レッド・メモリアル Episode12 第6章



 アリエルは前後左右をテロリストの男達に囲まれ、病院の廊下の中を歩いていた。廊下の窓
は分厚いシャッターで封鎖されており、まるでこの病院自体が要塞と化しているかのようだっ
た。
 母は移動式のベッドの上の寝かされており、そのまま屈強な男達によってそのベッドを移動
させられている。
 このまま自分達がどこに連れていかれるのか、聞こうにも自分の周りにいる男達は無表情の
ままマシンガンを構えており、自分にはそれを聞く事もできなかった。
 そしてアリエルは、もはやこの場からこのテロリストの男達を倒し、逃げようなどとは考えなか
った。
 これ以上、母を危険にさらすわけにはいかない。今は母の安全を最優先に考えて、シャーリ
達に従うしかないのだ。
 アリエル達がある程度まで歩いていった時、別のベッドが合流してきた。それは長身の男が
横たわっており、それが自分の前で父と名乗ったあの男だという事を、アリエルはもう一目で理
解できた。
 更に、自分の妹だというレーシーという少女もそのベッドにくっついて来ている。それどころ
か、彼女は自分の父親のベッドの上に乗り、まるで無邪気な子供が父にじゃれているかのよう
な姿を見せていた。
「ねえねえ、お父様は、御病気が治ったら、またレーシーと機関車ごっこをしてくれるの?」
 と、ベッドの上で父親に跨り、レーシーはそのように言っていた。
「ああ、もちろんだとも、それに私の病気は治っている。この通りだ。またお前と機関車ごっこを
してあげられるよ」
 両腕を広げ、父と名乗ったその男は自分の姿をレーシーに見せつけるのだった。するとレー
シーは何もかも手放しにして喜ぶ姿を見せた。
「本当? わーい!」
 周りにはテロリスト達がマシンガンを構えているというのに、この娘はあまりにも場違い過ぎ
た。しかもこの娘が自分にとっての妹などとはとても信じられない。
 母親が違うとはいえ、その姿や性格は似ていない。アリエルは自分でそう思った。
 ベッドの上から、父と名乗ったあの男がアリエルの方へと顔を覗かせて言って来る。
「アリエルよ。今は理解に苦しむだろうが、もうすぐだ。お前ももうすぐに全てが理解できるよう
になる」
 その男の顔は、最後にアリエルが見た時に比べて大分落ち着いていた。それだけ、あの母
を使っての脳の手術が功を奏しているという事なのだろうか。
 そんな男の元に、医師らしき人物がベッドの上から話しかける。
「院長。手術は成功しました。状態も安定しています。しかしながら、またいつ副作用が現れる
か分かりません。1週間、いえ、1カ月は安静にして頂ければと思います」
 と、その医師に向かってベッドの上の男は声を出す。
「この世界が今、1週間も待っていられない状況下にある事は、君も知っていると思うが? こ
のまま作戦拠点を移す。あとの処置は自分でできる」
「しかし院長」
 そう言って来た医師の言葉を、ベロボグと言う名の男は遮って言った。
「この世界は今、それどころではないのだ。私達が救わなければ、一体、誰が救うと言うの
だ? その前では私の命の事など、少しの問題にならん。君は成すべき事をしろ」
 その男の声はもはや病気に蝕まれていた頃のように、しわがれた枯れ木のような響きを持っ
ていなかった。そこにあるのは確固たる意志であり、圧倒的なまでの存在感が彼から放たれて
いた。
「はい、承知しました」
 そのように医師は答え、ベロボグと、母を乗せたベッドは病院の更に奥地へと向かって行く。
一体、どこへ連れていこうとしているのか、アリエルには全く分からなかった。どうやら北側に向
かっているようで、ひっそりと静まり返った病院は不気味な雰囲気を放っていた。
 突然、ベロボグのベッドの上にいた、レーシーと言う少女が顔を上げて言った。彼女はまるで
何かに打たれたかのように身を起こす。
「お父様! 大変です! この病院に向かって、ミサイルが飛んで来ています!」
 その声は、今まで無邪気に喋っていた少女とは全く異なる、まるで機械が発したかのような
声だった。彼女の声は異様に大きく響き渡り、皆が彼女に注目する。
「思っていたよりも早いな。今はどの地点にいる? 脱出は間に合いそうか?」
 だがベッドの上にいる男は冷静にそう言った。
「《アルタイブルグ》に着弾するのは、おおよそ10分後です。脱出は間に合います。人質を避難
させる事もできるでしょう」
 とレーシーという少女は言った。
「そうか? ところで、シャーリはどうした? そろそろ戻ってくる所だが?」
 そのようにベロボグという男が言った時だった。
 突然、白い煙が廊下中に立ちこめた。周りにいた者達はその白い煙が漂ってくるまで気が付
かず、無防備なままだった。
 直後、何かが破裂するかのような音が廊下中に響き渡り、アリエルの側にいたテロリストの
一人が倒された。白い煙はどんどん廊下中に充満していき、次々とテロリスト達はその場に倒
れていく。
 アリエルは何が起こったのかも分からず、思わずその場に身を伏せた。頭を抱え、体を小さ
く縮める。白い煙が彼女の顔を覆ってきて、思わず彼女は咳き込んだ。これは毒ガスかもしれ
ない。そう思って口を塞ごうとしたが、すでに彼女は煙を吸い込んでいてたまらない不快感に襲
われていた。
 テロリスト達のうめき声や、彼らが放ったマシンガンの銃声が響く。だが、白い煙が覆ってい
て、アリエルには何が起こっているのか分からない。
 すると、突然、彼女は何者かに腕を掴まれた。彼女の体は引っ張り上げられ、白い煙の向こ
うに、男が立っている影だけ見る事ができる。
「アリエル・アルンツェンか? 君がアリエル・アルンツェンなのか?」
 と言って来る男の声。全く知らない声だった。しかもその言葉に訛りがある。一体何者なの
か、アリエルは分からず、ただ恐怖する事しかできなかった。
「い、嫌。あなたは、一体誰?」
 アリエルはそう言った。だが、だんだんと頭がぼうっとしてくる自分に気が付いた。どうやら周
りに立ちこめているガスを吸い込んでいるせいで、体中の感覚が麻痺してしまっているようだっ
た。
 だから、この男の腕を振り払うために自分の『能力』を使おうとしてもそれが発動しなかった
のだ。
 アリエルは男に腕を掴まれるがままにされた。振りほどこうにもそれができない。彼女の体は
廊下を引きずられ、どこかへと連れ去られてしまおうとしている。



 リー・トルーマンは一人の少女の腕を引きずりながら、ある男の寝かされているベッドの前に
までやって来ていた。その男は激しく咳き込んでいる。周りに充満しているガスのせいだ。
 リー自身はガスマスクで顔を覆っていたから問題なく呼吸できる。周りのテロリスト達は倒し、
ベッドの上に寝かされているこの男はあまりに無防備だった。
「ベロボグ・チェルノか?」
 リーはそう言いながら、ベッドの上にいるベロボグに向かって銃の銃口を向けた。
「ああ、そうだ。お前は誰だ?」
 咳き込みながらもベロボグはそう言って来た。この男こそ、『タレス公国』に連続テロを仕掛
け、挙句の果てには空軍基地に核攻撃をするよう、『キル・ボマー』に命じた張本人と言う訳だ
った。
 『タレス公国』『ジュール連邦』双方での戦争はすでに開戦している。だが、この男を一連のテ
ロ事件の黒幕として突き出せば、戦争が泥沼化する前に食い止める事ができる。それをする
事こそ、リーの使命だった。
「私は『タレス公国軍』の者だ。お前を連行する。一連のテロ攻撃を仕掛けた張本人としてな」
 リーは片手で少女の腕を掴んだまま手錠を取り出そうとしたが、どうやらその必要もないよう
だ。このベロボグという男は、何かの病気であるらしく、ひどく体が弱っているように見えた。
 こんな病気に侵されている男に、大国同士の戦争の引き金を引く事ができたのか。リーは疑
問にさえ思った。
 だが、この男をここから連れ出すには、このベッドごと移動させなければならないようだ。今、
手中にいる赤毛の少女と共に二人とも連れだせるだろうか。迷っている暇はないようだった。
 リーはその時、ベッドの上にベロボグの他に誰かがいる事を知った。
 すかさずリーはベロボグの上にいる小柄な人物へと銃を向けた。白いガスが充満していて姿
が分かりにくかったが、それはどうやら子供であるらしい。子供が、ベロボグの体の上に乗って
いたのだ。
「誰だ? お前は?」
 リーはジュール語でそのように言い放った。すると、そこにいた小柄な人物が、突然リーに向
かって飛びかかって来た。同時に、何か激しい機械音が聞こえてくる。
「お父様はどこにもいかないわ! お前みたいな奴に手出しはさせない!」
 甲高い声が廊下に響き渡った。リーに飛びかかって来たのは本当に子供だった。年端もい
かぬような少女で、何かを腕に持っている。
 持っているとリーは思ったが、そうではなかった。小柄な少女の体とはあまりに不釣り合いな
ほど大きなものは、チェーンソーだった。それが激しい機械音を立てている。しかも、チェーン
ソーは少女の腕と一体化していた。彼女の右手首から先の部分が、そのままチェーンソーとな
っていたのだ。
 ジュール人形のような容姿をしていながら、その少女はリーに向かって、何ともつかぬような
表情を向け、チェーンソーを片手に迫ってくる。
 リーは彼女へと銃口を向けた。ベロボグ・チェルノは『キル・ボマー』以外にも多くの『能力者』
を配下に置いているようだ。だがこんな子供の『能力者』を身近に置いていたとは。
 リーにとって、子供を撃つ事に躊躇いは無かった。何しろ相手は凶器を持っている。子供とて
テロリストである事に変わりない。
 だが、リーが放った弾を、少女はいとも簡単に避けてしまう。
 子供のうちから『高能力者』である存在をリーは、知っていたが、今、それが目の前に迫って
来ているのだ。
「お父様を傷つけようとするお前は許さないわ! 切り刻んであげようかしら!」
 その少女が発した言葉は、子供のような高い響きを持ちながらも、非常に攻撃的な響きを持
っていた。
 だがリーは、
「大人しく降伏しろ。病院はすでにこの国の軍に囲まれている。お前達に逃げ場は無いんだぞ」
 リーはそのように言ったが、その時、ベッドの上にいるベロボグが彼の方へと顔を覗かせた。
「そのような事は元より承知の上だ。だが、軍ごときに邪魔はさせん。お前に危害を加えるつも
りは無い。さっさと国に帰った方が身のためだ」
 ベロボグがそう言った時だった。突然、病院の廊下の窓を塞いでいたシャッターが一気に開
き始めた。外からの光が急激に差し込んできて、リーは思わずその明るさに怯みそうになる。
(やりましたよ、トルーマンさん。病院の内部に侵入して、封鎖を開かせる事に成功しました! 
通信妨害も排除したので通信が可能です)
 リーの耳元で、歓喜にも似た叫びが聞こえてくる。それは病院の外で、この病院の封鎖を解
こうとしていたフェイリンの声だった。
「よくやった」
 とリーはそれだけ言って、残りの言葉はジュール語でベロボグ達へと向けて投げかけた。
「無駄な抵抗はやめろ、ベロボグ・チェルノ。逃げ場は無い。封鎖は解いたし、すぐにでも軍に
包囲される」
(ああっと、それと大切な事です。すぐに病院から脱出して下さい!)
 リーの言葉を遮るかのように、通信機の向こうのフェイリンが言って来た。
「何故だ?」
 リーがそれだけ尋ねると、フェイリンは素早く返答してきた。
(『WNUA』の艦隊が、ミサイルをその病院に向けて発射したんです。もう時間がありません。
あと5分もしない内に着弾してしまいます!)
 彼女から発せられる焦りの言葉。だが、それはリーにとってもすでに予期していた事だ。
「そうか。こちらもベロボグを発見した。奴を連れてこの場所から脱出する! 脱出ルートを案
内しろ」
「分かりました」
 リーが危機が迫る中で的確な指示を出し、フェイリンもそれに従った。後5分で脱出できるか
どうかという事に関しては、リーも少し自身が無かったのだが。
 彼はベロボグが横たわっているベッドのすぐ手前にいる少女に向かって言った。
「この病院に今、我が軍が放ったミサイルが着弾しようとしている。ベロボグ・チェルノ。大人しく
我々に捕まれば死にはしない。だが、もし無駄な抵抗を続けるのならば、待ち受けているのは
死だけだぞ」
 リーは目の前にいる少女に向かってそのように言った。しかし、ベロボグではなくその少女が
リーに向かって反論してくる。彼女はチェーンソーの先端をリーの方へと向けて言い放ってき
た。
「嫌だ。お父様は誰にも渡さない。それにミサイルの事なんて、とっくに知っている。あと、その
子も離してよ。あんた達には、何の関係もないんだから」
 ついでにリーの前の少女は、リーが片方の腕で掴んでいるアリエルの方も、チェーンソーと一
体化をしていない方の指で指し示して言って来た。
 アリエルはというと、リーが放ったガスのせいで意識朦朧としているらしく、今ではぐったりとし
ている。
 リーは迷った。どちらにしろ、ベロボグが乗せられている大型のベッドを5分程度の時間で外
に運び出す自信が彼には無い。
(トルーマンさん。表玄関からは、軍の部隊が突入してきています。逃げるならば裏口しかあり
ません)
 耳元で再びフェイリンが言って来た。軍の部隊がここまで突入してくれば、恐らくベロボグは
そのまま身柄を拘束されるだろう。『ジュール連邦』側にベロボグの身が渡ってしまうと言う事
だ。
 だが今、リーが片方の腕で捕まえている少女。この少女だけはリーにとっては、『ジュール連
邦』側に渡すわけにはいかなかった。
 この少女こそが、リー達にとっては必要不可欠な存在なのだから。
 そう判断したリーは、ベロボグと白い少女には背を向け、廊下を逆走した。その方向にフェイ
リンが指示を出した裏口がある。
「フェイリン! セリアにも裏口に来るように言え!」
 リーは廊下を、一人の少女の体を抱えながらそのように言った。
(ええ、言いました。セリアもそっちの方向に今逃げようとしています!)



 突然開かれた病院の正面玄関。正面玄関を覆っていたシャッターは突然開かれて、そこから
は外の眩しい光が入り込んできた。
 病院の玄関入口のホールで対峙していた、セリアとショットガンを持った少女は、その眩しい
光に一旦、目をくらませられるもすぐに何が起きたかを理解した。セリアは素早く身を伏せる。
だが、ショットガンを持った少女は、シャッターが開いた直後に突入してきた、『ジュール連邦
軍』の隊員達に向かって、ショットガンの弾を撃ち込んだ。
 軍の部隊も負けじとマシンガンを連射してくる。だがこの場には病院内の人質がいた。そんな
中で、激しい銃撃戦が展開される。
 素早く身を伏せていたセリアの耳元で、フェイリンの声が聞こえてきた。
(セリア? 病院の封鎖を外側から解く事に成功しました。でも急いで! 今、その病院には
『WNUA』が放ったミサイルが飛んで来ていて、着弾まであと5分の時間もありませんから!)
 激しい銃撃音で分かりづらかったが、フェイリンの言わんとしている事は、セリアには伝わっ
た。
「この様子じゃあ、表玄関からは脱出できそうにないわ! 裏道は?」
(北側の裏口からだったら脱出する事ができそうです!)
 フェイリンのその言葉を聞いて、セリアは素早く銃撃戦の間をかいくぐり、行動を開始した。
「裏口に行くわ! 案内して!」
 先ほどまで、セリアと対峙していた少女は、突入してきた部隊に向かって、ショットガンの弾を
撃ち込み続けている。だが、彼女の仲間のテロリスト達はリーとセリアで全て倒してしまった。
 幾ら彼女が『能力者』であったとしても、あれだけの軍の部隊を一人で正面から倒す事ができ
るだろうか。
 そう思いつつも、セリアは裏口の方へと向かった。

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