レッド・メモリアル Episode16 第1章



 アリエルは自分がどこかから呼ばれているような気がした。彼女を取り囲んでいるのは真っ
白な空間であり、どこを向いても何も見る事ができない。
 だが、どこからか声が聞こえて来ている事は分かった。
 アリエルは白い靄の中に包まれており、自分の姿さえもそこでは見る事ができないでいる。し
かし声だけははっきりと聞こえてくる。
「アリエル。アリエルよ」
 その声をアリエルは知っている。誰のものであるかという事も分かったが、その声は随分とア
リエルが知っているものの声よりも落ちついており、本当に、あの人物が発している超えなの
かと疑いたくなるほどだった。
「あなたは?一体、私をどこへ?」
 アリエルは白い靄に包まれながら、そのように言葉を発したが、その声が相手に届いたかど
うかも分からない。
 ただ一人いる空間。アリエルは手をもがかせてこの場から脱そうとした。
 白い靄をかき分けるかのように手を伸ばし、何かを掴もうとすると、突然その白い靄は晴れ
ていき、アリエルはどこかへと飛び出していた。
 飛び出した先は、どこかの空間だった。そこも真っ白な空間だが、少なくとも白い靄のような
ものはかかっていない。
 殺風景な、それも病院の病室のような所へとアリエルは飛び出していた。飛び出したと言って
も、どうやら、ベットから跳ね起きるように起きただけに過ぎないようだった。
 周囲を見回す。妙に静かだった。ここ数日、アリエルはろくな目にあって来ていないから、い
よいよ自分が分からない状況にあると、その警戒を高める癖ができてきていた。
 ここは病室のような所であり、自分はたった一人、どこかの部屋に入れられている。しかし病
室は監獄のような場所とは違い、きちんと窓もつけられている落ちついた場所だった。窓から
はどこかの海が見える。
 室温も適度に温かく、空調も保たれているのか、病院臭さのようなものが存在しない。落ち着
いた空気が流れている。
 アリエルは自分の体を見た。いつの間にか、黒のライダースから、白い病人が着るような服
へと着替えさせられている。そして、いつの間にか身体も洗われていたらしく、綺麗なものにな
っていた。
 不思議と疲労感を感じない。長い間熟睡して、そして目を覚ましたかのようなすがすがしささ
えある。
 アリエルはそんな自分の奇妙な状況下にありながら、今、自分自身を取り巻いている状況を
理解しようとした。この自分の周りを取り巻いている状況は一体、何であるのか。
 最後に自分はどこにいたのだろう。確か、国会議事堂の地下から脱出した所だった。国会議
事堂は『ジュール連邦』の首都である《ボルベルブイリ》にあり、アリエルはそこにいたはずだ。
 だが、ここは《ボルベルブイリ》ではない。ベッドから窓へと近づいていくと、海が見える。《ボ
ルベルブイリ》には河は流れているが、海は郊外に行かなければ見れないはずだ。
 この病室の外はどうなっているのか、アリエルは確認をしようと思った。
 しかしその時、突然扉が外側から開かれ、アリエルは思わず警戒した。
 そこには背の高い男が、医師の白衣を着て立っていた。天井に頭がつこうというほどの背の
高さを持つ男。アリエルはその男を知っていた。
「目覚めたかね、アリエル。気分はどうだ?」
 アリエルの記憶にある男の姿とはあまりに違いすぎた。最後に彼の姿を見た時は、病院の病
室のベッドの上でやせ細り、あたかも枯木となって朽ちていくような有様だった、あの男、自分
の父が、そのたくましい肉体を取り戻し、部屋に入ってくる。
 その顔は、ずっと若々しさを持っており、しかも恍惚に満ちているようだった。険しい表情の父
しか知らなかったアリエルだったが、今の彼はそうではなかった。優しげな瞳を持ち、その大き
な体躯も、逆に頼りがいと感じさせてしまうような姿をしている。
 だがアリエルは油断できなかった。この男は、自分の母親をも誘拐した男であって、テロリス
ト。国の転覆をも図ろうとしている恐ろしい男だ。アリエルはそう聞かされていたから、目の前に
近づいてくる男に対して、警戒を払うしかなかった。
「私に近寄らないで!私が、あなたを警戒していないとでも思ったの!」
 そう言いつつ、アリエルは、部屋の反対側の壁を背にしながら、男に向かって、自分の腕の
一部を硬質化させた刃を、両腕から飛び出させた。
 もし一歩でも近づこうならば攻撃する。そんな姿勢をアリエルは見せる。
 だが彼女の父、ベロボグはその両手を広げ、あたかも警戒している小動物をなだめるかの
ような表情をして見せる。
「アリエル。私を警戒するのは無理もない。しかし、落ちつきたまえ。私は君に対して何もしな
い。私は君の父なのだ。父親が娘に対して、酷い事をするわけがないだろう?」
 ベロボグは落ちつかせるかのようにアリエルにそう言って来た。だが、そんな彼の態度を見
てもアリエルが落ちつこうはずもない。彼女は警戒心をむき出しにし、自分の父親に言い放っ
ていた。
「酷い事?これまでにも散々、酷い事をあなたはしてきたでしょう?」
 自分の父親はテロリスト。母親を誘拐してその脳の一部を手に入れるなどと言う事をした恐
ろしい人間。アリエルはそう考えている。
「どうやら、誤解が生じているようだなアリエル。それは、君が例の組織から聞かされた私の姿
であって、私本来の事を君は何も知らないはずだ」
 ベロボグはあくまでアリエルとは一定の距離を持ち、彼女の警戒心を和らげようとしている。
 だが、そんな態度を取られても、アリエルは警戒を解くような事はとてもできなかった。目の前
にいる男がどんな優しげな表情をしても駄目だ。ここにいる男が、とてつもなく恐ろしい魔人の
ようにしか思えない。
「全ては先入観から成り立ってしまうのが、賢い人間の中でも残念なことの一つかな?先入観
というもの一つで、人間は差別もするし、相手を悪であると平気で言う事もできる。つまり、君に
とって、今の私は悪であるわけだ」
 その言葉が、自分の持つ誤解を解こうとしているために言われている言葉だという事は、アリ
エルにも分かっていた。しかし、どう考えても目の前にいる男は恐ろしいテロリストにしか見る
事ができない。
「では、何故あなたはあんな事を?まさか、自分はテロリストなんかではなく、あなたがしてきた
とされている戦争や、攻撃といった事、シャーリにやらせていた事は、別の誰かがした事だとで
も言うの?」
 さて、ベロボグはどう答えてくるだろう。自分はテロリストではないとでも言うのだろうか?彼は
相変わらず一定の距離を持ったまま、アリエルに向かって言って来た。
「全ては、ものの見方によるのだよ、アリエル。君が関わってきた人間は政府の人間だ。彼ら
は、国家の脅威となる存在に対しては、テロリストと言う言葉を使うだろう。
 だから、彼らにとっては私はテロリストだ。君が関わってきた全ての人間は国家の為に動く人
間だ。彼らのばかり聞いていれば、私が恐ろしいテロリストにだと思えてしまうだろう。特に君が
接触していた、あの組織とか呼ばれる連中は、数年前から我々を目の敵にした連中だ。君を
利用し、我々の組織をつぶそうなどと考えていたような連中だ」
「ですが、実際に、あなたは私のお母さんや私を誘拐したし、戦争だって引き起こしたんでしょ
う?」
 アリエルはそのように言い放つ。
「正義は、何であるかを分かっているかね、アリエル?君はこの世界の事を良く分かっている
だろう?今や二つの勢力同士がぶつかり合い、お互いの主義を呑み込まんとしている。だが
それは、何百年も続いてきた人間同士の愚かな争いでしかない。
 彼らは、民の権利をも搾取し、ただ自分たちの勢力を広げるための戦争をする事しか能が
無いのだ。
 私はそこに革命を起こそうとした。そう、革命だよ。民衆が立ち上がり、体制に対して反抗を
行う事で世界は変わり、それまでよりもずっと良い姿に生まれ変わってきた。私はその革命を
何十年も前から計画していた。より完璧に新しい世界を作りだすためにな」
「そのためだったら、人の命を犠牲にしても良いと?」
 アリエルは言った。だが実際のところ、アリエルはベロボグの言ってくる言葉に気押しされそ
うになっていた。
 彼の言う言葉には不思議とはっきりとした説得力がある。所詮はただの高校生でしかないア
リエルにとっては、用意する事ができる言葉が、あまりにも感情的なものばかりで、彼に反論す
る事ができる余地が無い。
「私は、人の命を犠牲にした覚えは無い。ただ、現体制下にいる者達は別だがね。我々をテロ
リストと名指しし、人民から搾取を行っているような連中に対しては、革命の邪魔となるため
に、やむを得ず攻撃を仕掛ける事もあるだろう。
 だがアリエル。お前は気づいていない。自分がどれだけ崇高な存在であって、お前がこれか
らどのような崇高な目的の為に動いていくのかと言う事をまだ知らない」
 ベロボグはアリエルを説得するかのような声でそう言って来た。だがアリエルは、この男に対
しては恐怖の感情しか抱く事ができない。
 医師の服装をして、全てを包容するかのような態度を取られたとしても駄目だった。この男に
心を許す事などできない。それに、この数日でアリエルは変わってしまった。誰も信じる事が出
来なくなっている。少なくとも、養母以外は。
「アリエルよ。お前は私の子だ。私は、お前達のためになる世界をこの世に残したいと考えて
いる。それでは、人間同士の主義で争い、いがみ合っている国では駄目だ。スザム共和国な
どが良い例だ。私はあの国の出身であり、医療で何度も貢献してきた。だがそれでも駄目だ。
根本的な考え方が駄目なのだ。
 人間が思想の革命をしなければ、この世からはいつまで経っても、戦争や悲劇はなくならな
いだろう」
 ベロボグは幾分口調を和らげてそのように言ってくる。だが、アリエルはどうしてもその言葉
に納得がいかない。
「戦争?悲劇?それはあなたも同じ事をしたはず。結局は同じ手段を使っているだけよ。とても
あなたの言える言葉とは思えないわ」
「だが、今までにない、新しい国を作れるとしたらどうだ?アリエル」
 アリエルの言葉を遮るかのようにベロボグは声を発した。
「新しい、国?どういう事?」
「アリエル。娘であるお前を、半ば誘拐と言う形で連れ去ってしまった事、君の養母を利用しよ
うとした事に関しては、私も謝罪の意思を示したい。だが、それは全て新しい国を作りだすため
にあったのだ。
 私はお前に誓った。この世界全てを、楽園の様な天国にするために、私は活動を続けている
のだ。しかし『スザム共和国』で慈善活動をし、娘のシャーリが左眼を失った時に気が付いた。
ただの慈善活動では、この世界は変わる事はできない。もっと明確な力が必要だという事を。
そして、現在ある人類は思想的に淘汰されなければならないという事を」
 アリエルの頭に、シャーリの片方だけ髪で塞がれた顔が思い浮かぶ。彼女の顔に生々しく残
っていた傷は、シャーリが潜りぬけてきた修羅場を物語っているようだった。
 ベロボグもその世界におり、慈善活動を続けてきたのだという。そこで彼らが一体何を見た
のか、アリエルには分からない。ただ一つ、彼らがいた、『スザム共和国』は、平和な世界にい
るアリエルには想像もつかないほどの世界なのだ。
「すぐに理解してくれとは言わない、アリエル。お前に慈善活動をして欲しいとも思わん。だが、
お前は新人類の一人なのだ。私がお前達娘を意図的にもうけてきた理由は、新しい世界を担
う、新しい人類が必要だからなのだ。
 アリエルよ。お前の事は私は片時も忘れた事はない。お前は覚えていないかもしれないが、
わたしは何度もお前と会っている。その度に、お前の成長を見届けてきた。そして、お前が18
歳という年齢に達し、物ごとに対して判断を下せる歳になった今だからこそ計画を始めた」
「私が、あなたに会っている?」
 アリエルは意外そうな声でそう答えた。
「そう。会っているのだ。お前はわたしの事をおじさんと呼んでいたが、お前が私に会っている
という記憶があると、色々とまずいのでな、私がお前と会うたびに、お前と、お前の養母の記憶
はブレイン・ウォッシャーに消してもらっていたのだがな。そろそろ思いだしても良い頃だろう」
 ベロボグがそう言った時、アリエル達のいる部屋に、スーツ姿の女が現れた。
 彼女はどうやら、西側諸国の人間らしく、茶色い髪にスーツを着ている。口を全く開かずに、
ベロボグの後ろに立つ。すると彼は、
「そうか、回診の時間か。紹介しようアリエル。彼女がブレイン・ウォッシャー。彼女は聾、つまり
口を利く事ができないのだが、代わりに相手の意識の中に入り込む事ができる『能力』を持っ
ている。後で世話になるといい」
 ベロボグはその、ブレイン・ウォッシャーと言う名の女と共に部屋から出ていこうとする。
「まだ話が」
 アリエルはそう言いかけたが、
「すまんな。この施設にいる子供達を見て回らなければならないのだ。話なら後でたっぷりとし
てあげよう。いや、私からはもう何も話す事は無いのだがな。お前が決めればいい。後で、抑
圧しておいたお前の記憶を、ブレイン・ウォッシャーに解放してもらおう」
 抑圧しておいた記憶とは何なのか。アリエルにはさっぱりと分からなかった。だが、ベロボグ
は出ていがけにアリエルに言った。
「部屋に鍵はかけていない。自由に出入りして構わない。何か欲しいものがあったらインターホ
ンで言いなさい」
 とベロボグは言い残し、部屋から出て行ってしまった。
 その後を追おうかとアリエルは思った。だが、そうはいかなかった。いきなりこのような場所に
連れて来られ、父はがらりとその態度を豹変させ、様々な事を告げられた。その言葉を頭の中
で整理するだけでも、アリエルは精いっぱいだった。
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