レッド・メモリアル Episode05 第2章



《プロタゴラス市内》72丁目


「オットーを泳がせているですって?」 セリアは携帯電話を耳に押し当て、リーからの通話にぶ
っきらぼうに答えていた。
(ああ。これから奴がどこかの誰かと接触するかもしれんからな)
 電話先のリーの声は冷静だった。住宅地で銃撃戦があったとの事だったが、彼の口調はい
つもと変わっていない。銃撃戦などまるで無かったかのようである。
(会いたいとお前が言っていた、協力者には会えたのか?)
 と、リーがすぐに言ってくる。
「これから会うところよ。今、アパートの前。何か分かったらすぐに連絡するからね」
 と言ってセリアは通話をオフにした。
 セリアがやって来ていたのは、《プロタゴラス市内》にあるアパートだった。オフィス街からは
程遠く、むしろ繁華街の近くにある。人の雑踏がいつもは聞えて来るはずだったが、今日は静
かだった。
  セリアがこのアパートに来るのは初めてではない。裏通りから入って、薄汚れた廊下を通っ
て、ある扉の前までやって来るのも、何度も経験した事だった。
 セリアはアパートの一室の呼び鈴を鳴らした。
 すると、しばらくして、部屋の中から、半ば眠たげな様子で一人の女が顔を覗かせた。長い茶
髪が、今まで寝ていた事を示すように酷い有様だった。
「セリア…?待ってたよ…、でも、ちょっと待って…」
 その女は半ば寝ぼけたような様子でセリアに言って来る。だがセリアはため息を付くと、彼女
が扉を開くよりも前に、玄関を全開にして足を踏み入れた。
「待っていた、じゃあ無くって、眠っていたんでしょ、あなた、今まで」
 フェイリンは部屋の中にいる女を振り向いてそう言った。その女はパジャマ姿のままで、足も
スリッパだった。
「う…。昨日の内にやっておこうとしたら、途中で眠くなっちゃって…、でも、ホラ。あれだよ。もう
頼まれたことはできているから安心して…」
 女は慌ててそう言ってくるのだった。
「あなたは、大学時代から何も変わっていないのね…、フェイリン…」
 と、セリアが言うと、フェイリンと呼ばれた女は、眼をぱちぱちさせてセリアの方を見てきた。
「え…、何が?」
 フェイリン・シャオランは、セリアが大学に通っていたとき、同じ寮の同じ部屋だったルームメ
イトだ。
 彼女は、『レッド系』の人種で、コンピュータオタク。専攻もコンピュータプログラミングで、その
方の成績は優秀だった。
 活動的だったセリアと違って、フェイリンはコンピュータいじりと、ビデオゲーム、漫画が趣味
だったのだが、意外と人なつっこく、3年先輩であるセリアとも仲が良かった。 フェイリンは、
大学卒業後、大手のコンピュータ会社に勤めていたのだが、どうも会社で働くことが性に合わ
なかったらしく、数年で退職している。
 以来、ハッカー業にいそしんでいる彼女は、結婚もしていないし、子供もいない。ずっとオタク
のままだが、何かとセリアは頼りにしていた。
「これが、『グリーン・カバー』の銀行取引の記録?」
 セリアが、フェイリンの部屋に表示されている画面を見て呟いた。フェイリンは、他にも3、4
つの画面を使って、部屋の中に株式情報、為替情報も掲載している。彼女は定職に就いてい
ないが、こうやって金を稼いでいるのだ。
「そぉううよ…」
 あくびをしながら、部屋の奥で着替えてきたフェイリンが姿を見せた。コーヒーカップを片手
に、セーターを着込んでいる。髪をセットしてきたらしいが、眼鏡をかけていて、化粧っ気が全く
無い姿は、レッド系の人種の顔立ちと合わせて、彼女がオタクである事を示していた。
「これを見る限り、大して派手な取引はしていないわね…。もし、うちの軍とヤバい取引をしてい
たりしたら、あいつの部下が見つけているだろうし…」
 フェイリンの方をちらっと見ただけで、セリアは再び画面を見入った。こうしていると、まるで大
学時代を思い出す。
 あの時は、セリアにとっても、何もかも忘れたい時期だった。だから、大学に身を寄せていた
のだから。
 フェイリンは、セリアにとっては、忘れたい事を忘れさせてくれる存在のようなもの。  今、こ
の世界で起こっている現実さえも忘れさせてしまいそうだった。
「と、思ってさ。裏帳簿みたいなのも見つけたんだ。見つけ出すの、大変だったんだから」
 と言って、フェイリンは、離れた位置から、セリアの見ている画面を操作した。彼女の指には
既に操作リモコンが取り付けられており、彼女の手の動きと連動して画面が動く。
 セリアの前には、別の電子化された帳簿が現れた。
 セリアは、その帳簿を読み取っていく。彼女は専門的な簿記の知識も資格も無かったけれど
も、目の前に現れた帳簿は、明らかなものを示していた。
「そぉんなに、この会社が気になるの?『グリーン・カバー』?そんなの上場銘柄にあったっけぇ
…?」
 フェイリンが興味津々と言った様子で、セリアの背後から尋ねて来た。
「一応、あるわよ。でも、気をつけておいた方がいいわ。もし、株を持っているんだったら、早め
に全て売り払っちゃう事ね」
「そんなに、ヤバイ会社なの…?あたし、知らないけれどもさ」
 セリアは、画面に現れている表をチェックしていく。
「当座預金の取引が多いわね。あとは小切手と…。現金では無くて、銀行口座からの取引が
ほとんどよ。しかも海外口座。取引相手の名前は、『チャコフ財団』って…?」
 セリアは画面の前に立ち止まって、帳簿の情報を頭に入れようとした。このフェイリンがハッ
キングしたものは、軍のよこしたメモリーに入れておけば良いだけだが、セリアはすぐに頭から
引き出せるようにと、覚えこんでおくのだ。
「その企業、凄いねえ…。下の方にあるけれども、ビル建設って、何千億もの金額を動かして
いるんだ。将来有望じゃあないの?」
 フェイリンが背後から言ってきた。彼女の言葉が気になり、セリアは『グリーン・カバー』の裏
帳簿の一番下をチェックする。
「建物建設って、これ、どういう事よ?『チャコフ財団』から、何千億も受け取っているわ…。国
家予算並みじゃあない…」
 帳簿にずらりと並ぶ数字の長さに、セリアは思わず息を呑んでいた。
「もし建物建設のためだとしたら、一つの街を作れるほどかもね?その『チャコフ財団』っていう
ところも、相当の大金持ちなんじゃあないの?」
「ええ、そうね。気になるのは、『グリーン・カバー』が、この金額で一体何をしようとしていたかっ
て事よ。この会社は軍需産業よ。建物の建設って、会社の建物の改築や新築にこんなにかか
ったりするとは思わない。資金が流れている先が、気になるわ。そう、あとこの『チャコフ財団』
っていうところも!」
 フェイリンの方を振り向いて、セリアが言った。
「あたしに、調べてって、言っているんでしょ。分かったわ。やってあげる。但し、朝、昼、晩とお
ごってくれたらだけど」
 と、悪戯っぽくフェイリンは言ってきた。 「ええ、いいわ。そのぐらいだったら、おごってあげら
れるから」
「あらら、あなたらしくないなぁ…。でも、それなら、あたしも話に乗っちゃう!」
 と言いつつ、フェイリンはセリアの座っている横の椅子に座り、コンピュータの操作盤を操作
して、部屋の中の画面を操りだした。フェイリンの住んでいるアパートの一室には幾つ物が画
面が現れ、仮想空間を作り出す。
 フェイリンは眼鏡越しに素早く視線を動かしつつ、仮想空間を流れるあらゆる情報を処理し
始めた。
「セリア…。あなたの子は見つかったの…?大学時代からずっと捜しているでしょ…」
 と、画面を操作しながらフェイリンが話しかけてきた。
 セリアは黙り、じっと、フェイリンが動かしている画面を見つめている。
 彼女が答えようとしないので、フェイリンはさらに口を動かした。
「軍を辞めた、ってのもさ、あなたは自分の子を捜したかったから、でしょ…?でも、これは、軍
の仕事だよね?あなた、本当に戻ったの?」
 とフェイリンが言ってくる。どう答えようかとセリアは迷ったが、
「わたしの子を捜してくれる協力者が、軍にいたのよ」
 それは、リーの事だ。彼に持ちかけられた取引の事を、“協力”とセリアは言いたくなかった
が、フェイリンに分かるように言うには、これしかなかっただろう。
 だが、フェイリンは、
「子供を捜してやるから、軍に戻れって言われたの?」
 と、一旦コンピュータの操作をやめて尋ねて来た。
「そんなとこよ」
 セリアは、フェイリンとは目線を合わせずにそう答えた。
「酷いんじゃあない?それって…?」
 セリアの脳裏にリーの顔がちらつく。あいつが、酷い奴かどうかはまだセリアには分からなか
った。『グリーン・カバー』に自ら乗り込み、危険を顧みなかったあいつを、酷い奴。役人だか
ら。と言えるだろうか。
「さあね。でも、もう大分、調査は進んでいるみたいだけど。国防省の国民管理センターですっ
てよ」
「じゃあ、その人との取引はもう終わっているんじゃあないの?あなたは役目を果たしたんだか
ら、もうこれ以上かかわる必要は…」
 フェイリンにしては珍しく、セリアの事を心配してくるかのように言ってくる彼女。フェイリンの
方がセリアよりも3歳も歳が下だったが、まるで姉であるかのように彼女を気遣っているよう
だ。
 しかしセリアは、
「乗りかかった船でしょ。どうせ、他にやる事なんてないんだし。わたしに話を持ちかけてきた連
中は、わたしが途中で辞めるなんて言い出したら、多分、取引は中止だ。とか言ってくるでしょ
うから…」
「相変わらず、変わっていないねえ…、セリアは」
 笑いながらフェイリンが言ってきた。
「何がよ?」
「子供の事も、ずっと捜し続けているし、自分が納得いかないと思ったことは、とことん追求す
る。納得できるまで立ち向かえるなんて、そんなことができるのは、セリアだけなんだけれど
…」
 と言ったとき、セリアの携帯が鳴り出した。
「ああ、そう。それは褒め言葉に受け取っておくわ。それよりも作業を続けていなさいよ」
「はいはい」
 セリアは携帯電話を耳にあてがう代わりに、イヤホンを取り出してそれを耳に取り付けた。携
帯電話を持たなくても通話をすることが出来る。
(セリア?進展はあったのか?)
 さっそくリーの声が聞えて来る。彼と出会ったのは2日前だったが、その無機質な声はセリア
にとって、昔からの知り合いであるかのような響きを持っていた。
「ええ、進展アリよ。『グリーン・カバー』は、『チャコフ財団』という所と繋がりがあったわ」
 セリアはフェイリンの横の椅子から立ち上がり、彼女のアパートの一室を歩き回りながら話し
出す。
(『チャコフ財団』?)
「ええ、そうよ、聞いたことある?多分国内の団体じゃあないんでしょうけれど、数千億という金
額がやり取りされているわ」
 そうセリアが言うと、リーは少し黙ったので、彼女は話を続ける。
「最後に大規模な取引があったのは一ヶ月前なの。わざわざ裏帳簿まで用意して、そこにきち
んと記載があったのよ。『グリーン・カバー』は、この《プロタゴラス》市内にある、55番地の土
地と建物を『チャコフ財団』に売っているわ」
 すると、リーが言葉を返してくる。
(君の言う、その『チャコフ財団』とは、『ジュール帝国』の団体だ。国内で開発が遅れている地
方農村などに、医療チームを派遣して診療をしたり、病院を建設したりする…) 「はあ? 何で
そんな慈善団体と、この国の軍需産業が係わりをもつのよ?取引内容だって、普通の企業の
取引の比じゃあないわ!」
 セリアは思わず声を上げていた。
(ああ、だから怪しいな。その『チャコフ財団』について調べる必要があるって事だ。特に『グリ
ーン・カバー』との関係を)
「ええ、だから、たった今調べさせているわよ…」
 リーの言う事など、セリアは分かっている。セリアは少し苛立った声でそう答えていた。
(信頼できる者なんだろうな、お前が手を借りているって言うのは…)
 リーが再び疑り深い声で言ってきた。
「ええ、信頼できるわよ。わたしの在職中は、何度も手伝ってもらっているんだから。外部の請
負ってことで、軍にも記録が残っているはずよ。彼女のことは…」
 とセリアが電話先に言っていると、フェイリンがちらちらとこっちを向いてきていた。
(そうか…。だが、外部の人間にやらすべき仕事ではない。特にこういったデリケートな問題は
な。軍の人間にやらせるのが…)
「あんた達の軍じゃあ、『グリーン・カバー』の機密データにも入り込めないのに? 『チャコフ財
団』の情報をつかめたのも、彼女がいたからなのよ。
 それに彼女に対する信頼は、わたしがずっと頼ってきていることからも、明らかじゃあなく
て?それは記録を見れば分かるはずだわ」
 リーの言葉を覆い隠すようにして、セリアは言い放つ。
 電話先のリーはしばし黙った後、口を開いた。
(分かっている。だが、完全に信頼しきったりはするなよ。それと、軍の捜査に関わらせるという
事は)
「ええ、分かっているわよ。危険に対して常に備えておけ、でしょ」
 リーが次に言ってくるであろう言葉を先読みし、セリアは相手の言葉に覆いかぶせるようにし
て答えてしまうのだった。
(ところで、『グリーン・カバー』が買い取った土地の所在地は分かったのか?)
 リーが話を切り出してくる。むしろ今はそちらの方が重要な事だった。
 セリアは、画面の前で操作しているフェイリンの方を向いて尋ねた。
「どこ?フェイリン。場所よ。『グリーン・カバー』が買い取った土地と建物は?」
「ええっと…、55番地の再開発地区よ。住所は、ここ」
 フェイリンが画面を操作すると、そこに、《プロタゴラス市内》の地図と共に、一塊のエリアがマ
ークされた。彼女はものの数分足らずで、裏帳簿の情報から『グリーン・カバー』が買い取った
土地の所在まで突き止めてしまった。
「そこ、ね…。大分ここから近いわね…。わたしの端末に送って頂戴」
 セリアは、自分が持っていた携帯端末を、フェイリンのデッキと通信させ、その情報をダウン
ロードする。
「ここ、再開発地区で、まだ建設ばかりしている所よ。調べた住所でも、まだ建設中の建物にな
っている…」
 と、フェイリンは言うが。
「だけれども、調べてみる価値は十分にあるのよ。何故、この再開発地区を買い取る必要があ
ったのか、しっかりとね」
 その時、セリアの耳元のイヤホンにリーの声が響いた。
(セリア。逃げたオットーにつけて置いた発信機だが、お前が調べた再開発地区へと向ってい
るぞ…。今、追跡しているが…)
 リーの言葉に、セリアにはある考えが生まれた。
「その再開発地区だったら、わたしの今いるところからすぐよ。多分、あなた達よりも、オットー
よりも先に辿り着けるから、待ち伏せをすることができるわ」
 携帯端末に送られた画像をチェックしながらセリアは提案した。
(君が、オットーを待ち伏せる…、だと?)
「何よ。その不安そうな声は?」
 セリアがイヤホンマイクに向って言い放つ。
(また余計な事をしないでもらいたいと思っていてな。お前が下手に手出しをすれば、オットー
の弁護士が黙っちゃいない) 「あらそう? でも、後始末はあなたの仕事だからね」
 携帯端末をスーツのポケットに押し込むとセリアは、足早にフェイリンのアパートから出て行
こうとする。
「フェイリン。助かったわ。ありがとう。もしまた新情報があったら、この端末に送って頂戴」
「はーい。分かったわ。でも、お茶ぐらいしていく時間無いの?久しぶりに会ったんだからさ」
 玄関から足早に外へと飛び出していこうとする、セリアの慌しい姿を見て、フェイリンが尋ね
たが、
「申し出はありがたいんだけど、今は残念なことにそんな時間は無いわ。今度ゆっくりと、ね。
一応、おごりも、その時って事で…」
 セリアは、フェイリンぐらいの前でしか見せない笑顔を見せてそう言った。
「セリア。また無理したりしないでよ…。あなた、熱くなり過ぎて、時々周りが見えなくなるんだか
ら」
「ええ、そのくらい自分で知っているわよ」
 と、だけ言い残して、セリアは、フェイリンのアパートから出て行った。
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