レッド・メモリアル Episode15 第6章



 ミハイル・ヤーノフは、『ジュール連邦』の総書記であり、この国を実質的に動かしている者だ
った。
 彼は恐怖政治を連邦全土に敷いていると西側諸国では、悪の枢軸の中心でいるかのように
言われている。だが、ヤーノフ総書記は実際の所、共産主義体制と言うものに従い、前任者の
仕事をそのまま引き継いでいるだけだった。
 共産主義を世界に広めるためには、自国の統率は徹底的なものでなければならない。言論
の統制はせねばならず、軍備の強化も徹底したもので無ければならない。国内に配備する核
兵器の数も、西側諸国に負けていてはならない。
 だが、徹底した軍備の強化を広大な国土に広めてきたヤーノフも、結局のところ今では、時
代遅れの議事堂地下のシェルターの闇の中で、警備兵達に囲まれ、どこから来るか分からな
い攻撃におびえるしか無かった。
 彼は知るよしも無かった。ヤーノフにとって、敵と言えば、それは『WNUA』軍でしかなかっ
た。『スザム共和国』の内戦もいずれは鎮圧できる。『ジュール連邦』にとっての敵は西側の国
でしか無い。そう思っていた。
「何者の攻撃だ?電灯は復旧しないのか?」
 焦りの声と共に、ヤーノフは言い放った。しかしながら警備兵達はただでさえ突然の事態に
慌てふためいている。
「連絡が取れません。恐らく電磁波攻撃に遭ったものだと思われますが」
「電磁波攻撃だと?このシェルターは核兵器にだって耐えられるんだぞ!」
 すかさずヤーノフは声を上げたが、警備兵達は、
「予備電源もやられてしまったようです。ですがご安心ください。このシェルターは確かに核兵
器に耐えられるほどの外壁を持っています。外側からの攻撃はありません」
「『WNUA』側の攻撃なのか?首都への総攻撃が始まったのか?」
 ヤーノフは立ち上がり、暗闇の中でよろめきながら動き出す。彼は一つの筒のようなものを
手にした。懐中電灯だ。それを点灯させると暗闇の中で光がついた。
「懐中電灯はつくぞ!」
 彼がそう言った時、突然、背後から重々しい声が響いてくる。
「電磁波攻撃は単純な電気回路のものには通用しない。懐中電灯程度の単純な電気くらいな
らつくだろう。ミハイル・ヤーノフ」
 その声に思わずヤーノフは背後を振り向こうとした。
 だが、背後にいた何者かは素早く動き、次々と警備兵達に襲いかかった。悲鳴と銃声が響き
渡る。
「何だ?一体、何が起こっていると言うのだ?誰なんだ?」
 暗闇の中で、一心不乱に懐中電灯を振り回している。無様な姿だ。目に見えない相手に対し
て恐怖を抱いている。
 男は、自らの体をヤーノフの方へと向け、彼が自分の姿を確認するまで待った。相手自身は
暗視スコープをかけており、はっきりとヤーノフの姿を見る事が出来ている。
「私は、お前の政府からは幾度となく献金されている組織の遣いだ。だが、私はその金を有効
に使わせてもらう。お前と、お前の政府は、この国に共産主義と言う堕落した害悪を広めた。
 だがそれも今日までだ。これからはこの《ボルベルブイリ》を中心とし、私が新たな国を築き
あげる。それは、共産主義でも資本主義でも無い、全く新しい国家だ」
 その言葉を、一言一言、確かな意味を持って相手に言い聞かせるかのように。
 しかしながらヤーノフは男の発した言葉をきちんと聞いていたのだろうか。すかさず言葉を返
してきた。

「お前は、何者だ?テロリストなのか?」
 ヤーノフにも、ベロボグの巨大な体躯が見えてきただろう。彼は恐怖を抱くだろうか。自分が
ここにやって来たのには大きな意味がある。それをはっきりと相手に伝えるつもりだった。
「テロリストではない。だがあえて言おう。革命者であると。私はこの国を変える為。世界を変え
る為。まずはお前の政権を打破する事が大切だとし、ここに来たのだ」
 ベロボグは声高らかに言い放つ。警備兵達は倒してきた。、ここには、ヤーノフという総書記
一人しかいない。二人は対峙していた。
「馬鹿な。そんな事など失敗するに決まっている。私をどうするつもりだ?処刑するのか?この
場で?」
 大分落ち着きを取り戻し、大国の指導者らしき、威厳らしきものを見せてくるヤーノフ。なるほ
ど、『ジュール連邦』という巨大な大国を率いている指導者だけの事はある。
 だが、男も彼に負けるつもりはもちろん無い。むしろ、このヤーノフの態度を利用させてもら
おう。今、威厳を見せているこのヤーノフの姿こそ、大国を統率する者にふさわしいものなの
だ。
「この場で処刑など、野蛮な事はせん。裁判を開いてやろう。その場で、お前達が行って来た、
帝国主義と、堕落した共産主義について悔やめ。そして声高らかに宣言するのだ。これからこ
の国を統率するのは、我らであるとな」
 ベロボグは再び威厳ある声を出し、演説をするかのように言い放つ。だがヤーノフは、
「愚かしい。革命だと?そのような事ができるはずがない!我らが崇高な主義は簡単には崩れ
はせん!断固として貴様を否定するぞ!」
 ヤーノフは言い放つが、相手にとっては構わなかった。どうせ彼らの行いは全て無駄に帰す
る運命なのだ。
 ヤーノフが再び暗闇の中で、自分が座っていた総書記の執務室の椅子に座った姿をベロボ
グが見ていた時、彼に内蔵されている通信が入った。
(追っていたアリエル・アルンツェンの反応が、外に出ている!恐らく逃げている模様!)
 それは部下からの通信だった。男はヤーノフから視線を外し、通信に集中した。
(アリエルが?お前達の最大の目標だっただろう?何故逃した?手の届かない場所に行く前
に、絶対に逃がすのではない!)
 ベロボグは自分の体内で通信をしてそのように声を発した。通信はヤーノフには聞かれな
い。自分の脳が命じれば意識の中で話すように行う事が出来、きちんと相手に伝わる。
 ベロボグにはレーシーの能力を取りこんだ事で、そのような力を使う事も可能だった。
「お前達。ここに来て、総書記を見張っていろ。決して誰もこの部屋に入れぬように、そして、丁
重に総書記殿を扱え」
 テロリスト達の命令に従い、二人の彼の部下が配置に付いた。

 アリエルは自分でも無我夢中だったが、暗闇の中を逃げだしていた。
 どこへ行っても襲いかかってくるテロリスト達。それが自分の元へと再びやって来たのだ。も
う、どこにも逃げる事ができない。国会議事堂の地下にも、誰に守られていても彼らは自分に
迫ってくる。
 何もかもから彼女は逃げ出したかった。どこでもいい。安全な所へ。殺戮も悲劇も起こらない
ところへ逃げてしまいたい。
 心は全てその感情に支配され、アリエルは走りだしていた。道は分かる気がした。ここは閉
鎖された空間だったが、アリエルはここに連れて来られた時の道準を思いだしていた。
 途中で彼女は暗闇の中にようやく灯りを見つける事ができた。それは火の灯りであって、どう
やら壁が爆弾か何かで開けられていたらしい。
 この奥へと逃げれば、誰も追って来ないかもしれない。中に突入してきた侵入者たちが付近
にいない事を確認し、アリエルは素早くその横道に入った。
 この暗闇の中を逃げていってしまえば、誰も自分を追っては来れない。そうに違いない。アリ
エルはそう思っていた。
 横道に入るとしばらく通路が続く。ごつごつとした通路で、何か掘られたような跡がある。途
中、アリエルは何者かの姿を目にする。
 マシンガンを持った者達。それはテロリスト達、シャーリの仲間に違いない。
「そこで止まれ!お前には何もしない!」
 通路にいたテロリストはアリエルに向かってそう言ってくる。彼らはアリエルにマシンガンを発
砲するのではなく、掴みかかって来ようとしてきていた。アリエルは容赦しなかった。すかさず自
分の腕から、骨格を変形させた刃を突き出し、それでテロリスト達に向かって切りつける。
 彼らの悲鳴が上がった。殺してしまったのだろうか。いや違う。すかさず彼らの声が上がる。
「逃がすな!そいつを絶対に逃がすなよ!」
 地下通路に彼らの声が響き渡った。
 すぐに追っ手が自分に迫って来ている事をアリエルは感じる。テロリスト達に捕まってしまっ
たら最期、何をされるか分からない。それにあのリーとかいう男達も信用できない。政府の施
設の安全な場所でさえ、アリエルを彼らは追ってくる。
 何もかもから逃げ出したアリエルは、やがて自分の足元が濡れている事に気が付く。生臭い
匂いが漂い、天井に空いた小さな灯りが漏れていた。どうやら自分は下水道の中へと抜けてし
まった事をアリエルは知った。
 足音が背後から聞こえてくる。アリエルには立ち止まっている暇も無かった。だが下水道の
中は入り組んでおり、まるで迷路のようになっている。とりあえずアリエルは明るい方、そして足
音から遠ざかる方向に向かって走った。
 テロリスト達はこの通路を使って、国会議事堂の地下にまで潜入して来たのだろうか。せっか
くあそこならば安全かと、アリエルも気を抜く事ができたと言うのに。
 数分ばかりも走った。いい加減息を切らせている自分に気が付く。
 ふらつきながらもアリエルは、ようやく下水道の出口を見つけた。手だけでなく体中が汚れて
いる。
 差し込んでくる外の灯りが眩しい。相変わらず《ボルベルブイリ》の街は厚い曇り空に覆われ
ているが、やっと脱出する事ができた。
 アリエルは自分の今いる場所を確認した。どうやら国会議事堂の外縁を取り囲んでいる堀の
中にまでやって来ていたらしい。
 堀は膝まで脚が浸かるが、それほど深いわけでは無かった。だが綺麗な水では無く淀んでい
る。周囲を見回しながらアリエルは進んでいくが、議事堂内で起こった事件のせいで、周囲の
警戒はそちらへと向けられているようだった。
 アリエルは慎重に進み、堀を対岸まで渡ると、ゆっくりと土手を上がる。ここまで誰にも見つ
けられていない。そう思った。
 だが対岸まで上がった時に、アリエルは目の前にいきなり誰かに立ち塞がられた。
「あんた、こんな所で何をやってるのよ!」
 警備の人間か、軍の人間か。アリエルはそう思い警戒したが違う。使っている言葉もタレス語
だし、真っ白なスーツを着ている相手は、年齢30代ほどの女だった。もう一人、同じ年頃の眼
鏡をかけた女が車に乗っている。
「あ、あの。私…」
 アリエルはどうしたらよいか分からなかった。人種からして西側の国の人間だ。という事は、
あのリー達の仲間だろうか。
「あなた。リーの奴が連れていった子ね?言葉は分かる?中が騒がしいようだけれども、詳しく
話を聴きたいものね?」
 そう言って、金髪の女はアリエルの腕を掴んでくる。逃げようがない、力の強い女だった。ここ
は、腕から刃を突き出してさっきと同じように逃げるべきだろうか。
 だがその時、アリエルは自分の背中にやってきた衝撃を感じた。視界が真っ白になり、自分
が気を失う事をアリエルは気が付いていた。
 最期の瞬間にアリエルは自分の背後を振り向いていた。何者が自分を背後から襲って来た
のか、それを知りたかったのだ。
 そこには黒い大きな影が立ち塞がっていた。あたかも巨人のように見える何か、それがアリ
エルの視界には映ったが、それを最期に彼女は視界を閉ざしていた。
 痛みも、苦痛さえもない、あっという間の出来事だった。

 目の前で倒れていく少女は、背中に何か大きな針のようなものを突き刺されたらしい。それ
は巨大な注射器のようなもので、空から降りてきた巨人のような体躯の男が持っていたもの
だ。
 持っていたと言う表現が正しいかどうかは、セリアにも分からない。彼はその針を手と一体化
させていた。そしてその巨人の様な姿をした男は、背中に巨大な翼を持っていた。それは鳥の
ような生物的なものとは違う。ステルス戦闘機の翼そのものだった。
 セリアは得体の知れない、そして理解を超えたこの男の存在に、警戒よりも驚きを隠せな
い。軍の第一線で活躍して来た時は、恐ろしいもの、理解を超えたものは沢山見てきた。だ
が、この目の前に現れた男は、そのどんなものよりも理解を超えている。
 男は、気を失って倒れていく少女を、とても繊細なものを抱えるかのようにして抱える。あまり
に無骨な姿をしていたその巨人の様な男が、そんな動きをするのは、セリアにとっても意外だ
った。
 男はちらりとセリアの方を向いてくる、そしてセリアに一言言って来た。
「セリア・ルーウェンスか?」
 とても低い声で発せられる言葉。相手の男が自分を知っている事に、セリアは戸惑いを隠せ
ない。
「あんたは、誰よ。その子は?」
 思わず後ずさりをしながら、セリアは言った。男は少女の体を抱えながら、目線をセリアに向
けてくる。その目線を感じただけでも、セリアは胃の中に重い石を詰め込まれたかのような気
分にさせられた。
「私はベロボグ・チェルノ。そしてこの子はお前の娘だ。セリア、お前は自分の娘の事も忘れて
しまったのか?」
 相手の声は少しも揺らいでいない。セリアの方はただ圧倒されるばかりだ。そして男が言って
来た言葉にも、セリアは現実として放たれた言葉として理解できない。
「何、言ってんのよ、あんたは?」
 セリアの質問に答える間も無かった。ベロボグと名乗ったその男は、少女の体を抱えたまま
その場から飛び去っていく。
 ベロボグはその巨体を、あたかもステルス戦闘機のような形態にし、セリアの目の前から飛
び去っていく。
 一体、何が起こったのか。そして自分の目の前に突き付けられた現実とは何なのか。セリア
は訳も分からぬままその場に立ちつくしていた。

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―Ep#.16 『記憶の庭園』―

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