レッド・メモリアル Episode05 第5章



「オットーは、たった今、始末しました。もう証拠も何もかも、残ってはいませんよ」
 車で移動しながら、スペンサーはある人物に電話をかけていた。
(ああ…。それは良い事だ。これで、『タレス公国』側にとって見れば、我々との接点は何もなく
なる事になる…)
 スペンサーを乗せた車は、言葉を話す事が出来ない女、ブレイン・ウォッシャーによって運転
され、再開発地区から抜け出ていた。すでに《プロタゴラス》の繁華街を走行している。
「え、ええ…。ですが、気がかりになる点が一つあります」
(何だ? まだあるのか?)
 少し苛立ったような声で、電話先の男が言ってきた。
「ジョニー・ウォーデンです。彼を、まだ我々側に引き入れてはいません…」
(ほう…?)
 スペンサーは、見る事もできない電話先の男の表情を想像しながら言葉を並べた。
「彼を、我々側に引き入れることが出来れば、有用な存在として働いてくれるでしょう。現に、
我々に武器を提供してくれたのも、彼の組織と、彼の『能力』があってこそのもの…。
『タレス公国』側に捕らえられるよりも前に、我々に引き入れることが出来れば。戦力になり、
同時に我々へと繋がる全てのリンクを断ち切ることが出来ます。
 今後の計画をより迅速に行なうためにも、必要なことと言えるでしょう」
 と、スペンサーにとっては最良の答え方をしたつもりだったが、電話先の男はそれほど甘い
存在ではなかった。
(だが、そいつは、我々の元から逃げ出した。そんな奴を信用するのか?)
 すかさず切り返してくる電話先の男。この男は、ほんの少しの妥協もしない。ほんの少しの見
逃しもしないのだ。やるからには完璧を求めてくる。
「いいえ。それは、軍があの場にやってきたからでしょう。もしあの場に軍が現れなければ、無
事にジョニーを仲間に引き入れることが出来ました。オットーに手を煩わされる事もありませ
ん」
 スペンサーがそう言ったのを聞いてか聞かずか、電話先の男は、すぐに言葉を返してきてい
た。
(ふん。そうか? まあ良い。すでに奴はそちらで活動を続けている。本格的な行動に移るの
は、明日だ)
「な…、も、もう明日に? 幾ら何でもそれは…!」
 最後の言葉に、スペンサーはうろたえた。彼自身、全くそのように考えてはいなかったから
だ。
(一週間だ。分かるか? 一週間以内に、我々の計画は完成し、目的は遂行される。但し、何
者もの邪魔が入らなければ、だがな。
 お前がジョニーを仲間に引き入れたいのならば、そうしろ。だが、計画に遅れるようならば切
り捨てる。いいな?)
「は、はい…。分かりました。」
 一週間と言うのも早すぎる。スペンサーも急いで行動していたはずだったが、この男は更に
急かしたものを我々に求めている。
(それと…、そうそう。『グリーン・カバー』との接点も全て消してきただろうな?)
「そちらの方は問題ありません。どうせ、『グリーン・カバー』など、所詮は捨て駒に過ぎなかっ
たのですから。重役達も何も知らない。オットーを消したのは正解でした」
 と、言いつつも、スペンサーにとってもはやそんな事はどうでも良かった。
(また、進展があったら連絡をしろ)
「はい」
 電話先の男はすぐに通話を切った。
 スペンサーは、車の後部座席に身を埋めて、しばし思考する。あの男がいかに危険な存在
かを知っている彼にとっては、これから先の失敗ができない事は良く知っていた。
「彼は何て?」
 突然、車の中に、声が響き渡った。それは人間の女の声だったが、どことなく無機質な響き
を持った、電子化された声で肉声ではない。
 前の座席で運転をしている、ブレイン・ウォッシャーの"声"だった。彼女は言葉を話す事がで
きなかったが、彼女が常に携帯している装置によって、彼女の唇の動きを、文字化して画面に
表示する事もできるし、音声として発することが出来る。
 彼女自身、あまり人に向って口を開くことも少ないため、この装置の音声機能は使いたがら
ない。だが、スペンサーと2人きりで、車と言う閉じられた空間にいるためか、音声機能を使っ
ていた。
「彼は今晩から動く。そして、1週間後には全ての計画が完了する」
 スペンサーが口を開き、センサーが彼の口の動きを読み取る。
 ブレイン・ウォッシャーの運転席の前に表示されている画面に、文字列が現れ、彼女はそれ
を読み取った。
「そう…」
 ただ一言、相槌だけが、車内に響き渡る。
「ああ、あと一週間で、この世界が変わる。彼はそう言っていた」
 独り言のように呟いたスペンサーは、自分達を乗せた車の窓から、《プロタゴラス》の街並み
を見つめた。
 大都市の繁華街。何十年も、大きく変わる事のなかった街並み。
 この光景も一週間後には全てが様変わりする。いや自分達が様変わりさせるのだ。
Next→
6


トップへ
トップへ
戻る
戻る