レッド・メモリアル Episode20 第2章



 その頃、リー・トルーマン、そしてワタナベ・タカフミは、アリエル達が保護されている施設へと
二人でやって来ていた。もうその身分を隠すことも無く、ただ二人は堂々とその施設へと姿を
現したのである。
 リーは堂々とした姿でその場に現れていたが、タカフミは戸惑い気味だった。そもそも彼らは
『WNUA軍』に属している者ではない。ましてリーに至っては、そんな『WNUA軍』を裏切って独
断行動さえしている。ここで逮捕されてしまってもおかしくはないのだ。
 だが、リー達は堂々とこの施設へとやって来る事ができた。
 正面玄関にいる者達も、リー達が持っているパスを見るなり、少ししかめ顔をしたものの、車
を中に通してくれた。
「やれやれ。この判断が正しいとは思えないがな」
 タカフミは施設の中に足を踏み入れるなり、そのようにリーに向かって言うのだった。
「我々の組織の長。そして、『WNUA』側の判断だ。間違った行為とは思わない事だ。何にせ
よ、ベロボグに近づくためには必要な事なんだ」
 リーはそう言いながら、自分がタカフミを先導するかのようにして、施設の中へと入っていく。
 施設の中に入ると、そこでは即席で作られたボディチェックと、金属探知機が用意されてい
た。
 リーとタカフミは携帯していた銃と携帯端末を差し出し、『WNUA軍』の者たちがそれを受け
取る。
「まさか、我々の組織が、公に国の大統領たちと交渉を交わすとは、思っていなかったさ。こん
な事は、100年近い歴史の中でも初めてだ」
 タカフミは銃を差し出しながらそう言った。
「ああ、初めてだ。そして、最初で最後になる」
 リーも自分の銃をその場で差し出す。これで彼らは『能力者』とはいえ、無防備になってしまう
のだった。
 しかしそれでも抵抗は無い。何しろ、非常に硬く、誓いは守られているのだからだ。
「組織が歴史の表舞台に出るという事は即ち、その場で組織自体が解体する事になる。もは
や組織の意味を成さなくなるからだ」
 そのようにリーは言った。それは自虐的な言葉だったが、彼はそのような表情を一切見せな
かった。まるで、この状況が正しい事であるかのように、固い決意に守られていた。

 一方で、同じ施設内にいる、アリエルとミッシェルは長い抱擁を交わした後、ようやく落ち着い
て会話をする事ができるようになっていた。
 その場ではお茶が出され、あたかも刑務所の面会室のように無機質なところではあったけれ
ども、とりあえず、落ち着くことはできていた。
「あなたの本当のお母さんの遺品、ね。わたしも、あなたの本当のお母さんについては全く知ら
なかったけれども、それは、あなたのお父さんが隠していたからよ」
 テーブルの上にはアリエルの本当の母、セリア・ルーウェンスの遺品が丁寧に並べられてい
た。そこには、日々使われていたらしい化粧品などもあったし、簡単な文房具類、そして、軍で
得たのだろう、勲章もあった他、身分証明書として健康保険証があった。
「あなたの本当のお母さん。セリア・ルーウェンスさんについては聞いている?」
 ミッシェルは、タレス語で書かれている健康保険証を手に取り、それをしばらく眺めていた。
その健康保険証が何を意味しているのだろうか。
「実際に会ったというだけ。あと、軍隊にいる人だっていう事は聞いているけれども」
 アリエルはそう言った。それだけだ。実際に会ったのもほんの1時間程度の時間だけ、その
他の事については何も聞かされていないのだ。
「この人、退役軍人の健康保険証を使っている。それに軍のIDも持っていない。この人は、退
役軍人よ。こんなに若いっていうのにね。きちんと名誉除隊をしている。でも、もう軍と何の関
係も無いも同然という人のはず。なのに、なんでこんなところまでやって来たのか分からない
わ。
 現住所も、『タレス公国』の首都からは遠い所になっている。身寄りもいないようだし、孤独だ
ったようね。遺品がこれだけというので、よくわかるわ」
 養母ミッシェルはそのように言った。彼女は自分よりも、そしてセリアよりもずっと大人だから
分かるのだろう。
「今も、まだ実感がわかないでいる。本当の母親を失ってしまって、そのことで私は悲しいの
か、それとも、どうなのか。それさえも分からない。私は一体何者で、これから一体どのようにし
ていけば良いのか。何もかもが目まぐるしく私の周りを通り過ぎて行った。だから、私はどのよ
うに感情を示したら良いのか、それさえも分からないでいる」
 アリエルは自分の思うがままに、言葉を述べるのだった。
 母は今度はアリエルの手を握ってくる。
「そうね。まだ若いあなたには、あまりにも辛すぎたかもしれない。でも、もう頑張る必要は無い
わ。あまりにも一瞬の事過ぎて、それでも、あなたは頑張りすぎてしまった。あのベロボグ・チェ
ルノに言われるがままに、自分を追いつめてしまったの。でも、もう関わる事は無い。あなたは
あまりにも頑張りすぎてしまったのだわ」
 その養母の言葉は、アリエルにとっては、今まで何度もカウンセラーと会い、自分の心の内を
明かしてきた事よりも、ずっと心が休まる事となった。
 だが、やはりまだ気になってしまう事がある。『WNUA』の人々からは、父はあの《イースト・ボ
ルベルブイリ・シティ》のビルで死亡したと聞かされている。だが、本当はどうなのだろうか。
 アリエルはまだ安心する事ができなかった。もしかして、自分と養母をここに置いて、軟禁状
態としている事は、父、ベロボグ・チェルノは生きていて、やはり自分を狙っているのではない
のか。そして『WNUA』は、父に自分が渡る事を恐れている。だからこそこの行動をしているの
ではないか。そう思った。
「お母さんは、私の父が生きていると思う?」
 アリエルは突然、そのように尋ねた。
「あなたは、あのベロボグ・チェルノは本当に自分の父親だと思っているの? もしかしたら、そ
のように騙されてしまったのではないのかと、そう思ったりはしないの?」
 ミッシェルはそう言ってきた。だが、アリエルの脳裏にはしっかりと残っているものがある。そ
れは記憶だった。自分の頭の中に閉鎖されて残されていた記憶。
 アリエルは父の施設の中で、その記憶を呼び起こされていたのだ。そして、養母も、自分さえ
も忘れている記憶を呼び起こされる事となった。その記憶が偽物で作られたものとはとても思
えない。あれは確かにアリエルの中にあった記憶であり、父はそれを呼び起こさせようとしたの
だ。
 アリエルは、だからこそ父親についていこうとした。父が正しい事をしているからこそ、彼につ
いていこうとしたのだ。
「私は、本当に父が、悪い事をしていたのか、分からない。もしかしたら、やっぱり父について
いくべきだったんじゃあないかと、そう思っている」
 アリエルは、呟くかのように言葉を述べた。
 ミッシェルはアリエルから手を離さないままに答えてくる。
「ベロボグ・チェルノの事は、もういいの。あの人が、本当の父親であったのか、それとも本当
の父親でなかったという事なんて、もう忘れていいの。あの男はテロリスト。もう、あなたは関わ
らなくていい。もうこれ以上、危険な事に足を踏み入れなくていいの。
 確かに戦争は起こってしまって、『ジュール連邦』に住んでいた人達の暮らしも変わってしまっ
たわ。でも、あなたがそれに関わる必要なんてないの。また、学校に行って、大学にでも行きな
さい。あなたの人生が、なぜ、一人の男に決められなければならないの?それが父親だってそ
うだわ」
 ミッシェルはそのようにはっきりと言った。養母は温厚な性格をしているが、時として厳しい態
度を取る時がある。ちょうど、今の母がそうだった。
 彼女はアリエルに対して、はっきりとした口調で、言葉を告げてくる。それは迷わないかのよ
うな意志であり、はっきりとした意志がアリエルにも伝わってきた。
 養母の言葉は、あの父の言葉よりも確かにアリエルに伝わってくる。もし話がこの段階で終
わっていたならば、アリエルも養母の言葉をそのまま受け入れただろう。
 しかしながら、そうはさせられなかった。
 面会室の扉が開かれて、そこに軍服を着た男が現れた。何の断りも無く、突然、面会室の扉
は開かれていた。
「お話の途中で申し訳ありませんが」
 そのように軍人はジュール語で言ってきた。
「一体、何の用事なの。勝手に入ってきて」
 ミッシェルは少し苛立ったかのようにそう言う。
「あなた方に会いたいという人が訪れています」
「一体、それは何者?」
 ミッシェルが変わらぬ口調でそのように言うと、軍服姿の男は即座に答えてきた。
「リー・トルーマン氏と、タカフミ・ワタナベ氏です。『WNUA』からの依頼でこちらに来たとおっし
ゃっています」
 その言葉を聞いて、ミッシェルは顔色を変えるのだった。
「帰ってもらって頂戴。あの人達は、私の娘を散々に振り回したのよ。もう、そうっとしておいて
欲しいって言ってね」
 ミッシェルはそのように言って、軍服の男を突き放そうとするのだが、彼はさらに一歩部屋の
中へと足を踏み入れてきた。
「ですが、会っていただきます。『タレス公国』の大統領命令で彼らはここに来ていますので」
 彼はそう言って来るものの、ミッシェルは頑として譲ろうとはしなかった。
「得体のしれない組織の連中が、何で、大統領命令なんかでここに来れるのよ!あんた達は、
彼らを逮捕したってよいはずよ」
 養母が感情的になっている。だが、それは自分を守るためだという事は、アリエルにもはっき
りと分かっていた。彼女は自分をこれ以上何かに巻き込まないために、必死になって守ろうと
している。
 だがアリエルは、本当にこのまま皆に守られ続けなければならないのか。本当に自分はこの
ままで良いのかという感情を抱いていた。
「その人たちに会わせて」
 アリエルは思わずそう言っていた。それは本当に自分の口から出た言葉だったのだろうか。
「アリエル。あなたは黙っていなさい」
 そのように養母は言って来るのだが、アリエルはすでに椅子から立ち上がっていた。
「いえ、お母さん。私は自分で決めたいの。自分が進むべき道というものを自分で決めたい。
私には本当のお母さんがいて、そして父は危険な事に手を出している。それはもう受け入れ
た。この一か月、じっくりと考えて、私はそれらを、自分に与えられた運命として認めることがで
きたの。
 私はその運命から逃げるつもりはない。これから、私は生きていくために、それらの運命を
認めて、先へと進みたい。そのためには、あの人達と会わなければならない。そして、本当の
事を知りたいの」
 それはアリエルの本心だった。包み隠すことも何もない。この一か月間、あたかも魂が抜け
たかのような存在だったアリエルだったが、それはこの答えを出すために必要な事だったの
だ。
 いつまでも、自分の運命から逃げているわけにはいかなかったのだ。今まではそれを受け入
れることができないでいた。だが、今は違う。その全貌を見ることはできないでいるが、どのよ
うな事でも受け入れる事ができる準備はできている。
「アリエル。あなたは、もういいのよ」
 ミッシェルはそのように言って来るが、
「じゃあ、お母さん。私の脳だかに埋まっている、デバイスというものはどうなるの?これが、と
てつもないものだというものは聞かされた。だから、私の父や、その周りの人たちはこれを狙っ
てきている。
 この脳に埋め込まれたものは、一生取ることができないって聞かされた。だから私は一生、
この宿命から逃れることができない。決着をつけるまではね」
 その言葉を堂々と言う事ができたアリエル。養母はそれを、唖然としているかのような顔で見
てくる。
 そして彼女はため息をつくのだった。
「ふう、やれやれ。あなたという子は。あなたが、いつまでもくよくよするような子じゃあないって
いう事くらいはわたしも知っている。だけれどもね、これは親としての忠告よ。話は聞くだけ。あ
なたはそれ以上何も行動をしない。それで良いわね。嫌とは言わせないわ」
 母はそう言ったのだが、アリエルは納得しなかった。
 ただ話を聞くだけで終わろうはずがない。アリエルはそのような事くらいすでに分かっていた。
Next→
3


トップへ
トップへ
戻る
戻る