レッド・メモリアル Episode10 第3章



 アリエルはミッシェルの体を押し上げるようにし、病室の天井裏へと母の体を持ち上げた。そ
れだけでも一苦労だったが、自分の背よりも高い高さを登って、自分の体も天井裏へと持ちあ
げなければならなかった。
 天井裏に達したアリエル。そこは真っ暗で何も見えない。母、ミッシェルが寝かされていたベ
ッドに備え付けられていた、非常用の懐中電灯を使い、ミッシェルは周囲を照らしてみる。とり
あえず、人2人分が通ることができるスペースだけはあるようだ。
 病室ではシャーリの部下達が激しく扉を蹴り、蹴り破ろうとしている。もう扉は持たないだろ
う。
 彼らが、アリエル達が天井裏を移動している事を気づくよりも前に、できるだけ遠くへと逃げ
なければならない。
 アリエルとミッシェルの体が、天井裏をある程度通過した時、ようやく病室の扉が蹴り破ら
れ、数人の男達がミッシェル達のいた病室へと足を踏み込ませていった。
「お母さん!」
 アリエルは前を進む母の事が心配になり、彼女の名を呼び掛ける。とりあえず母は無事だ。
だが、天井裏を這って進む母はどことなく力が頼りなく、ゆっくりと進むことしかできていないよ
うである。
 病室へと踏み込んできたシャーリの部下達が、どのくらいで、自分とミッシェルが天井裏に逃
れたか、分かってしまうのだろう?
 1分。いや、もっと短いかもしれない。母のいた病室にはベランダさえ無いし、窓から外へと飛
び降りる事も出来ない。逃げるとしたら天井裏しかないのだ。
 だが、天井裏のような狭い場所に入りこんでしまえば、男達を十分に巻く事ができる。アリエ
ルはそう判断していたのだ。



 シャーリは、容態が急変した父親の最後の命令で、彼の病室を飛び出していた。アリエルは
いつの間にか自分達の傍から逃げ出した。
 お父様の容態が急変し、わたしが目を離した隙に逃げ出したのだ。シャーリはお父様の命令
で何が何でも彼女を見つけなければならない。
 だが、容態が急変したお父様が、もしそのまま逝かれてしまったら?
 あれだけ想っているお父様の最後の時に、自分はその場にいない事になってしまう。だが、
アリエルを逃がしてしまっては、お父様の計画も台無しになる。
 シャーリにとってはお父様が何よりも優先する事柄だ。お父様の容態が急変したのは確かな
事。だが、医師でも何でもない自分が、お父様の元にいて何ができるのだろう。せいぜい、手
を握っていてやることぐらいしかできない。
 お父様の事はレーシーに任せよう。彼女もお父様の血を引く者の一人だし、お父様に何かあ
ったとしても、レーシーなら対応できる。
 そう、自分はアリエルを追えば良いのだ。
 シャーリはショットガンを片手に持ち、駆け足で、アリエルの母、ミッシェルがいるであろう病
室の中へと向かった。
 案の定、シャーリの部下達が武器を構え、ミッシェルの病室の中へと足を踏み込んでいこうと
しているところだった。
「どうなってるの!」
 シャーリが苛立った声で部下達に尋ねる。アリエルめ。大人しくしていれば良いものの、全く
世話をかけさせる娘だ。
「2人がやられました。どうやら、天井裏から逃げたようです」
 ミッシェルのいた病室の中に二人、仲間が倒れている。まるで鋭利なナイフか何かで攻撃さ
れたかのような傷跡だ。
 部下達にはアリエルもミッシェルも攻撃するなと命じてある。戦ったとしても、アリエル達は怪
我をしていないはずだ。
 お父様の命令で、何としてでもアリエル達は、生きたまま、しかも無傷で捕らえなければなら
ない。シャーリは天井を見上げた。
 そこは天井裏に通じるパネルが張ってある。一つでもパネルを剥がせば、そこから天井裏に
行く事ができるし、天井裏からは、病院の至る所に移動することができるだろう。換気ダクトも
あって、それは外へも通じている。
 シャーリは舌打ちした。このまま、アリエルを逃がすわけにはいかない。
「病院を封鎖するのよ。特に換気ダクト。病院の設計図でも見取り図でも引っ張り出して来て、
通じている場所を徹底的に封鎖するのよ」
 シャーリは部下達に背を向けて言い放った。
「病院を、封鎖ですか?しかしそれは」
 シャーリの背後で部下の一人が戸惑ったかのように言って来た。
「分かってんのよ。でもね。アリエルを逃がすくらいだったら、病院を封鎖する方がましよ!
 今、病室で2人が殺された。殺人犯が病院の中にいるとか何とか言って、さっさと病院を封鎖
しなさい。ただ、警察に通報するのは駄目よ。わたし達だけで、病院を封鎖するの!さっさとや
んなさい!」
 ショットガンの銃口を部下達の方へと向けて、シャーリは言い放った。
「りょ、了解」
 部下達は戸惑いつつも行動を始めた。足早にミッシェルの病室から外へと飛び出していく。
 病院を封鎖すると言う事。それがどういう事かはシャーリにも分かっている。外から見ればた
だの民間の病院でしかないこの建物すべてを、武装した私設部隊だけで封鎖しようと言うの
だ。
 病院の中には普通の入院患者もいるし、外来の患者もいる。あっという間に外部に病院の出
来事が知れ渡ってしまうだろう。
 だが、やるしかない。アリエルを見つけるためには病院を封鎖しなければならないのだ。
 お父様の為にと思い、シャーリはショットガンを握る力を強めると、自分もアリエルを探しに行
くため、行動し始めた。



「お母さん。何だか騒がしくなってきたよ」
 天井裏に身をひそめるアリエル達は、天井裏を進んでいく道中、俄かに騒がしくなっていた天
井裏の下の物音を耳にしていた。
 アリエルはミッシェルを先に行かせ、ゆっくりと身を潜めて進んでいこうとする。
 天井裏にいるという事はとっくにバレてしまっているのかもしれないけれども、天井裏のどこ
にいるかと言う事はバレてしまってはいけない。
 アリエル達はゆっくりと進む。だが、追っ手は、必ずアリエル達のいる場所を突きとめてくるだ
ろう。
 それよりも早く病院を脱出しなければならない。アリエルは分かっていた。
 だが、脳の手術をしたばかりの母は、這って進んでいく動きも、まるで亀であるかのようにゆ
っくりとしていてじれったい。無理をさせる事なんてとてもできなかったが、アリエルは焦ってい
た。
 と、ミッシェルが天井裏を這って行く動きが突然止まる。何かあったのだろうか?
「お母さん。聞こえている?早く進まないと」
 アリエルはミッシェルに呼びかけたが、彼女はぴくりとも動こうとしない。
 もしかしたら何かがあったのかと、母を心配するアリエル。
 さっき、母は脳の手術を受けたばかりだ。そして同じく脳の手術を受け、脳の一部を移植され
たというシャーリの父親はその容態が急変した。
 もしかしたら、母にも同じような事が起こってしまうのではないか。
「お母さん!大丈夫」
 アリエルは、天井裏にも響き渡るような声を発し、母に呼びかける。だが、それは、
「しーっ!静かにしなさい」
 というミッシェルの言葉によって遮られた。彼女は物陰にじっと潜むようにして警戒しているだ
けで、容態が急変したというわけではないようだ。
「一体、どうしたの?」
 今度はアリエルが小声になって言った。母の容態が急激に変化したわけではない事を知り、
ほっと一安心する。
 母は、天井裏に、ほんの少しだけ開いている隙間から下を見下ろしている。どうやらそこから
は天井裏下の廊下を伺うことができるようになっているようだ。
「男達がいる。2、3人。とても病院の患者や医師には見えないわね。さっきまで彼らはこの一
般病棟の辺りにまではやってきていなかったけれども、今はこっちにもやってきている」
 さっきとは、母は脳の手術を受けたばかりで意識も朦朧としていたはず。それなのになぜ、そ
の事を知っているのだろう。アリエルは疑問を持つ。
「ねえ、お母さんどうして、その事を?さっきまでお母さんは意識も朦朧としていたんじゃあ?」
 ミッシェルは天井裏の中で顔を上げた。顔を上げる姿が、天井裏に差し込んでくる隙間明り
から見える。
「ええ、もちろん意識朦朧としていたわよ。それでも、状況確認だけはしていたの。私も軍人だ
ったからね。その気質って奴かしら」
 と言われても、アリエルは関心どころか、逆に母を心配するかのような目で見つめてしまっ
た。アリエルがきょとんとしていると、ミッシェルはどんどん話を進めた。
「どうやら奴らは、この病院の全体にわたし達の捜索網を張ったみたいね。このまま逃げようと
しても、出口で捕まるのがオチよ」
「じゃあどうするの?このままここにいても、私達はいずれ捕らえられてしまうだけだよ」
 小声ながらも焦ったかのような、アリエルの声。
 と、アリエルが言った時だった。突然、暗がりの中に見える母の顔が苦痛にゆがみ、彼女は
天井裏の床の上に付く手を震わせてしまっていた。
「お母さん?」
 アリエルはまるでそれが信じられない事であるかのように、ミッシェルの顔を見つめる。すると
彼女は震える手を頭の位置まで持っていき、更にその痙攣を強めた。
 声はかろうじて天井裏の中だけに収まる程度のものだったが、やがてミッシェルは、体をも震
わせ、天井裏の床に突っ伏した。
「お母さん!」
 たった今まで無事でいたのに、突然母も容態が急変した。アリエルは動揺する。
 天井裏の狭い空間で、母の体を揺さぶり始めた。こうした時に、激しく体を動かしてしまってよ
いものだろうか、いけないのだろうか?アリエルには医学の知識も何も無かったからさっぱり
分からない。
「お母さん、お母さん」
 天井裏の狭い空間でどうする事も出来ないまま、ただアリエルは母の名前を呼び続けるしか
なかった。
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