レッド・メモリアル Episode02 第5章



4月8日 10:16 A.M.



 全身を、鞭で打たれたかのような痛みが残っている。今日は休んでしまっても良かったが、と
ても落ち着いてなどいられない。
 何しろ昨日の夕方に、何度も濁流をこの身に叩き付けられ、あげくに一人の人間を殺したの
だ。
 アリエルは、自分を正気に保たせるだけでも一苦労だった。おかけで昨晩は一睡もすること
が出来なかった。自慢の赤髪をセットする暇もロクにないし、生乾きのライダースジャケットを
着て、学校の寮を飛び出してきたようなものだった。
 もともとショートヘアのアリエルだったから、準備に時間をかける必要はなかったのだけど。
 バイクも所々傷が付いていた。水没することで、使えなくなってしまうバイクではない。例え、
深海の海へ沈ませても、きちんと走行する。とさえ、通販の売り文句では言っていた。
 だからバイクはちゃんと走らせる事ができた。
 こんな時は、養母に電話をかけたかった。アリエルにとって、何か辛いこと、悩み事などがあ
れば、それは養母が全て話を聞いてくれる。今までも何度か助けてもらったことがあった。
 しかし、昨日起きた出来事は違う。昨日起きた事を、もし養母に伝えたならば、自分の事をと
ても心配するだろう。そんな心配を、アリエルは養母にかけたくはなかった。
 始業のチャイムはとうに過ぎている。もうすぐ、一時間目の授業が終わってしまう。
 この国の学校の教師の中には、いいかげんな教師もいて、一時間目が終わる大分前に授業
を切り上げる、それどころか自習ばかりにしてしまう教師もいる。
 だがアリエルのクラスは、きちんと、終業ベルが鳴るまで授業を続けるクラスだった。
 昨日は、自信満々の姿を見せていたアリエルだが、今日は違う。何とも酷い有様で、クラスメ
イト達の前に姿を見せてしまった。
 バイクで夜の道を走り、大分無茶をしていると思われていたから、喧嘩でもして、酷い目に合
わされたままこの場に来たのだとでも思ったのだろうか?
 アリエルのクラスの教師も、特に彼女をとがめなかった。



 アリエルが途中参加した授業が、数分も進んだ頃、身も心もほとんど集中できていない授業
は中断され、担当の教師が、教室の外へと呼び出されていた。
 何が起きたのだろうと、アリエルはふと顔を上げる。すると、その教師は教室の外の廊下で、
教師が誰かと話している。
 何か、様子がおかしい。そう思った彼女は聞き耳を立てた。
「ええ確かに、アリエル・アルンツェンは、うちのクラスの生徒ですけれども、まさか彼女が何か
をしてしまったのですか?」
 教師の声だけが聞えて来る。相手の方の声は、ぶつぶつとした口調で話しているらしく、アリ
エルには全く聞き取ることが出来なかった。
「今すぐ会いたいって?今は、授業中です。せめて、授業が終わってからにしていただければ」
 という教師の制止を振り切って、謎の人物達は教室の中に踏み入ってきた。
 そこに現れたのは、黒服の男達だった。まるで喪服のように真っ黒なスーツを着た男が教室
の中に踏み入ってくるではないか。
「や、やばい!」
 直感的にアリエルはそう思い、思わず口走っていた。あんな黒服の連中がここにやってくるな
んて普通じゃあない。
 どうしたらいいだろう。学校にまで踏み入られてきちゃあ、もうどうしようも無いんじゃあないの
か?
 アリエルは頭を回転させる。黒服の男達は、生徒達の注目を集めながらも、どんどんアリエ
ルの方へと近付いてくるではないか。
 どうにか、どうにかしなければ。
「ちょっと!困ります!せめて授業が終わってからに!」
 教師の制止をも振り切り、男達は、アリエルの机のすぐ目の前に立った。
「アリエル・アルンツェンだな?私は、国家安全保安局の者達だ。われわれと一緒にご同行願
いたい」
 と男達は言ってくる。
「国家、安全保安局?」
 アリエルは疑問を持ってその男達の顔を見上げた。警察じゃあないのか?男達は、まるでロ
ボットのような無表情さをアリエルへと向けて来ている。
 警察じゃあなくって、国家安全保安局が、アリエルの元にやって来た。何の為だ? 何の為
に、私を? 国家安全保安局と言ったら、それは政府の役人達という事だ。政府の役人が、一
体、何の用事だというのだ。
「さあ、立ちたまえ。我々と一緒に来るんだ」
 と、男の一人が促してくる。
 しかしアリエルは直感した。この男達に付いていってはいけないと。
 すかさずアリエルは、自分の机の位置から走り出していた。他の生徒達の机や椅子を押し倒
しながらも、教室の窓の方へと駆けていく。
「あっ!待て!」
 国家安全保安局を名乗った男のうちの一人がそう叫んだが、アリエルは聞く耳を持たなかっ
た。
 窓の方へと駆けていった彼女は、この教室が2階であるにも関わらず、その窓を素早く開き、
そして下へと飛び降りた。自分が通っている学校の教室なのだから、窓の下に何があるかは
良く知っている。
 そこは駐車場だった。教師専用ではあるが、アリエルのバイクも停車してある。
 アリエルは窓から飛び降り、地面へと着地した。本来、17、18の少女が2階から飛び降りた
りしたら、脚を痛めるか骨折するだろう。しかし彼女の脚の筋肉は、彼女の落下の衝撃を全て
吸収、分散してしまう。
 着地の瞬間、アリエルの体は、赤い色に光っていた。
 不思議だったが、アリエルは、自分が、普通の人間にはできない、身体能力を出すとき、自
分の体が、ほんのわずかだが、赤い色に光るという事を知っていた。
 この光が何なのか、彼女自身はまだ自分でも分かっていない。だが今は、それを使うしかな
いのだ。
「下へ逃げたぞ!早く下に伝えろ!」
 黒服の男達が叫んでいる。下にも仲間がいるという事だろうか。
 アリエルは素早く行動した、自分のバイクのエンジンをふかし、学校の駐車場から飛びだして
行った。



 一方、その頃、アリエルのいたクラスの教室は騒然としていた。
 謎の男達が突然やってきて、アリエルが窓から飛び出していく。ほんの1分程度の間の出来
事だったが、授業は中断してしまった。
 そんな中断した授業中。一人の生徒が、目立たないように教室の外へと出て行った。
 そして、人気の無い廊下の隅で携帯電話を取り出す。『ジュール連邦』の学生は、例え《ボル
ベルブイリ》に住んでいるような学生であっても、携帯電話を持っているという事は稀だった。
 そのためか、この生徒は隠し持つように携帯電話を持っていた。
 そしてある番号を呼び出した。
「シャーリです。“彼”を出してください」
 携帯電話をかけていたのは、シャーリだった。彼女は、廊下に誰もいない事を確認しながら、
“彼”が電話口に出るのを待った。
「どうだ、動き出したのか?」
 と、男の声が尋ねて来る。
「ええ、動き出しました。国家安全保安局がここに来ましたよ」
 シャーリは手早く、“彼”に報告を行なった。
「ほ、う。そこまでか、思った以上に事は、すすんで、いるな…」
 そこで、電話先の男は激しく咳き込んだ。その咳は、健康な人間が、風邪などで出す咳とは
明らかに異なる。
 明らかに不治の病。それも、もう末期だという事が分かる咳の仕方だった。
「ですが、私にお任せ下さい。対処は十分に可能です」
 シャーリは、一点の曇りも無いかのような、はっきりとした口調でそう言うのだった。
「そうか、では任せたぞ、最も信頼のおけるわが子よ…」
「はい。承知仕りました。お父様」
 シャーリはそこまで言い終わった後、電話を切ろうかと迷った。このまま電話を切ってしまっ
たら、二度と父の声は聞くことが出来ないかもしれない。
 だが、切らないわけにはいかなかった。あの女を追うためには、いつまでも父親の事ばかり
気にかけていてはならないのだ。
 意を決して、シャーリは携帯電話を閉じた。



 アリエルは、バイクを全力疾走させ、学校から脱出しようとしていた。
 彼女は背後を振り返る。あの黒服の男達が、もしや追ってきているのではあるまいかと気に
なってしまう。
 何故、こんな事に。学校から抜け出したりするのはこれが初めてではない。だが、2日も連続
で、得体の知れない連中に追い掛け回される事なんて、今までに無かった事だ。
 アリエルは、鞭で打たれたような痛みが残っている体で、必死になりながらバイクを、道の角
に曲がらせた。
 するとそこでは、二人の男が車に乗って道を塞ごうとしていた。
 一昨日に、高速道路を走ってきている時、現れた連中とそっくりだ。もしかしたら同じ車なの
かもしれない。
 アリエルはバイクを減速しようかとも思ったが、このまま減速して、あの男達を巻く事なんてで
きるだろうか?
 一昨日の夜、車が立ち塞がった時は、開けた通りだったし、背後から車も接近して来ていな
かった。だが今、アリエルがいるのは、学校裏手の狭い道でしかない。
 バイクをターンさせることもできないし、バイクをリモートコントロールで遠隔操作する事もでき
ない。
 何しろ慌てているせいで、バイクのコントロール画面でもあるヘルメットを被っていないのだ。
 アリエルはバイクの詳細な操作を、ヘルメットの画面で行なっていたから、今はハンドル付近
の操作しかできていない。
 もう進む道は一本しかなかった。アリエルはバイクを疾走させて、目の前の車の中に突っ込
んでいこうとした。
 黒い服の男達は接近してくるアリエルのバイクを取り押さえようとでも言うのだろうか、身構え
てくる。
 狭い路地では加速も十分でなかったため、時速40kmぐらいしか出ていない。飛び掛ってこ
られれば、アリエルのバイクも横転してしまう。
 案の定、真横から飛びつかれた黒服の男のせいで、アリエルはバイクを横転させてしまって
いた。
 更に飛びつかれた男によって、アリエルは取り押さえられてしまう。
「何をするの!離してよ!」
 アリエルはバイクから転げ落ちた姿勢のまま、男達によって取り押さえられてしまう。
 アリエルは叫ぶが、男達の方はと言うと黙々と与えられた仕事をしているという感じだった。
 だが、突然男の中の一人が叫び声を上げた。そしてアリエルの体から慌てて後ずさる。
 その男は、腕を押さえていた。血が地面へと滴る。スーツは綺麗に切り裂かれていた。
「やはり『能力者』だ!そいつの腕に気をつけろ!」
 アリエルは、自分の右腕から、自分自身の体の一部を硬質化させて、刃の姿として出現させ
ていた。
 アリエルの出す刃は、まるで骨でできているかのような姿をしているものの、切れ味は本物だ
った。
 強い力で、地面へと押し付けられるアリエル。
「しっかりと取り押さえておけ、手錠をかけろ」
 と、男達が、アリエルの体を地面へと押し付けた。アスファルトの硬い地面に押し付けられ、
見上げるアリエルの目の前には、濃いサングラスをかけた男達が見下ろしていた。
 彼らは一体、何者なんだ?アリエルは問いかけたかった。
 学校にまで押しかけてきて、自分に一体何をしたいのだろう?こんな事を、街のギャングや、
荷物運びのバイトで関わっているような連中ができるものとはとても思えなかった。
 しかも、この男達の風貌。政府か、何か大きな組織の者達に違いない。
「おいおい!何をやっている!もっと丁重に扱いしろ!」
 そこへ、一人の男の声が響いてきた。更に数人の男達の足音。
「しかし、この者が、敵対的意志を」
 アリエルに腕を切り裂かれた男が、腕から滴る血を抑えつつそう言った。
「それは関係ない、協力的姿勢を見せなければならない。立たせろ」
 新たに現れた男は、この黒服の男達の中でも、最も影響力が強い人間。つまりリーダー格で
あるという事がアリエルにも分かった。
 アリエルは半ば乱暴にその場から立たされて、リーダー格の男の目の前へと立たされる。
「アリエル・アルンツェンさん。私は、『ジュール連邦国家安全保安局』の者だ。ご同行願いた
い」
 半ば義務的に、その男はアリエルに言ってきた。
「い、嫌よ。私は何も」
「そうか?じゃあすまんな。手錠をして連行しろ!腕には気をつけるようにしてな」
 男達は無理矢理アリエルの腕を、彼女の体の後ろに持っていき、そこに重厚に作られている
手錠を取り付けた。その手錠はとても重く、アリエルは腕ごと地面へと落とされるような気分だ
った。
「あなた達は、いったい何者?なんで私にこんな事を!」
 アリエルは、リーダー格として振舞っている男に言い放つ。すると彼は答えた。
「お前が、『能力者』だからだ」
 リーダーの男がそう言うなり、アリエルは、黒塗りの車の中に、まるで押し込められるかのよ
うに入れられてしまった。
 どこへと連れて行かれるのか、それも知らされないままに黒塗りの車はアリエルを乗せたま
ま発車した。



 一方、騒然となった学校では、アリエルがいなくなって、さらに男達が教室に入ってきて、授業
は中断されてしまっていた。
 その合間、廊下に出たシャーリは、電話をかけていた。
 携帯電話を女子高生がかけている事さえ怪しまれる、『ジュール連邦』の社会だったから、シ
ャーリは階段裏の倉庫の中に隠れ、電話をかけている。
「奴らが…、行動を始めるのは、思ったより早かった…。これは、うっ…」
 電話先から話してくる男は、まるで老人のような声で、時々咳き込む。彼が何かしらの病気に
かかっている事は、シャーリでなくとも理解できただろう。
 相手が電話先に放ってきた咳の音を聞き終えた後、シャーリは話し始めた。
「お父様、無理をなさらないで下さい」
 すると、彼女が父と名を呼んだ男は、再び話し始めた。
「い、いや、良いのだ、シャーリよ。この病もいずれ和らぐときがくる。その時のためなのだ…。
お前が行動するのはそのためなのだ」
 と、電話先の男は言ってきた。シャーリは少し黙って、思考を巡らせた後に一言だけ答える。
「はい。全て私にお任せ下さい」
 彼女は相手の男が今、どんな状態であるのかを良く知っている。余計な心配をかけてはなら
ない。しっかりと、自分の行動で示さなければ。
「よし…。それでこそわが娘だ。良いかシャーリよ。奴らが、アリエル・アルンツェンを手に入れ
たのならば、お前はそれを取り返さなければならない。それは分かるな?」
 電話先の男の声に、シャーリはすかさず答えた。
「もちろんです」
「直ちに行動しろ。時間が迫ってきている。もし、お前がアリエルを連れて行く事ができなけれ
ば、私は死ぬ」
「はい」
「そして、別の方はどうだ? アリエルではなく、あちらの方は?」
 時々咳を混じらせながら、男はシャーリに言ってきた。
「問題ありません。全てお任せ下さい」
 シャーリは決意を露にしたような目で電話先の男に言った。
「よし、それでこそ我が娘だ。私のために、すべてを任せたぞ」
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