|
レッド・メモリアル Episode02 第3章
5:41 P.M.
幼馴染であるシャーリを助けた後、アリエルは、バイクに跨って、《ボルベルブイリ》の街へと
繰り出していた。
街をバイクで走るといつもアリエルは思う。
この国のどこの街に行っても、自分を満足させるものはどこにもない。どことなく歴史的な風
景を残している《ボルベルブイリ》の街並みも、酷く寂れており、街の通りのいたるところには浮 浪者がたむろしている。
車だってほとんど走っていない。むしろアリエルが乗っているバイクなど、ほとんど見かけるこ
とも無いのだ。
人々の主たる移動手段は、街の地下を走る地下鉄だった。地下鉄も、結局の所は動いてい
るだけの通りのようなもので、浮浪者のたまり場と化しているが、実際、交通手段にはなってい る。
車に乗るよりも安上がりになるというし、何より、駅員がサボっているような駅ならば、十分に
無賃乗車をすることができるのだ。
《ボルベルブイリ》は、『ジュール連邦』の首都ではあったが、その荒廃ぶりはどんどん加速し
ており、東側の国に比べれば、技術的にも大きく劣る形になっている。
本当にこの『ジュール連邦』を主軸とした東側の国は、テクノロジーで大きく勝る西側の国と
実際に対立できているのか、国民としてみれば怪しい事この上なかった。
アリエルも、幼い時はまだこんな国の内情について知らなかった。そもそも、養母に引き取ら
れ、《ボルベルブイリ》から離れた郊外で暮らしていた時は、都市の荒廃など知る事はなかった し、むしろ寒くはあったけれども自然な環境に恵まれていたのだ。
アリエルのような『ジュール連邦』の若者が、国の内情や、西側の国と続く、『静戦』について
知る事になるのは、学校で習う歴史の科目だ。
そこでは、『ジュール連邦』側を相当に美化した歴史を学ばされるのだが、歴史上の真実、ど
れだけ東側の国が退廃しているかは、若者達は、コンピュータのネットワーク上で知る事にな る。
西側の『タレス公国』では、電気エンジンだけではなく、水素燃料や、太陽発電による車が高
速でハイウェイを疾走し、地下鉄も、2本の線路の上を走るのではなく、リニアモーターによって 走る事をアリエルは知っていた。
それらは『ジュール連邦』側の、半ば独裁政権とも噂される政府によっても、決して規制する
ことの出来ない情報として若者達には知られている。
アリエルも、学校寮のネットワークを閲覧し、『タレス公国』の国に憧れ、輸入したバイクにさえ
乗っている。
東側の国が荒れている原因が、何でも、共産主義に起因しているという事はアリエル達も良
く知っていた。この国が、働いた分だけ賃金を支払う国ではなく、皆が平等の賃金を払うという 制度を取っているという事を。
だったら、死ぬ物狂いで勉強して、昼も夜も、机にかじりついている人であっても、結局、バイ
クを乗り回して、適当に勉強して、学校を卒業する事を目指している者達も、同じ評価を受ける だけ。
そう感じている若者、そして大人が原因となって、『ジュール連邦』とその他の周辺諸国の荒
廃は加速しているのだ。
アリエルも、いつまでもこの国にいるつもりはない。学校を卒業したら、『タレス公国』にでも移
住したかった。もちろん養母も一緒に連れて。そのために、バイクの荷物運びをしているのでも あるのだ。
最初は、学校のクラスメイトの紹介で始めたアルバイトだったが、今となってはほぼ毎日請け
負うようになっている。
アリエルに渡される小包は、大抵が手に収まる程度の小さなものばかりで、アリエルがそれ
を運んだことで、トラブルに巻き込まれてしまうものかどうかは、実際に中を覗いたことが無い ために彼女も知らない。
ドラッグにしてみても、あまりに物が小さすぎた。
それをバイクで運ぶだけで、バイクのパーツが10も20も買えてしまうほどのお金がもらえる
となれば、アリエルも文句を言うつもりは無かった。
今日も《チャコフ港》で、アリエルへと一つの小包が渡されようとしていた。
だが、今日はいつも会う男のほかに、一人の大柄な男がついてきていた。見上げてしまうよう
な、山ほどの体格もあるような男達で、アリエルの体の2倍ほどの大きさはあるだろう。
「ど、どうも。こんにちは」
アリエルは、少しおどおどとしながら、必要も無い挨拶を彼らにした。
「なあ。オレはお前を信頼している。そりゃあ、ここ1年の間、ほとんど毎日、荷物運びを頼んで
いる事からもはっきりと分かるだろう?」
「あっ、はい」
アリエルにとっては意外な言葉だった。しかしそれにはどうも裏がある。それは彼女にとって
も理解できた。
「だけどな。1年も働いていれば、そりゃあ、この国の奴らならば当然さ。手を抜きたくなってき
ちまう。例えば、おかしな奴らに付けられたりしてな?」
そう言って男は、アリエルに近づき、首の後ろ側を掴んできた。それもかなり強い力でだ。
「い、痛!な、何を?」
と、アリエルは思わず慌てて言った。しかし彼女を追い詰めるかのように、男が耳元で囁く。
「今日限りは許してやる、今日限りはな。だがな、お前がどんなものをいつも運んでいるかを知
ったら、もっと気をつけるようになるだろうぜ」
そう言うなり、男はアリエルの首から手を離した。そして、いつも渡されているものと同じような
小包をアリエルへと渡す。
「いつもの所だ。よろしく頼むぜ。だけどな、今回は報酬ナシだ。分かるな?」
「え、ええ」
そのように答えたアリエルは、相手の脅迫に対して、納得するしかなかった。
やれやれ、とんでもない事になってきちゃったな。
そう思いながら、アリエルは男から預けられた小包を抱え、《ボルベルブイリ》の市街地を疾
走していた。
街中にはすでに雨が降っていて、空の雲行きは怪しい。今日はどうやら雨になってしまうよう
だ。これは《ボルベルブイリ》特有の気候で、しょっちゅう雨が降ってきてしまう。しかしアリエル は、例え雨が降ってもこの仕事を放棄するつもりはさらさら無かった。
だが、あの男達が見せた態度は脅し。もしかしたら自分は、とんでもない事をしているのかも
しれないとアリエルは思い始めていた。
そろそろ潮時かもしれない。せっかく友達に教えてもらったアルバイトだけれども、危険な事
が多すぎる。
バイト代が高額なのは嬉しかったけれども、どんな上手い話にも裏があるものだ。アリエルは
そう自分に言い聞かせた。
昨晩に、おかしな黒い高級車に襲われたのだって、自分から望んでした事じゃあない。ただ
向こうからいきなり襲ってきただけだというのに。
やっぱり、危険なことに手を出すべきじゃあないのだろうか?
そう思ってバイクを加速させるアリエル。ヘルメットや、ライダースジャケットに叩きつける雨
は、だんだんとその強さを増させてきていた。
ヘルメット内のバイクに直結した便利な表示は、今日の天候は雨と表示されていた。ヘルメッ
ト内にも、『ジュール連邦』内を網羅するネットワークの情報は、受信されてきており、それはリ アルタイムで更新される。
同時にバイクの速度計やエンジンの回転数、電力残量や、詳細なデータまでも表示されてい
て、バイクに乗るために、ヘルメットは欠かすことが出来ないツールなのだ。
そもそも、こんな高性能のバイクに乗れる高校生など、『ジュール連邦』にはアリエルくらいし
かいないかもしれない。
雨はどんどん激しくアリエルへと叩きつけていた。今までも酷い雨に出会ったことはあったア
リエルだったが、今日は何か違う気がする。
どんどん強くなってきているのだ。今では夕立と同じぐらいの勢いでアリエルへと雨はぶつか
ってきていた。
これはちょっと、一休みしないといけないな、とアリエルは思う。ライダースジャケットはその素
材のお陰で防水性に優れていたけれども、あまり雨水に濡らすつもりは無かった。
しかしバイクを止めたとき、アリエルは周囲を見回した。
《ボルベルブイリ》の街の様子が様変わりしていたのだ。
ここは、どこだろう? 見覚えの無い所へと彼女はやってきていたのだ。雨が激しく降ってい
るせいか、通りには人の姿がほとんど見られない。雨のせいで迷ってしまい、いつもとは違う場 所に来てしまったのか? アリエルは周囲を見回す。
雨に打たれるまま、どこに駆け込んだら良いのだろうと周囲を見回すアリエル。すぐにヘルメ
ットの操作盤を操作して、ナビを起動させようとした。
しかしその時、突然雨が濁流のようになって、アリエルへと襲い掛かってきた。
いきなりアリエルへと襲い掛かってきた濁流のような雨。それはもはや雨と言うものではなく、
さながら津波のようなものだった。
アリエルはどうすることもできず、その濁流に体を呑み込まれてしまい、バイクと共に、何メー
トルも道路を流された。
一体、何が襲い掛かってきたのか。初め、アリエルは理解することが出来なかった。
あまりに突然に、あまりに勢いのある水に襲い掛かられたのだ。
アリエルは身を起こそうとしたが、突然、もの凄い圧力に襲い掛かられ、しかも溺れそうにさ
えなった。気絶しそうにさえなった体を起こし、周囲を探る。
バイク。バイクはどこだろう。
幸いな事に、バイクはアリエルのすぐ側にあった。頭がパニック状態になりながらも、とりあえ
ずアリエルは安心する。
しかしバイクもびしょ濡れだったし、雨はどんどん彼女へと襲い掛かってきていた。路面にた
たきつける雨の音は、夕立ちと言えるものではない、もっと激しい何か、だった。
こんな激しい雨に遭遇したことの無いアリエルは、かなり慌てていた。大雪は降る事はあって
も、雨はそんなに降らないこの街に住むアリエルは、半ばパニックに襲われる。
早くどこかの建物に避難しなくてはならない。しかしそんな彼女を追い討ちするかのように、
再び、濁流のような水の流れが襲い掛かってきたのだ。
その濁流へと背中を向け、襲い掛かってくる水を防ごうとするアリエル。しっかりと倒れたバイ
クのハンドルを握り、衝撃に備える。
道路をまるで流れの早い川のように流れてきた濁流は、再び彼女へと襲い掛かってきてい
た。
ただただ身でその濁流を受けるしかない。体を丸めてしっかりとバイクのハンドルを握ってい
たアリエルだったが、再び濁流によって体を流されてしまっていた。
今度は、意識を失いそうになる事は無かったが、路面へと投げ出されていた。まるで石つぶ
てか何かのように彼女の体へと降り注ぐ雨。
バイクのハンドルを握ったまま路面に倒れていたアリエルは、素早く身を起こした。
「何なの!何なの!これは一体!」
ヘルメットをしたままのアリエルの声はくぐもっていて、さらに彼女のパニック状態になったか
のような声は雨音によってかき消されていた。
この雨は、明らかに正常な雨ではない。何かがおかしい。そうだ。こんな雨、この《ボルベル
ブイリ》で今までに起こった事は無い。あまりに雨が激しすぎる。
周囲を見回したアリエル。この通りには不思議なことに、アリエル一人しかいない。さっきの
濁流で、通りにいた者は皆流されていってしまったのだろうか? 立ち並ぶ建物も、突然の雨 に、雨戸を閉めてしまっている。
周囲を見回し、状況を確認するような間もなく、再びアリエルに向って、濁流が迫ってきてい
た。
この濁流が何故起きているのか、にわか雨だけで、果たしてこんなに激しい濁流が発生する
のか、それはアリエルには分からなかった。
しかしながら、今度もまた同じように濁流に打たれるわけにはいかなかった。あの水に何度も
襲い掛かられるようなことがあったら、多分、その衝撃で自分は気を失ってしまうだろう。
濁流から逃れるべく、アリエルは最速でバイクのエンジンを再び回転させ、建物の方へと逃
れようとした。直後、大きな音を立てて濁流が通りを呑み込んでいく。アリエルは、半分押し倒 されそうになりながら、建物の一つへと、バイクごと突入していった。
どこかのアパートらしい。数度の濁流と、突然降り出した雨によって、建物内部に至るまでび
しょ濡れだった。
アリエル自体も相当に濡れてしまっていた。ヘルメットを脱ぐと、その内部に至るまで、まるで
水中に潜ったかのように濡れているという事が分かる。
しかし不思議だった。何でこんなに激しい雨が起こり、しかも濁流が自分に襲い掛かってきた
りしたのだろう。
しかもこの濁流、まるで自分に対して襲い掛かってきたようだった。何かに操られたかのよう
にして…、
と、アリエルは自分の背後、建物の内部から気配を感じ、素早く振り返った。
そこには、真っ黒なレインコートを着た何者かが立っていた。フードを目深く被っている姿と、
黒いレインコートが相まって、まるで死神のような姿をした者。大柄な体格からして、男だろう。
アリエルは思わず警戒した。
「だ、誰!」
しかしレインコートの男は、
「大人しく気を失っていれば、痛い目に遭わずにすんだものを」
と、恐ろしげな声を放ち、アリエルへと接近してくる。
そしてアリエルに向って手をかざして来た。
すると、男の背後から、どこからとも無く、通りでアリエルに向って襲い掛かってきたような濁
流が発生した。
突然起こった濁流。それも建物の中で起こった濁流だった。一体何故、建物の中でこんな濁
流が起こるのかも分からない。
アリエルはどうする事もできないまま、その濁流に襲い掛かられるがまま、バイクから振り落
とされた上に、建物から飛び出し、路面へと投げ出された。
彼女は悲鳴を上げていたが、それすらも、激しい豪雨によってかき消されてしまう。
建物の中から、まるで溢れ出すように出てきた濁流が彼女を飲み込んだ。外の通りはまるで
川のように水で溢れ、更にそこへと豪雨が降り注いでくる。
多量の水はすぐに下水に引いていく事は無く、しばらく通りを川のようにして留まる。
アリエルは、そんな水の中へと沈んでいたが、すぐに上体を起こして激しく咳き込んだ。
「何、一体、何で、こんな」
彼女は感じていた。体が、鞭で叩かれたかのように痛い。もの凄い水圧が、彼女の体に叩き
付けられてきていたのだ。無理も無い。
だが目の前に迫って来る、黒いレインコートの男は、再び濁流をけしかけてきそうだった。
大柄なその男は、アリエルを見下ろし、まるで死神のようにそこへと立ちはだかっている。
「あなたは、一体、誰?誰よッ!」
アリエルは叫んだが、相手の男にそれは聞えたのだろうか? 男の方は、再び、アリエルの
方へと手をかざし、何かをけしかけて来ようとしていた。
何故、この男が、濁流をアリエルへとけしかけられのか? それもまるで自分の体の一部とし
て、水を思いのままに操っているようにも彼女には見えた。
そもそもアリエルには、自分が襲われる身の覚えも無かった。
そうだ。もしかしたら、バイクに積んだままの、あの荷物が原因なのか。
もしかしたら、あれが原因で私は襲われているのではないのだろうか?
「あなたの望みは、一体、何なのよッ!」
アリエルは叫ぶ。あんな荷物なんてさっさとあげるから、この死神のような男には、この場か
ら消えて欲しかった。
濁流に襲い掛かられるのは、想像以上に辛い事だった。一瞬、大波に呑み込まれていくか
のように溺れかかるし、何よりその圧力は、体を何メートルも背後へと押し流すほどなのだか ら。
だが、男の方は何も答えるようなことはせず、アリエルの方へと近付いてくるではないか。
再び、アリエルの方へと手をかざしてくる。
その時、アリエルは、この男が、どうして濁流を操れるのか、目の当たりにすることになった。
空から降り注いでくる雨。それが、この男の背後で、まるで意志を持っているかのように一つ
へと固まっていく。それは蠢きながら、まるで、水道に流す水が、排水溝に流れる直前、一箇 所へと渦を巻いて集中していくかのように。男の背後で、大きな質量を生み出していたのだ。
男は、それをアリエルへと向けてけしかけて来ようとする。調教師が飼いならした動物をけし
かけるかのような仕草で、水はアリエルの方へと濁流となって襲い掛かろうとする。
何故、この男は、こうやって自分を痛めつけようとしているのか、アリエルには理解できなか
った。もしかしたら、自分を殺そうとしているのだろうか。そうも考えた。
しかし、本気で殺そうとするならば、こんな風に雨水をけしかけてくるような真似をするだろう
か。
そう。もっと直接的な方法を使って、自分を追い詰めていくはずだ。
この男は目的があって、こうやって水を使って自分を追い詰めてきているに違いない。
じゃあその目的は何なのだ?
目の前に水が迫って来ている。おそらく、これをまともに受けるような事をしたら、気を失って
しまうかもしれない。濁流に押し流されて、反対側の通りに体をぶつけて大怪我を負うかもしれ ない。
だからアリエルは、逆にその濁流へと飛び込んで行った。
目の前の男の姿が揺らぐ。その男は、濁流の向こう側にいる。もし、このまま気絶して、連れ
去られたり、大怪我を負ったりしたくなければ、目の前の男を倒すしかなかった。
アリエルは濁流に正面から飛び込む。しかし、ただ飛び込んだのではない。両腕を目の前に
翳して、まるで自分の体をロケットのような姿勢にして飛び込ませたのだ。
アリエルの目の前で、猛烈な勢いで迫ってくる濁流。それは彼女の上での前で、ぱっくりと2
分された。
アリエルの体によって、濁流は2分される形となって、彼女の両脇を通過して行く。アリエルは
濁流の激しい勢いから、高い飛び込みのように脱出するのだった。
「ほう、なるほどな。お前」
黒いフードを被った男がそのように呟いてくる。アリエルのすぐ側に立ったその男は、異様な
までの存在感を放っていた。
彼が見下ろすアリエルは、その両腕から奇妙な物体を出していた。腕から腕の方向に突き出
すような形として、左右の腕それぞれに1枚のブレードが突き出していた。
それは金属のような輝きを放ち、彼女の着ているライダースジャケットを突き破って、彼女自
身の腕と一体化していた。
|