レッド・メモリアル Episode01 第4章



《プロタゴラス市内》 53丁目
4:18 P.M.
 『タレス公国軍』の準備はセリアが思った以上に早かった。
 どうやら自分がヘリに乗ってくるまでに、偽造の身分や、潜入捜査に必要なバックアップ、監
視装置などを用意しておいたようである。
 おかげで、一週間はかかるという潜入捜査の準備は、セリアが《プロタゴラス空軍基地》を訪
れる、数時間以内で終わっていた。
 最初から自分を落とせる事を前提で、あのリーとかいう男は動いていたに違いない。セリア
はそう思った。
 そして、実際に彼はセリアを説き伏せた。どうもあの男は、油断ならない。
 ジョニー・ウォーデンのアジトが迫って来る。アジトとは言っても、彼らは表向きは、港の廃品
回収業者に過ぎない。
 もちろんそれは建前に過ぎず、ジョニー達の組織、ヤング・ソルジャーは、港の廃品回収業
者の建物内に、大量の武器弾薬を隠しているという事だった。
 だがその武器弾薬がどこにあるのかは、セリアも突き止められなかった。本当にどこに隠し
ているというのだろうか。
 セリアは、港の業者の建物の一つに入っていった。打ちっぱなしのコンクリートで作られた、
それほど大きくない無機質な建物。
(セリア、感度良好だ。そのまま行け)
 耳の中に耳栓よりも小さな通信機が入っている。その中に囁くようなリーの声が聞えてきてい
た。
 セリアは何も答えずに、建物の中へと入っていく。彼女の首から吊るしたペンダントの中にも
高性能のカメラが入っていて、近くに停車した車の中にいるリー達へとその映像が伝わってい
るはずだった。
 今ではセリアは、白いスーツに身を包み、シャツの首元をはだけさせていた。首から提げた、
カメラ入りのネックレスは少し目立つが、十分すぎるほど魅力的である点は完璧だろう。
 街のチンピラ程度が相手ならば、たとえ36という年齢のセリアであっても、その魅力でどうと
でもなる。油断を見せたところを一気に落としてやればよい。
 だが、ジョニー達はチンピラではない。れっきとしたギャングなのだ。十分な作戦と容易が必
要になる。
「ねえ、ジョニー、いる?」
 廃品解体器具の置かれている店内のカウンター。そこにいる若い男にセリアは尋ねた。以
前、ジョニーの組織に、元麻薬密売のやり手として潜入したセリアだったが、この男は知らなか
った。
 多分、新しく入った、下っ端の男だろう。ジョニー達のチームのメンバーは皆、あくまで廃品回
収作業員の格好をさせられる。この男もその例に漏れず、薄汚い作業着を着せられていたの
だ。
 十分に色っぽく見せてやっているセリアだったが、果たしてこの色仕掛けはこの男に通じるだ
ろうか?



(ねえ、ジョニーよ。知ってる?)
 セリアと、ジョニーの組織のメンバーとおぼしき若い男とのやり取りは、セリアが身に付けた
通信機によって、港の近くに停車した、リーと、捜査官の元へと送られていた。
(ジョニーなんて奴は知らねえ)
 セリア達のやり取りが聞えて来る。車内に取り付けられた光学モニターにも、はっきりと現れ
ている。ジョニーの姿をも確認できるだろうし、彼がボロを出せば、それもしっかりと記録に残る
のだ。
(じゃあ、こう言っておいて、セリアが戻ったって)
 とっておきの言葉を言い残すかのようにして、セリアは若い男にそういった。すると、若い男
は何かに驚いたかのように、ゆっくりと、廃品回収の受付カウンターから後ろへと後ずさる。
「どうやら、動き出したようですね」
 リーのすぐ側にいた、褐色肌の若い捜査官、デールズがそのように言ってきた。
「セリアがどう扱われているか次第だ。彼女は唐突にジョニーの組織から姿を消したんだから
な」
 油断ならない様子でリーが言う。隣のデールズは、まるで長時間の張り込みでもしているか
のようにコーヒーを飲んでいたが、リーは何も口にしていなかった。
「どうやら、伝説の捜査官のお手並み拝見という所ですね」
 と、若い捜査官は言った。デールズ・マクルエムは、ここ最近、リーの部署に配属されてきた
ばかりだ。士官学校を出てきたばかりで、まだ額面だけのエリート意識を見せているかのよう
ないでたちをしている。こういう連中はプライドが高い事をリーは身をもって知っていた。だが、
セリアを見るデールズの目は、どことなく輝いて見えた。
「ほう? 君もそう思うのか?」
 デールズと一緒にモニターを覗き込み、リーは言った。
「ええ、そうですよ。ありとあらゆる捜査を強引ながらも解決し、その摘発率は、80%以上。軍
の上層部でも話題だと聞きます」
 まるで憧れの大先輩を見るかのような目でデールズは言う。しかしリーは、冷ややかな目で
彼の顔を見た。
「ああ、そうだけれどもな、軍の上層部、そしては彼女の事を良く思っていない。つまり、その話
題と言うのは良い話題では無く、彼女にはあまり期待しすぎるなという事だ。君も上に睨まれた
くないのならばな」
「え、ああ、はい」
(やああ、セリア。久しぶりだ)
 モニターのスピーカーから、図太い男の声が聞えてきていた。リーは、すぐにモニターに映っ
た男を、過去の手配画像と一致させる。
「来たぞ。ジョニーだ」



「久しぶりね、ジョニー」
 と、セリアは言った。だが彼女はすでに警戒していた。廃品回収業者の建物の中にまんまと
入っていたセリアだったが、四方から現れた、ジョニーのチームのメンバーに囲まれていたの
だ。ジョニー自身もセリアの体の1.5倍はあろうかと言う体格をしていたのだが、現れたほか
のメンバーも皆、かなりの体躯だ。セリアの体があまりに小さく見えてしまう。
 セリアは潜入捜査をしたときに、これらの男達の名前も顔も前科も把握していた。どれだけ
注意すべき人物かという事も。
「本当に久しぶりだよ。しかし、実にオレはがっかりしていた。何しろお前が、突然いなくなって
しまったのだからなあ?いやあ、全く。オレの部下達は、そんなお前の事を、実は裏切り者だっ
た、なんて言ってしまう始末なんだ」
 ジョニーは楽しいものでも言うかのようにセリアに話してくる。自分が優位に立っている時は、
非常に悠々とした口調。それが、ジョニーの大きな特徴だ。だが、セリアは警戒の色をはっきり
と示さざるを得なかった。
「それは、心外ね」
 ジョニーに向けてはっきりと警戒の目を向けるセリア。大の男に囲まれていたが、怖気づいて
はいない。手も震えていないし、心拍数だって一定だ。
「だが、困ってしまったよ、セリア。いやあ、オレ達が行っているビジネスは、実にデリケートなも
のでね。ほんのちょっとの失敗も許されないんだ。いや、オレ自身は常に失敗をしないように警
戒している。だが、困ったことが時々起きてしまうんだ」
 そう言いつつ、ジョニーはセリアに近付いてきた。
 セリアは明らかに身構えていたのだが、ジョニーはそんなことなど気にもしていない。
「そういった、仲間の裏切りとか、疑惑とかって、ドロドロとした嫌なものだろう? 実にドロドロ
として、さわり心地も悪いし、気分も悪くなる。だけれどもな、そんな疑惑なんていうものも、セメ
ントみたいにいずれは固まる。そう、そのセメントのようにがっしりと固まってくるのさ。そうすれ
ば、何も問題は無い」
 ジョニーがセリアの腕を指差して言った。
 セリアは、突然、自分の左腕に感じた重みに思わずうめいた。何かと思って腕を上げてみる
とそこに現れたものに驚いた。
 ごつごつとしたセメントのブロックが、自分の腕に張り付いているではないか。しかも張り付い
ているなどというものではない。
 まるで手錠のように、コンクリートの塊が、左腕を、スーツの上から取り囲むかのようになって
締め上げている。
「な、何よ、これ?」
 ジョニーの部下に囲まれても落ち着いていたセリアだったが、さすがに動揺を隠せなかった。
すると、ジョニーの部下達は、苦笑を漏らしたようだった。
「どうも、お前がオレ達の中に入り込んだ、サツだって話を聞きつけたんだ。分かるか? お前
がサツだったって話さ。サツって言うのは、オレ達にとっちゃあ、ゴキブリみたいにしぶとく、し
かもどんな所にも入り込む。まさか、なあ? セリア? まさかお前が、なあ…」
 左腕に付けられてしまったコンクリートのブロックを取り払おうとするセリア。しかしそれは完
全に手錠だった。
 振り払うことなど出来ない。がっしりと腕にはまっている。どうやってこんなコンクリートのブロ
ックを付けられたのかさえ、彼女には分からなかった。
「お前がサツだなんて、なあ。変な噂だよな?」
 ジョニーはセリアのすぐ目の前に立ち、そう言って来た。もっと彼と距離を取らなければ、何
か武器を隠し持っていたら避けられない。
 だがセリアの後ろにも大柄な男がいたのだ。逃げようと思っても逃げられない。
(おい、セリア。どうした? 何が起こっている?)
 耳の中でリーが叫んでいる。そのくらい分かっているわ。でも、どうしようもないのよ。
「ええ、変な噂よ。そんな事、あるわけがないわ」
 セリアから漏れた言葉は、その場しのぎの発言でしかなかった。
「ほおお、そりゃあ疑って悪かった、セリア。だが、やっぱりきちんと確かめなきゃあだめだよ
な?」
 ジョニーがそういった瞬間、セリアはもう一方の腕にもずっしりとした重みを感じた。まさかと
思って腕を上げてみると、そちらにもがっしりとコンクリートの塊が取り付けられてしまっている
ではないか。
「何よ! これ!」
 両腕を、まるで手錠のようにコンクリートの塊が取り付いていたのだ。
「外に、ここから100メートルくらい離れた場所にだが、1台のバンが止まっている。何て事は
無い、目立たないデザインのバンさ。だが、この港では見ないやつだし、どうも様子がおかし
い。何て言ったってそのバン。お前が現れるすぐ前に現れたバンなんだからな?」
 ジョニーが耳元で囁く。セリアは、コンクリートを付けられた塊で、彼の顔を殴ってやる事もで
きたが、踏みとどまった。これは潜入捜査なのだ。再びジョニーの仲間にならなくてはならな
い。
 そう。彼がいくらセリアを弄ぼうとも、仲間にならなくてはならないのだ。
「バン? 知らないわよ、そんなの? 私と何の関係があるって言うの?」
 わざととぼけるセリア。手段と言えば、こんな方法しかないのだ。
「じゃあ、そのバンを調べても良いよな? 実はな、今日は港で大事な取引があるんだ。外部
に情報が漏れるとまずい。実にまずいんだ」
 取引、という言葉にセリアは反応した。
「何の取引よ?」
「さあな? だけれども、お前には後でじっくりと話を聞きたいと思っているんだ。オレと、お前の
仲だろ? 何でも話してくれるよな?」
 ジョニーもとぼける。彼の方が、今の状況では何手も先を行っていた。
 これが潜入捜査でなかったら、セリアは思わず唇を噛み締める。目の前にいる大柄な体の
男が『能力者』であろうと何であろうと、簡単に倒してやる事ができるのに。
「悪いなあ、セリア。お前を今回の取引に一緒に参加させてやるわけにはいかないんだ。何し
ろ、オレ達の大事な、大事な、取引がかかっているんだ。ここで大人しくしていな」
 するとジョニーはセリアの両腕に取り付けてしまっている、コンクリートの塊を掴む。するとどう
だろうか? 分かれていた2つのコンクリートの塊が、一つへと繋がってしまうのだった。
 しかも接着剤などで繋げられたのではない。セリアは、自分の腕がを拘束しているコンクリー
トの塊が、分かれていた状態から完全に、一体化するのを見ていた。ちょうど、ハンダゴテのよ
うなもので付けられてしまったかのように。
 一瞬で溶かして、また再び固めることができなければ、こんなに完全にコンクリートを一体化
などできないはずだ。しかしセリアは拘束されている腕を通して、熱い感覚を感じなかった。気
がついたら、コンクリートは一体化していた。
「私は、サツなんか知らないわ。ねえジョニー。私はあんたの所にもどってきてあげた。それだ
けで十分でしょう?」
 と、セリアが言っても、ジョニーは譲らなかった。
「ああ、その通りさ、セリア。だからお前がびびる事なんて何も無い。また友情を築き上げよう
ぜ」
 ジョニーはそう言ったが、瞬間、彼女の体を突き飛ばしていた。するとセリアの体は、廃品回
収場の壁の方へと飛ばされていく。その壁にしたたかぶつかると思ったセリアだったが、不思
議だった。
 彼女の体は、まるで沈みこむかのように、そのコンクリートの壁の中へとめり込んだのだか
ら。
 セリアの両腕を拘束しているコンクリートが、壁の中へと沈み込んでしまった。そして次の瞬
間には、壁は硬くなっている。セリアは両腕に手枷を付けられて壁に鎖で繋ぎとめられてしまっ
た囚人と化した。
「ジョニー! 久しぶりに会った友人に対して、失礼すぎるわよ!」
 とセリアは叫んだが、彼も、彼の部下達もセリアに対して、嘲り笑うだけだった。
「悪いが、取引が終わるまでだ。いいか?セリア。それが済んだら、じっくりと話し合おうや」
 ジョニーはそういい残し、その場からどこかへと向おうとする。部下達も一緒だ。ここからどこ
かへと向おうとする。
 取引で、と言っていたから、ジョニー達が向うのは、港に違いない。ジョニーは、何かと港で取
引をする事をこだわっている。何故かは分からないが、港で取引をする事が多い。
 この光景は、ネックレスに仕込まれたカメラによって、リー達へと情報が伝わっているはずだ
った。
 もしジョニー達が、取引によって、何らかの武器の密売をしていれば、彼らがその現場を押さ
えられる。そう願うしかなかった。



「おい、セリア。大丈夫か?」
 突然ブラックアウトした画面、激しい物音を通信機から聞いたリーは、セリアへと呼びかけ
る。彼女に何かあったのか? 最期に聞いたセリアとジョニーの会話からして、彼女がジョニー
達に疑われているという事はほぼ間違いなかった。
「セリア! 聞えるか!」
 リーは再度呼びかける。
「駄目ですね、こりゃあ。通信機が壊れてしまっているし、ネックレスの方のカメラも、真っ暗
だ。最近のは凄く小柄にできているけれども、どうしてもデリケートだから、すぐにイカレちまう」
 デールズが、通信機の受信機を軽く叩きながら言った。
「直せないのか? 早く復旧させろ」
 リーはデールズにそう言ったものの、彼は慌てて否定してくる。
「だ、駄目ですよ。これじゃあ。壊れているのはあっちだから、どうしようもない」
「しまったな、突入するには早すぎる」
 リーは、自分の頭に着けているヘッドセットを軽く叩きながら考えた。ここで軍の部隊を突入さ
せてしまっては、潜入捜査は台無しになる。ジョニーが『能力者』で、テロリストと何らかの取引
をする現場を押さえなければ、彼はすぐに釈放されるだけだ。
「どうするんですか? トルーマン少佐?」
 デールズは慌てて、リーに尋ねて来るが、彼は頭をフル回転させていた。
 こうなった以上。とるべき選択は一つしかない。
「港の倉庫の屋上に、部隊を派遣しろ。ジョニーが近く、何者かと取引をするのだというのなら
ば、その現場を押さえる」
 だが彼の言う取引は、ジョニーが、セリアという(多分、彼らはセリアを警官だとでも思ってい
るのだろう)存在がやって来た事で、中止になるため、確実に押さえられるという保証はなかっ
た。
 取引はジョニー達の警戒か、彼らの取引相手の警戒により、中止か延期になるかもしれな
い。
「トルーマン少佐。本部へと連絡して、部隊を動かしますか?」
 だが、デールズがそこまで言いかけたとき、リーは何かの物音を聞きつけた。
「待て。静かにしろ、何かがおかしい」
 その刹那、突然、2人と運転手の乗ったバンに、一発の銃弾が当たってきていた。バンの中
へと飛び込むことはなく、銃弾はバンの装甲によって弾かれる。
 続いて2発目の弾丸が発射された。それは、バンの装甲に再び当たる。3発、4発。さらには
数え切れないほどの勢いで銃弾がバンに命中してきていた。
「伏せろッ!」
 リーはデールズをかばって、狭いバンの床に共に身を倒した。
 銃弾は連続してバンの装甲に叩き付けられる。
 リー達の乗ったバンは、表向きこそ、うぶれて年季の入ったバンにしか見えないが、内装は
装甲によって作られており、そうそう簡単に銃弾が貫通してくる事はない。徹甲弾ならまだしも
だが、襲撃者は従来のマシンガンを使っている。
 数発もバンに撃ち込まれると、マシンガンの音は止んだ。外で何人かが話している。
「外部マイクに変更します」
 デールズがそう言って、身を起こして計器類の一つを操作した。
「こりゃあ駄目だ。ただのバンじゃあねえッ!」
「まるで、戦車だぜ。何でこんな所にこんなモンがありやがるんだ?」
 外で口々に言い合っているのは、ごろつきのような口調をした男達だ。おそらくジョニーの仲
間達だろう。
 さっき、ジョニーはこのバンの存在をセリアに指摘していた。おそらく、部下を確認にやったの
だ。
「早く、バンを出しましょう」
 デールズがそう言った。
「いや、このバンが装甲車で、しかも中に私達が乗っていると、ジョニーに知れたら、潜入操作
は続行できなくなる。セリアもどうされるかわからん。捜査は無意味に終わるだろう」
 リーが言ったとき、外部音声を集めているマイクから、外の男達の声が聞えて来る。
「おい、中を調べてみようぜ」
「いいや、さっさと、ジョニーに報告だ。ヤバいものを見つけたってな!」
「いやいや、もっといいものがあるぜ」
 口々に言い合う3人の男達。その内の一人が何かを持っている事を、リーは外部カメラで確
認した。
 細長いスーツケースのようなものだ。ごつごつとした作りで、民間の製品には見られないよう
なもの。
 だが、そのケースを持った男が、中から取り出したものを見て、リーは、更にこの状況を打破
する必要性に迫られた。
 外の男は、スーツケースから対戦車用のロケットランチャーを取り出し、リー達の乗ったバン
の方へと向けていたのだ。



《プロタゴラス港》6番埠頭



 ジョニー・ウォーデンは部下を5人連れ、《プロタゴラス港》の6番埠頭へとやってきていた。
 ここで、ある取引が行なわれる。準備は万全だった。
 だが、唯一の心残りがセリアだ。あの女が警官か、何かの政府の捜査機関の捜査官である
かもしれないという事は、以前にセリアがふっと現れて、またふっと消えてしまった事からも、ジ
ョニーは警戒していた。
 しかし、あの女の持つ、薔薇の花とそのトゲの関係にも似た、美しさと凶暴さは、そこらの警
官には無いものだ。むしろ自分達の方に近い存在とさえもいう事ができるだろう。
 ジョニーはそう思い、一時はセリアに心を許してさえいたのだ。それなのに。
 セリアが刑事か、政府の捜査機関か、そんな存在だと分かってしまってはどうしようもない。
もしかしたら、この取引の事を嗅ぎつけたのだろうか?
「なあ、ジョニー。今日の取引は中止にしたほうが良いんじゃあないのか?」
 ジョニーの部下の一人が彼に言った。
「馬鹿言っちゃあいけねえ。この取引はな、ただの武器とか麻薬の取引とは違う。一世一代の
大勝負なんだよ」
 ジョニーは部下に喝を入れるかのようにそう言った。
「だ、だがよォ。サツが来ているんだぜ。さっき見回りに行かせた奴らも、おかしなバンを見つ
けたって」
 別の部下がそう言って来たもので、ジョニーはその部下の胸倉を掴んで体を持ち上げた。ジ
ョニーの方が何センチも身長は高かったから、部下は足をばたつかせる。
「おい、お前頭の中空っぽか? これは、オレの人生がかかっている取引なんだよ! こんな
港を仕切って腐っていくだけの奴じゃあないって事はお前にも分かるよな? だから、オレはこ
の取引で人生を変えていってやるのさ」
 ジョニーはそこまで言うと部下の体を放り出した。
 するとその時、
「やあ、ジョニー・ウォーデン君。どうやらトラブルのようかね?」
 港の埠頭に現れた一人の男。その男は一人、女を連れている。2人ともスーツ姿だ。男の方
はサングラスをかけている。企業のビジネスマンというよりもむしろ、政府機関の人間にさえ見
える人物達。
 いつもならば身構えるジョニーだったが、この男と女は知っていたから、警戒を緩めた。
「いいや、大したトラブルじゃあない。ちょいと部下が生意気な口を利いたんでね。説教さ。だ
が、大したものじゃあない。オレは部下に手を上げる主義はねえんだ」
 と、ジョニーが言うと、彼の取引相手である、長身のサングラス男は一歩歩んだ。その背後か
ら女も同じように歩幅を合わせる。
「ほう、そうかね。それで、“商品”は用意してあるのかね? 次の機会には、すぐに取引できる
ようにと、言っていたが?」
「ああ、まあな。そっちこそ、ちゃんと金を振り込めよ」
 と、ジョニー。
「もちろんだ。我々はしっかりと取引をし、必ず相手には報酬を振り込んでいる。それも、君達
のような、組織のようなグループでは10回の武器取引をしても手に入らないような額をね。だ
からこうして、我々はビジネスを続けてきている。
 だが、やはり“商品”は見せてもらわなければね」
 ジョニーの目の前にいる男は、きちんと順序だてて物事を話している。まるで子供にでも聞か
せるかのように。
 まるで自分達を子供使いしているんじゃあないのか、とジョニーは思いかけたが、大切な取
引を、下手な感情で不意にしたくはなかった。
「お前の望んでいる“商品”なら、目の前にいるぜ」
 ジョニーは含みを込めて言った。だが、男はさして驚かなかったようだ。
「ほう? では、まさか君が?」
「ああ、そうさ。オレ自身が“商品”だ。オレの持つ『能力』がな。てめーらに、最高の値段で売り
つけてやる」
 ジョニーは声も高らかにそう言うのだった。



 一方、ジョニー達の根城である、廃品回収業者の建物に、腕を固定されて拘束されているセ
リアは、急いでこの場から脱する方法を考えていた。
「ねえ、ジョニーは一体、何の取引をしようって言うのよ? どこへ行ったの?」
 セリアは自分を落ち着かせながら、彼が一人だけ見張りに置いて行った部下に話しかけてい
た。
 だがその部下は新顔で、セリアの事など、この場で初めて知ったらしく、椅子に座りながら、
雑誌を読んでいた。
 ジョニーが側においている者達のように、特に大柄でもない。痩せている上に、若造にしか過
ぎない。ただの街のチンピラの成り上がりだ。
 雑誌、と言っても、小型の基盤が取り付けられた透明なディスクから、ホログラムで空間に表
示される、光学的な紙面で、昔ながらの雑誌とは大分異なる。
「さあ? 知らねえな? オレは何も聞いちゃあいねえ」
 と、部下は知らん顔で言ってくる。本当に彼は何も知らないようだったが、聞き出している価
値はありそうだ。
 今の状況のままでは、潜入捜査が全て無駄になる可能性もあった。だが、現在、取引が行な
われているというのならば、その現場を押さえてしまえば、ジョニー達を拘束できる、具体的な
証拠を掴めるかもしれない。
 セリアはそう思い、ある行動に出ることにした。
 彼女は心を落ち着かせた。焦ることはない、自分には必ずできる。これを使うのは、割と久し
ぶりだったが、軍の捜査機関で荒っぽい仕事をしていた時は何度も使ってきた。
 だからできる。要は焦らない事が大切なのだ。
「ねえ、あなた? ジョニーの所は長いの?」
 セリアはそれとなく、ジョニーの若い部下に尋ねてみた。
「いいや、半年くれえかな?」
 彼は雑誌の電子画面に目が行ったままで、セリアの方を向いていない。しめたとばかりにセ
リアは更に集中した。
「彼っていい人?」
「まあ従ってさえいりゃあな」
 そう答えた瞬間、ジョニーの若い部下は、自分の目の前にセリアが立っている事を知った。
「あらそう? それは良い人ね」
 相手が何かをする間もなく、セリアは、手に付けられた、半分溶けかかっているコンクリート
の塊で相手を殴りつけ、怯ませた。
 さらに、セリアの腕を拘束していた腕から、ぼろぼろと、コンクリートの塊は剥げ落ちていく。
 コンクリートから解放されたセリアの腕は、ジョニーの部下の若い男の喉笛を掴んでいた。
「ジョニーはどこへ行ったの?」
 セリアは相手の喉笛を掴んだまま、彼の体を持ち上げていた。セリアは相手の男よりも若干
背は低かったものの、腕を挙げれば、まるで軽いものを持ち上げるかのように持ち上がってい
た。
「し、知らねえよ」
 そう男が答えたのも束の間、彼の声は絶叫に変わっていた。
 セリアが手袋をしたままの腕で掴んでいる男の喉。そこから煙が上がり、肉を焼く音が聞えて
きていたのだ。
「どこよ? 答えなさい」
 そう言い放った、セリアの体は、うっすらとオレンジ色に発光していた。特に手の部分がぼう
っと光を放つ。
「港、み、みな…、と。ろ、6番ふ、とうだ…」
 男は、焼かれている喉から、必死になって声を漏らしていた。
「そう、教えてくれてありがとう」
 そう言うなり、セリアは相手の喉から手を離した。若いジョニーの部下は、廃品回収工場の床
の上に力なく投げ出される。彼の体からはまだ煙が上がっていた。
Next→
5


トップへ
トップへ
戻る
戻る