レッド・メモリアル Episode16 第3章



 アリエルは自分に与えられた部屋から、外へ出る事を決意した。
 身体がまだ思うように動かないが、今、自分はどこにいて、一体何の目的でここにいるのか
を知っておく必要がある。父はなぜ自分をこんな所に連れてきたのだろう?
 そう思い、アリエルはゆっくりと部屋の扉を開けた。出入りは自由にしてくれているという父の
言葉通り、部屋には鍵がかかっていない。
 ここが何の施設かを知らなければ、本当に病院のようにしか思えない。だが、アリエルがか
かった事がある病院のどんな所よりもここは清潔だった。殺風景な白い壁紙がずっと張られて
いるが、病院特有の薬臭さなども無く、ただ清潔さだけがここでは保たれている。
 そしてどこからか、空調設備のものらしい機械音が聞こえてきていた。それ以外のもの音は
しない。
 扉を開け、部屋を出てみると、ここはどうやら吹き抜けが2階続いているフロアの2階部分の
部屋であるようだった。吹き抜けは大きく、廊下が繋がっている。吹き抜けの下には植物が植
えられているようだった。
 温室の様な風景だったが、湿度は、アリエルが着ている入院着のようなもの一枚で事足り
る。快適な温度に設定されているようだった。
 つい警戒してしまいがちだったが、警戒をする必要など無いのだ。父はここを自由に出入りし
て良いと言っていた。それに、ここには武装したテロリストなどもいない。何の施設かは分から
ないが、解放されているのだ。
 アリエルは、廊下を若干の警戒を払いながら歩き続ける。足音が異様に響いていた。
 アリエルがいたような病室は他にもあるようだった。真っ白な扉が等間隔で並んでいる。マン
ションであるようにも思えた。
 アリエルはしばらく廊下を歩いて行き、その先には大きな階段があるのを見つけた。会談
は、数人が横に並んで上り下りできるくらいに広い階段だった。
 どこかから物音が聞こえてくる。それと人の声も聞こえてきていた。それが階段の下の方から
聞こえてきている事に気が付いたアリエルは、階段を下り始めた。
 かなり大きな施設だ。そんなに大きな施設が清潔に保たれており、しかも人がまるでいない。
あの父もどこかに消え去ってしまったかのように気配を消してしまっている。
 アリエルはこんなに清潔で、整った建物に入った事も無かった。『ジュール連邦』にあるどん
な建物もこんなに清潔感を感じる事はできない。
 ある国は空港や果てはトイレなどもその清潔さが保たれており、不衛生な国からやってきた
外国人は、その国の清潔さと、人の態度の良さに驚きカルチャーショックを受けるという。それ
と同じようなものだ。西側の国がそんなカルチャーショックを与えてくれるというが、まさかここ
が西側の国であるはずが無い。
 ここはまだ『ジュール連邦』のはずだった。
 アリエルが階段を下りると、そこには大きなホールが広がっていた。ホールは、落ちつく事が
できるくらいの広さになっており、数人の人間がいた。
 そのほとんどが子供だった。そして子供たちに囲まれるようにして、巨人の様な姿で父がい
た。
 父は注射器の様なものを手にしており、看護師らしき人物から薬品を手渡されていた。そし
てその薬品のアンプルから注射器で吸い出し、子供たちに注射を行っているようだった。
「院長先生。注射でお薬を打つのは嫌だよ」
 注射をされながら、一人の少年がそのように言っていた。少年は年頃は5、6歳ほどの少年
だった。
 人種からして『ジュール連邦』の人種であるという事は分かるが、この広場には、色々な人種
の少年少女達がいた。
「だがね。注射を打っているから、君の病気は治っているんだ。もう、髪の毛も大分生えてきた
だろう?それは、注射を打っているからなんだよ」
 と、父は優しげな声を出し、その少年に向かって言うのだった。アリエルが聞いた事もないよ
うな声だった。
「ベロボグ様。見えられています」
 父につき従うようにして立っている看護師が、彼に耳打ちをした。
「ああ、分かっている。アリエルよ。こっちに来なさい」
 父が手を上げてアリエルを呼んでくる。すると、子供たちの視線がアリエルの方へと集中して
来た。
「あの。これは、一体、どういう事ですか?」
 この場の状況が理解できないままに、アリエルは父に向かって言っていた。アリエルの知って
いる父は、テロリスト達を統括する存在であり、非常に暴力的な事に手を染めている人物とし
ての姿しか知らなかった。
 それが今はどうだろうか。白衣を着た医師の様な姿をしており、子供達に対して何かの治療
を行っているようだ。
「何を。とは何だね?私は医者だ。子供達の診察をしていけない事があろうかね?」
 父は微笑さえ浮かべながら、アリエルにそう言って来た。アリエルはまだ訳も分からないとい
った様子でその場に立ちつくしていた。
 すると、父の方からアリエルに迫ってきた。
「皆にも紹介しよう。私の娘のアリエルだ。見ての通り、寝起きで起源が悪い。普段はもっと元
気な子なんだが、今日から彼女も皆の仲間だ」
 そのように父に一方的に紹介をされ、アリエルは戸惑う。
「一体、何なんですか。これは」
 アリエルはそう言うのだが、次にやってきた子供たちの一斉に呼びかけられる言葉にかき消
される。
「こんにちは。アリエル」
 そう言われても、アリエルは言葉を返す事ができなかった。どう答えたら良いのかが分からな
い。
「ここは、私の病院だ。今までの医療だったら、不治の病と診断されていた子供達を優先的に
入院させ、治療を行っている。ここにいる子供達は皆、治療もほぼ終わっている子達ばかりだ
がね」
 耳打ちをするかのように父は言って来た。
「それは、一体、どういう…」
 アリエルはそこまで言いかけたが、その先の言葉は父によって塞がれてしまった。
「説明は、後でしよう。説明をするためには時間がかかりそうだ。君はここで、しばらく子供達と
遊んでいるといい」
 そのように言われ、アリエルはその場に立ちつくすしか無かった。
「皆、院長先生はお仕事が残っている。すまないが、紙芝居はまた後にしよう。代わりに、私の
娘のアリエルが君達と遊んでくれる」
 父はそうアリエルを皆の方へとひと押しするなり、看護師と共にその場に残された。アリエル
は戸惑う。
 ここが一体何なのか、そしてこの子供達が一体何者なのか、あまりにも突然過ぎる出来事が
彼女に襲いかかって来ていた。

ボルベルブイリ 25番地
10:22 A.M.

 フェイリンは厳戒態勢下にある《ボルベルブイリ》の街を見下ろしていたが、灰色の曇り空に
覆われた市街地では全く動きがない。住人達は政府が敷いた外出禁止令の下、一歩も家から
出る事ができないでいる。
 もし一般人が外を徘徊している姿を見られれば、即座に逮捕されてしまうからだ。
「今の状況はどうなっているの?議事堂の内部は?」
 そのように急かしているのはセリアだった。せっかくの美貌も、一日眠っていないで、ずっと動
き続けているせいもあり、眼の下に隈ができている。彼女が散々飲んでいるコーヒーの匂い
が、アパートの一室に充満している。
 フェイリンは、双眼鏡を手放して、セリアの方へと戻ってきた。
「駄目ね。中では何も動きは無いみたい」
「あなたの、千里眼の能力に期待をしているのよ。フェイリン、あなたを連れてきたのは、どん
なものでも透過して見る事ができる能力があるからよ」
 セリアは苛立ったような声でフェイリンにそう言った。
 彼女の前にはコンピュータデッキが置かれており、そこには幾つもの情報が流れて来てい
る。それはこの《ボルベルブイリ》へと接近してきている『WNUA』軍のものであったり、『ジュー
ル連邦』軍のものであったりした。
「そんな事言ったって。議事堂には近づけないし、いくら双眼鏡を使っても、ここからは2kmも
離れているのよ。わたしの能力を使っても、地下シェルターの中までは見えないし、大体、あの
人がくれる情報で分析するしか無いって」
 フェイリンがそのように言った時、アパートの扉が開き、紙袋を抱えたジュール系の人間が姿
を現した。
 それは先日、セリア達がこの《ボルベルブイリ》の街に侵入するのを手助けした、組織を名乗
る男、トイフェルだった。
「お変わりありませんか?」
 トイフェルは紳士的な丁寧な態度で言い、セリアとフェイリンがいるテーブルに、紙袋を置い
た。そこに入っているのは、ジュール系の人種が好んで食べる、パンに野菜類を挟んだ、独特
のサンドイッチと、コーヒーだった。
 この国ではそんなものしか買えないのだろうが、セリアはいい加減その味に飽きてきていたと
ころだった。
「何も、これっぽっちも無いわ。総書記は捕らえられたまま。それでもって、議事堂の地下には
鼠の一匹も出たような情報は無いわね。フェイリンが外から様子を探っているけれども、やは
り変化なし。一般人は議事堂の1km以内にも入る事ができない状態よ」
 セリアは、いい加減飲み過ぎて来ているコーヒーには手を付けずにそう言った。
「中にいるはずの、トルーマン氏、ワタナベ氏と連絡を取る事ができれば、何とかなるのです
が」
 トイフェルはそのように言いかけた。だがセリアは、
「それで、何ができるって言うの?ベロボグの組織をそれで壊滅させて、この国を救おうって事
ができるとでも?」
 ぶっきらぼうな様子でセリアはそのように言うのだった。セリア自身、目の前で妙に丁寧ぶっ
ているこの男を信じる事ができないでいる。
 リー達が所属している組織と言うものが、とにかく怪しい存在だった。
 しかしながら、今はこの男についていくしかない。もう、『WNUA』の軍に戻る事はできないだ
ろう。この《ボルベルブイリ》にやって来ているのも、完全な命令無視だし、目の前の男は、軍
には連絡を取らないでくれと言う。
 そのような事、軍人のはしくれであるセリアでも、できない事であると言う事は分かっている。
しかし来るところまで来てしまったセリアは、この男の言う言葉を聴き逃す事はできないのだっ
た。
「あなたの娘さんも、ベロボグ達の手中にいる事は分かっています。そしてベロボグ達は何ら
かの形で、このデバイスを入手しようとするでしょう」
 そう言ったトイフェルが光学画面に表示したのは、赤いスティック状のデバイスだった。その
姿はセリアは何度も見せられている。
 その度にセリアは同じ質問をするものだった。
「議事堂の占拠と、私の娘、そしてそのデバイス。全てを繋いでいるのはベロボグね。それで、
彼の目的は?」
 目の前にいる男の答えは変わらなかった。
「まず一つは、この『ジュール連邦』の転覆でしょう。総書記を捕らえた事で、彼らはこの国に対
してのクーデターに成功した事になる。さらに『WNUA』軍に各地の軍事施設を攻撃させた事
で、連邦の軍事力はかなり弱体化させた。
 ベロボグ達は、この連邦を足がかりにして革命を起こすつもりなのは明らかです」
 そして、セリアはそんな男に言うのだ。
「それで、その革命とやらを、わたし達が止めなければならないという理由は何?」
「あなたの娘さんが、それに関わっているからです。ベロボグがその昔、あなたに近づいてきた
理由は、あなたが『能力者』だったからに他ならない。ベロボグは自分の子供達を優秀な人種
として、この革命に利用しようとしたのです」
 自分の娘がどこにいるのかは知らなかったが、この革命に関わっているという事は、セリアと
しても見過ごす事はできないものだった。
 もしかしたら、テロリストと一緒にベロボグの思想に感化され、この革命に参加しているのだ
ろうか。
 しかし、それを止めなければならないという義務が果たして自分にあるのか。セリアには分か
らなかった。
 今はただ、軍の任務の延長線上としてこの場にいる。そうとしか判断する事ができない。
「セリア!動きがあったみたい」
 セリアとテーブルの向かいに座っていたフェイリンが、光学画面を見つめていた顔を上げて
言ってくる。
「何が起きたの?」
「ウェブ中継よ。ハッキングしたんじゃあない。これは議事堂の中から発信されているライブ中
継が流れている!」
 その言葉に、セリアと、組織の男はフェイリンの側の光学画面を引っ張って来て、それを自分
達の目の前へと置いた。
 光学画面の先は薄暗かったが、そこにランプが灯されて、椅子に縛り付けられている男の姿
が映し出されている。
 かなり疲弊しているような様子と、猿口和と、椅子に手足を縛られている様子は凄惨たるもの
だったが、間違いが無い。これは、この『ジュール連邦』の総書記、ヤーノフだった。
 その目の前に立っているのは、大柄な男だった。自動小銃を構えており、その有様は、いか
にもテロリストであると言う姿を見せている。だが彼はこのネットワーク上に流している映像に、
自らの顔をさらしていた。
(我々は、ここに、事実上の『ジュール連邦』の解体を宣言する。そしてこの国に新しい秩序と
平和をもたらすため、旧社会主義体制を全て廃止する。ヤーノフは今まで犯した自らの罪を認
めた。
 彼は我々の法の下で、多くの罪なき人々を虐殺した罪により、処刑する事を宣言する。処刑
は公開され、全世界がその瞬間を目撃するだろう。
 我々は正義を行う。我々の行う事に対して、非常に野蛮であると非難する者も現れるであろ
う。だが、そうした者達もいずれ理解する。我々が行った事はまさしく正義なのであり、この世
界の変革のためには必要なのだと言う事を。
 処刑は本日の一時間後に行われる。全世界よ。東側の国が解体する様を目撃するが良い)
 そこでウェブ中継の映像は途絶えた。
「大した度胸だわ。公開裁判をするというのに、この男は顔をさらしている。世界の半分を敵に
回すと言うのに恐れさえ抱いていない」
 セリアは冷静な態度でそのように言った。ヤーノフが公開処刑などという形になる事を、予期
していなかったわけではない。国会議事堂がテロリストに占拠された以上、こうなる事は目に見
えていたのだから。
「少し、画面を巻き戻してみます」
 そう言いつつ、組織の男は、光学画面を操作して、ウェブ中継の録画されたデータを巻き戻
した。
 ヤーノフがさるぐつわにされている、何とも屈辱的な姿はそのままだったが、彼は画面の奥
側にいる人物に注目した。
「この娘ですが、ベロボグの娘の一人です。隣にいる子供も同じ。我々組織がマークしている
者達ですよ」
 そう言って画面を指差した先には、大柄なテロリスト達に交じって、ヤーノフが座らされている
椅子の背後に、二人の少女がいた。
「この子、知ってるわよ。ベロボグの奴のいた病院で、わたし達に襲いかかってきた子だわ」
 セリアはそう言った。
「本当?こんな子供が、国会議事堂を占拠したって言うの?」
 フェイリンは意外そうな声でそう言ってくる。
「シャーリ・ジェーホフ。年齢は18歳。能力者です。一時期、この国の国家安全保安局に囚わ
れていたはずですが、逃走をし、現在も行方を追っていますが、どうやら国会議事堂の地下に
いるようですね」
「年齢が18歳で、ベロボグの娘、か…」
 セリアはアパートの天井を仰ぎみてそう言った。
「セリア。もしかして、この子」
 そんなセリアに向かってフェイリンは真剣な顔を向けてくる。
「わたしの娘だって言うの?だとしたら信じたくないわね。わたしの娘はベロボグの忠実な配下
に入れられ、しかも国会議事堂を占拠しているテロリストの一員というわけ?
 それにベロボグの奴は言ったわ。あなたも見たでしょう?あの髪の毛が真っ赤な子が、わた
しの娘だって。そっちの方の子はどうなのよ?」
 セリアはそう言って、組織の男を促した。
「アリエル・アルンツェンの事ですか?彼女はこのウェブ中継には映っていませんし、行方不明
です。組織が掴んでいる情報によれば、彼女がテロ活動に関与しているような疑いはありませ
んが、養母が最近、ベロボグの病院に入院している事になっています。あの病院が爆撃される
直前に救出されていて、今では、《ボルベルブイリ》の病院に入院しています」
「そっちの方が先かしら。どっちにしろ、このヤーノフの公開処刑を止める事はわたし達にはで
きないわよ。それはこの国の役目であって、『WNUA』の。いえ、わたし達の役目じゃあないん
だから」
 すると、光学画面を展開させ、組織の男は一人の人物の情報を映しだした。
「養母の名前は、ミッシェル・ロックハート。元『ユリウス帝国』の軍人です。アリエルを引き取っ
た理由は、退役軍人の集会がきっかけだそうで、怪しい所はありませんね。テロリストとの関与
もありません。しかし」
 組織の男がそう言っていた時、すでにセリアは立ち上がっていた。
「しかし、何なのよ」
「今、我々の目的といったら、それはベロボグの野望を食い止める事です。この女性に会いに
行ったところで何になるのでしょう?それに、外は外出禁止令が出ています。無闇に出かける
事はできませんよ」
 そのように言うのだが、セリアはテーブルを叩いて言った。
「じゃあ、何であなたはコーヒーを買いに行けるのよ?それに、この人がベロボグについて、何
か知っているかもしれないでしょう?奴のアジトは?それに、わたしの娘の事だって知っている
はずよ」
 セリアのその言葉は、最後の部分だけ力が抜けてしまったかのようになっていた。
「とにかく。行くわよ。今、わたしはあなたの指示に従うつもりもないし、誰の指図も受けないつ
もりでいるんだから」
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