レッド・メモリアル Episode12 第1章



 鉄槌は確かに人類へと振り下ろされた。
 その鉄槌は、決して神が振り下ろしたものではなかったが、人類の未来の運命の方向性を
大きく変える鉄槌であった事に違いは無かった。
 その新たな方向性の先には混沌しか存在していないと大多数の者達が思った。元々、不安
と脅威に怯える世界ではあったが、鉄槌によって生み出された新たな方向性には、何も見る事
は出来ない人類がいた。
 人類全ての方向性さえも代えてしまう巨大な鉄槌は、確かに神が振り下ろした巨大なものに
しか人類にとっては見る事が出来なかった。
 だが、その鉄槌は、巨大な目に見えぬ粒子の放出と爆発だけで全てでは無かった。
 本当の意味での鉄槌は、これから起こるのだ。鉄槌は確かに、大国の軍事基地に巨大な跡
を残したのであるが、それは振り下ろされた直後の衝撃でしか無かった。
 鉄槌の巨大な衝撃波は、これから人類自身によって余波として世界中に荒れ狂う、嵐とな
る。



4月11日 6:22A.M.
『ジュール連邦』《アルタイブルグ》
《チェルノ記念病院》



 『チェルノ財団』の主にして絶大な権力を、国にも社会に対しても持つ男、ベロボグ・チェルノ
は、ようやくその目を覚ます事が出来た。
 彼自身が患っていた脳腫瘍は、ベロボグを死の淵にまで追いやった。彼はもう少しで生死の
狭間の崖から、死と言う深淵に落ちる所であったが、どうやら寸前のところで踏みとどまる事が
出来たらしい。
 ベロボグも、自分自身で生きている事が奇跡だと思った。
 脳腫瘍の悪化は、彼自身が最もよく知っていた。何しろ、彼自身が脳外科医であったのだか
ら、自分の脳に巣食う化け物がどれだけの脅威であるかを理解していた。
 死は覚悟していた。死ぬ事に恐怖は感じていない。だが、今死ぬのでは、あまりにもやり残し
てきた事が多すぎる。ベロボグは自分自身の使命を知っていた。その使命を果たす前に死ぬ
わけにはいかないのだ。
 だから彼は、自分が生きていた事を感謝した。
 目を覚ました彼は、薄暗い部屋の中にいる事を知った。それは病室だったが、密閉された空
間になっていた。
 病室の窓には分厚いシャッターが下りており、外の景色は見る事ができない。病院がこのよ
うな状態になっているのが何故か、ベロボグは自分が眠りについている間に起こった出来事を
悟った。
 どうやら、時は熟したようだ。
 自分の使者は事を成し遂げたのだろう。最後に彼と話したのは、再び意識を失う直前で、ベ
ロボグは、自分の計画の成り行きの一部を見る事が出来なかったが、満足していた。
 ふと、ベロボグは、自分が横たわっているベッドに覆いかぶさるようにして、レーシーがいる
事を知った。
 彼女は、その長い金色の髪をベッドの上に広げており、人形のような服装もそのままだ。
 レーシーはベロボグの大切な娘の一人であり、シャーリと共に前線で活躍する一人であった
が、まだ幼い子供である事に変わりは無かった。
 ずっと自分の側にいて疲れてしまったのだろう。横たわり、ぐっすりと眠っている。この寝顔を
見るだけでは、彼女は愛らしい孫娘であるかのようだ。とても、恐ろしい本性を隠しているよう
には見えない。
 ベロボグは、レーシーの頭を撫でてやろうと手を伸ばした。あの手術をするまでは、思うよう
に手を動かす事さえもできなかったが、今はできる。
 朽ちていく枯れ木であるかのように、ベロボグの手はやせ細っていたが、この腕にも活力が
戻ってくる事だろう。腕や体の節々を動かす際に、巨大な鐘を打ち鳴らすかのように頭の中で
響き渡っていた、あの頭痛も収まっている。
 レーシーの髪は艶やかな金色で、一点の汚れも無いかのようだった。髪の通りも良く、彼女
が完璧な存在である事を感じられる。
 ベロボグはレーシーの頭を撫でてやることで、彼女の存在をはっきりと感じ、自分がまだこの
世にいるという事を実感した。
 偉業を成し遂げるまでは、死ぬわけにはいかない。
 その気持ちがベロボグの心と体を奮い立たせた。
「お父様?」
 ちらりと病室へと顔をのぞかせてくる姿があった。それはシャーリだった。彼女の姿は最期に
見た時は霞んだ姿としてベロボグには映っていたが、今はそんな事はない。はっきりとしたシャ
ーリの姿がベロボグには映っていた。
 一点の曇りもない。彼にとって愛すべき娘の姿がそこにあるのだ。
「おお、シャーリよ」
 レーシーの頭に手を乗せながら、ベロボグはそう言った。今なら、両手を広げて彼女を迎える
事ができるだろう。
 シャーリも、父親が再び意識を取り戻し、以前よりも活力を戻している事に満足しているの
か、満たされたような表情を見せていた。
「お父様、成功しました。昨日、『WNUA』は、ここ『ジュール連邦』に対して宣戦布告をしまし
た。現在、《ボルベルブイリ》の海岸10kmの地点に艦隊が現れています」
 シャーリのその言葉は、ベロボグの予想していた通りの計画の遂行を示していた。どうやら、
あいつは良くやったようだな、そう思った。
「よくやった、シャーリよ」
 ベロボグの顔の筋肉はまだ強張っており、満足な笑顔と言うものをシャーリに対して向けるの
は辛かったが、それでも精一杯の表情をベロボグはして見せた。
「いえ、大変なのはこれからです。ですが、お父様はしっかりとお休みください。これからの崇高
にして壮大なお父様の目的を成就させるのです」
 だが、ベロボグはまるでその言葉を遮るかのように、シャーリへと手を伸ばした。
「いいや、お前はよくやってくれた。これからは私の番だ」
 するとシャーリはベロボグの手を握りはしたものの、その赤髪に顔の半分を覆った顔で、心
配するかのように目を潤ませてくる。
「お父様はまだお休み下さい。そのお体では」
 シャーリはそう訴えてくる。愛する娘が目を潤ませてこちらを向いてくるのは、ベロボグにとっ
ては、耐え難い苦痛であるかのようだった。
 だから彼は話を切り替えた。
「アリエルは、どうしている?」
 そのベロボグの言葉で、シャーリの表情が突然変わった事を、彼ははっきりと目にした。
 憐れみのような目の色が、突然、何かを嫌悪するかのような目に変わるのだ。
「鎮静剤で、眠らせてありますわ。もう、お父様の手を煩わせになるような事はありません」
 シャーリの声が冷たくなる。我が娘の声にしては何とも残念だ。異母姉妹であるはずのアリエ
ルをこのシャーリは嫌悪しているのだ。
「そうか、なら良かった。ミッシェルも一緒か?」
「ええ」
 シャーリの冷たい声は変わらない。参った事に、ベロボグにとって、これから行われるであろ
う壮大な計画には、どうしてもこのシャーリの、家族に対しての嫌悪を取り除く必要がありそう
だった。



 セルゲイ・ストロフは結局、テロリスト達に拘束されたまま一夜を明かした。病院の中の人々
は一箇所、病院の表玄関側のロビーに集められ、マシンガンを持ったテロリスト達によって見
張られている。
 彼らが暴力的に出たのは、ストロフの仲間達を襲った時だけで、それ以上は手出しをして来
ようとしなかった。
 ストロフが政府関係者であるという事は、テロリスト達も気づいているはずだったが、彼に対
して手出しをして来ようとはしない。一体何故か、目的でもあるのだろうか。
 逃げ出そうと思えば、テロリスト達の隙をついて逃げ出す事もできるかもしれない。もしくは、
病院の中に上手く潜り込み、テロリスト達の要塞と化した、この病院の中を探ってやる事もでき
たかもしれない。
 だが、そんな行為がバレれば人質の身が危険にさらされかねない。下手な手出しをする事は
諦めた。今は見える範囲で、このテロリスト達の目的を探るのだ。
 表玄関やあらゆる窓と言う窓、そしておそらく通気口なども分厚いシャッターによって遮断さ
れている。テロリストはこの病院内に籠城して夜を明かし、一体何をしようと言うのか。どうやら
要求を突きつけるような事もしていないようだ。
 まるで、彼らは何かを待っているかのようだ。それは一体何なのか。外の様子を探る事も出
来ないストロフにはそれも分からなかった。
 人質に取られている病院の患者達は怯え切っている。だが、徹夜で人質を見張るテロリスト
達も、さすがに耐えられなくなっているのか、その動きに集中力を感じられなくなってきた。
 どうやらあともう少しで、大きな隙を作れそうだぞと、ストロフは人質にありながら、獲物を狙う
獣であるかのように、テロリスト達へと目を向けていた。



 一方、外にいる軍の特殊部隊隊長は、病院の様子を再び確認した部下から連絡を受けてい
た。
「では、C4爆弾は使用できないと言う事なのか?」
 と、隊長は無線機越しに部下に尋ねた。
(はい。中の人質を危険にさらす可能性がありますし、何よりもこのシャッターはC4では破壊で
きないでしょう)
 部下の声は機械的で、まるでロボットのようだった。隊長は、丸一日経っても手出しする事が
出来ない、鋼鉄の金庫と化した病院を見張る事しかできなかった。
 病院内へと繋がる携帯電話、回線、更には無線などあらゆるものが遮断されており、テロリ
スト共は籠城を決め込んでいる。しかも彼らからの要求さえ無い。
 戦車砲でも撃ち込んでやれば、金庫に穴を開ける事ができるかもしれないと隊長は思ってい
たが、そんな事をすれば、中の人質も巻き添えにしてしまうだろう。
 つい2年ほど前、『スザム共和国』にほど近い地方で、鉄道列車が丸ごとテロリストに乗っ取
られ、人質を取られた事件があった。丸三日もテロリストは籠城し、その解決に当たっていた
軍は、C4爆弾を使い強行作戦に出た。
 事件は解決したが、テロリストだけでなく人質の20人が死亡し、事件は大惨事となった。国
際社会からも激しく非難されたその事件は、『スザム共和国』に対する『ジュール連邦』側の暴
挙とさえ知られている。
 その作戦を強行した隊長のようになるわけにはいかない。特に、今のような時期は。
 世界で、今何が起きているのかは、その作戦部隊隊長も良く知っていた。嫌と言うほどはっ
きりと自覚している。
「隊長!」
 先ほどとは別の隊員が、隊長の背後から呼びかけてきた。
「何だ?」
 隊長は即座に切り返す。
「隊長に会いたいという方々がいらしています」
 その隊員の言葉に、隊長はいよいよ面倒な事になってきたと直感した。
「それは誰だ?」
 色々な連中が顔に浮かぶ。軍のもっと上の人物、それとも国家安全保安局とか、政府の連
中か?どちらにしろ、作戦をかき乱される事には違いない。
「それが、『タレス公国軍』の者達で」
 その言葉に、思わず隊長は背後を振り向いた。
「何だと!」
 隊長は驚愕した。『タレス公国』、つまりは『WNUA』側の人間がここに来ていると言う事が、
どのような事を意味しているのか、隊長には理解できなかった。この世界の情勢下で、一体何
のつもりだ。
「分かった。会う」
 だが、見過ごす事も出来ない。そう判断して隊長は隊員にその者達のいる所へと案内させ
た。
 やがて隊長が病院の周囲に敷いた包囲網の外に出て見ると、そこにいたのは黒いスーツを
着た背が高いサングラスをかけた男と、白いスーツに身を包んだ金髪の女だった。彼らの背
後には黒いバンが止めてある。
「一体、何の用だね?」
 今、世界で何が起きているのかは隊長も知っている。そして自分は軍の隊員を指揮できる立
場にある。
「私は、『タレス公国軍』のリー・トルーマンで、こちらはセリア・ルーウェンス。私達はある捜査
にやってきた」
 男は、ジュール語を操りそう言って来た。どうやらこの国の言葉に堪能であるらしく、しっかり
とした発音で話してくる。訛りが多少あるが、ほとんど気にならなかった。こちらの言葉にかなり
精通しているようだ。
「捜査?戦争の間違いじゃあないのか?」
 隊長は、相手の男のサングラスの向こうの瞳を覗きこむくらいの眼光をして答えた。
 するとサングラスをかけた男は、隊長ではなく、病院の方を一瞥して言ってくる。
「世界で今、何が起きているのかは、私達も知っている。だが、私達は戦争をしに来たんじゃあ
ない。武器も持っていない。ここには特別な捜査で来たのだ」
 サングラスの男が、まるで機械が喋るかのように、感情のこもっていない声で話してきた。
「お断りする。ここで起きている事は、我が国の問題だ。敵国の問題じゃあない!」
 この男は何を考えているのだ。隊長は、素早く話を終わらせ、彼らを門前払いにするつもりだ
った。
 だが男の方は続けて言ってくる。
「ここは『チェルノ財団』が建てた病院だろう?我々は、戦争の理由は彼らが作っているものだ
と判断している。彼らが、我が国へと核攻撃を仕掛けた。だから我々がここに来た」
 母国語でないせいなのか、自分の国で起こった出来事にまるで動じていないかのような言葉
遣いだ。
「では何故、お前達の国は、我が国に宣戦布告した?」
 はっきりと隊長は言い放った。すると、サングラスをかけていた男は、そのサングラスを外し
た。現れたのはサイボーグのような顔で、かなり威圧感がある。目つきも鋭く、こいつは只物で
は無いと隊長は直感した。
「大統領の判断は、我々の知る所では無い。だが、私は上官から命令を受けた。『チェルノ財
団』の陰謀を摘発し、戦争を止めさせる証拠を掴むようにとな」
「戦争を止めるだと?ふざけているのか?」
 隊長はサングラスを外したその男に凄んだ。だが、男の方は表情を変えようとはしない。
「ふざけてはいない。現実的な考え方だ。それに、これは君達の国の為でもある」
「いいか?俺はこうしてお前と話しているだけで、百歩は譲っている。本来ならば、軍人同士、
敵の関係だ。お前をここで捕虜にしても、戦時中だからな。問題ないわけだ。それを理解して
おけよ」
 そこまで言ってしまうと、隊長は男達に背を向けて現場に戻ろうとした。
 この男は多分、現場にまるで出た事も無いような制服組だ。上の命令をそのまま言いに来
て、それで全てが片付くと、そう思っている。
 これ以上話していても無駄だ。
「君達も、本当は戦争などしたくはないのだろう?そうだよな?君達の国は、『WNUA』側と戦
争を始めれば、まず間違いなく負ける。戦争捕虜になるのは君達の方だ」
 背中に投げられてきたその言葉は、喧嘩の売り文句か。そう思って隊長は振り向いた。
 どうやらこの男は喧嘩がしたいらしい。それは戦時下の両国同士では戦闘行為だ。銃を抜い
てやってもいいだろう。
 だが、隊長が何かを言うよりも早く、男の方は言って来た。
「我々も、戦争を止めたいと考えている。そして今、君達が置かれているこの状況に対して、私
達は協力する事ができる。この病院で起こっている事については、我々はすでに突きとめてい
る。
 武装しているテロリストが病院を乗っ取り、立てこもりが一日以上続いているんだろう? 
我々ならばそれを解決する事ができるかもしれんぞ」
「ほう?偉そうな事を言うんじゃあない。今、この病院を制圧しているのは、我々だ。戦争をしに
来たのではないと言うのならば、お前達は部外者だ。黙って引っこんでいろ!」
 隊長はそれだけ言い放つと、『タレス公国』から来た二人の使者を決して包囲の中に入れよ
うとはしなかった。
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