いた。金属と言われても、実
感がわかない。アリエルの刃を這って行く、銀色の物体は、まるで意志を持っているかのように
動き、今では完全に彼女の刃を覆ってしまった。
「その、なまくら、になっちゃった鉄の塊でわたしを殴ってもいいのよ。その金属の正体を教えて
あげる。わたしの血よ。注射器で取っておいたわたしの血をショットガンの弾の中に詰めて撃っ
ただけ。だから、その金属が実際に流れているわたしの体を殴っても、無駄なだけ」
 その言葉に、アリエルはもはや刃では無くなってしまった武器を、シャーリに向けて突き出し
た。
 この刃を覆っている物体が、金属だと言うのなら、それを殴るだけでも鈍器としての武器の力
があるはず。少しでも抵抗する事ができるはずだ。
 だが、シャーリはそのアリエルの刃を素早く腕で防御した。もう片方の腕も突き出したが、そ
れもガードされてしまう。
「駄目ね。平和な環境で育ったあんたじゃあ、ろくなパンチもできないじゃあない? 何、今の?
 喧嘩で覚えたって言うの?」
 アリエルの攻撃をがっしりと掴んだシャーリは、続けざまにやってきたアリエルの蹴りも足を
上げることで防御した。
「あはははは、笑っちゃう。こんなものしかないの? あなたはこんなでしかないの?」
 とシャーリは高笑いをするなり、アリエルの腕を、防御した自分の腕でがっしりと掴み返すと、
そのままアリエルの体を勢いよく病院の廊下の壁へと叩きつけた。
 その衝撃で、廊下の壁の一部が崩れる。普通の人間が、壁に叩きつけられるだけではこん
な事は出来ない。
 シャーリもやはり、普通の人間じゃあない。出せる力がとてつもない。まるで、何か巨大なも
のに押しつけられたかのような衝撃をアリエルは味わった。
 あまりに強烈な叩きつけだったものだから、アリエルの意識は一瞬、飛びそうになった。
 視界が虚空を見つめ、彼女は呻く事さえできなかった。
「あらら? もう終わりなの? あなたって、こんなものだったの? こんなでしかないの?」
 シャーリはさらに言ってくるが、すでにアリエルの意識は失いかけており、彼女が更にアリエ
ルの体を押し付け、廊下の壁を突き破り、奥の部屋へと飛び込んだ時は、彼女はほとんど痛
みを感じる事も無く、床に投げ出されていた。
「どうして」
 廊下の壁の破片がアリエルの体の上に降り注ぐ。アリエルはその場から立ち上がる事も出
来ないまま、床に投げ出されてしまっていた。
「どう、してって?」
 シャーリはそんなアリエルの姿を上から見下ろし言ってくる。
「どうして、こんな事をするの? あなた、シャーリでしょう…?」
 アリエルは倒れたままの姿勢のまま、まるで声を絞り出すかのように言って来た。
「ええ、そうよ。私はシャーリ。シャーリ・ジェーホフ。他の誰でも無い存在よ」
 シャーリは床に投げ出され、ぴくりとも動く事ができなくなってしまったアリエルを見下ろし答え
た。彼女の声には何の揺らぎも無い。自信に溢れた声をしている。
「どうして。小さいころは一緒に遊んだ。学校にだって一緒に通った。私の、一番の友達だった
シャーリが、どうしてこんな事をするの?」
 アリエルは絞るような声を出して言った。だが、そんなアリエルの赤い髪を掴んだシャーリ
は、そのまま乱暴にアリエルの体を起こし、ショットガンの銃口を彼女のあごの下に当てて呟い
た。
「何を言っているの? これがわたしよ。これがわたしなの。“お父様”のために生き、時代を変
える大きな出来事の糧となる。素晴らしい事だと思わない?」
 シャーリはまるで自分の言っている事に酔っているかのようだった。そんなシャーリは、いま
掠れていくアリエルの意識の中でも、今までのシャーリとは明らかに違っていた、まるで別人で
あるかのようだ。
「だけれども、あんたは違う。ただの甘ったれた小娘でしかない。いつまでも親に甘えて好き勝
手やっているような奴でしかない。だからね? わたしとは違うの。わたしは大いなる目的の為
に生きている。でも、あんたは違うの」
 シャーリは甘い声でそのようにアリエルに言って来た。どうして、あの大人しかったシャーリが
こんな事をする事ができるのか、アリエルにはさっぱり分からない。
 さっぱり分からないし、自分がこんなに酷い目に遭ってしまうなんて。そればかりか、お母さん
までこんな目に遭ってしまうなんて。
 そう思うと、アリエルの目には涙が流れてきていた。
 まるで恐怖に怯えた子供であるかのように、どんどん涙が流れてきてしまっている。
 だが、シャーリはまるで押し込むかのように、ショットガンの銃口をアリエルの顎の下へと押し
付けてくる。
「あらら? 泣いているの? あんた、泣いちゃっているの? 泣けば助かるとでも思っている
の?でもね? 世の中には毎日のように、今のあなたのように絶望し泣いている、もっと小さな
子供が沢山いるのよ。
 わたし達はそんな世界を変える。たとえここで、あなたの命を吹き飛ばす事について、何のた
めらいも無いわ!」
 そう言って、シャーリはショットガンの引き金へ指をかけた。彼女が、ほんの少しでも力を入れ
てしまえば、銃口から弾丸が発射される。
 しかしそれよりも前に声が響き、シャーリを押し止めた。
「止めなさい! 止めなさい、シャーリ」
 その声にシャーリは背後を振り向く。そこにいたのは、ミッシェルだった。頭に包帯を巻かれ、
手術から数時間程度しか経っていない彼女は、酷く疲弊しているかのように見えたが、シャー
リがアリエルの体を使って破った壁を支えにし、二人へと目を向けてきていた。
「何よ? ママがしゃしゃり出てきて」
 と、大切な所を邪魔され、苛立ったような声と共にシャーリは言った。
「あなた達が、要があるのは、このわたしでしょう? それに、アリエルはあなたの姉妹なんでし
ょう? どうしてこんな事をするの」
 ミッシェルは必死になって訴えてきている。だがシャーリはショットガンの銃口をアリエルの顎
の下に押し付けたままだ。
「この娘が、姉妹?だからどうだって言うのよ?別に、いたぶろうが、いたぶらまいが、わたし
の勝手じゃあない?それとも何?小さな時のように、おままごとでもして遊べって言うの?」
 シャーリはミッシェルに向かってそのように言い、アリエルの頭を持ちあげ、ミッシェルに見せ
つけるかのようにショットガンの銃口を押し当てた。
 アリエルの方はというと、すでにぐったりとしており、まるで抵抗するような素振りを見せない。
まるで全てを諦めてしまっているかのようにである。
「止めなさいシャーリ。あなたのお父さんは、今あなたのしている事を許すはずがないわ」
 ミッシェルの言ったその言葉に、シャーリは反応した。
「ええ、喜ばないことぐらい知っているわ。だから、わたしはこの娘に教え込んでいるだけよ。あ
なたなんか、わたしが簡単に吹き飛ばしてやることができるんだって事をね」
 そう言うなりシャーリは、ショットガンの銃口をアリエルの顎の下から離した。ミッシェルはほっ
としたようである。
 だが、シャーリはアリエルのぐったりとした体を引っ張り上げ、無理矢理立たせた。
「全てはお父様の計画の為に繋がる。あなたもわたしも、全て駒でしかない」
 まるで独り言のように言い放たれたシャーリの言葉。シャーリはアリエルの腕を握りしめ、今
度は背中からショットガンの銃口を押し当てた。
「どういう事よ?あなたのお父さんは、わたしの脳の中のものを欲していた。あなた達の目的は
それなんじゃあないの?もう、わたし達には用が無いはず…」
 ミッシェルはシャーリに向かって言い放つ。だがシャーリは、
「じゃあ、これであなた達を解放するとでも思っているの?残念ねぇ。あんたにはもう用が無い
けれども、この娘に用事があるのよ。とっても大切な用事があるの」
 シャーリはアリエルの事を指してそのように言った。
「一体、何をする気なの。あなた達」
 ミッシェルのその言葉に、シャーリは不敵な笑みを見せて答えた。
「お父様の崇高な目的の為よ。お父様はこの世の歴史に残る、とっても素晴らしい事をされよ
うとしている。そのためには死なれてしまうにはまだ早い。だからまずはあなたを利用してお父
様の命を繋ぎとめた。
 そして、次はこのアリエル。この娘が、お父様の素晴らしい世界を実現するために動くの」
 まるで酔いしれているかのようなシャーリの言葉。だが、ミッシェルはそんな彼女に対し、うっ
すらと憐れみの視線を向けることしかできなかった。
Next Episode
―Ep#.11 『臨界 Part1』―


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