レッド・メモリアル Episode17 第2章



3:38 P.M.

 名も知れぬ医療施設にいるアリエルは、時間の感覚も失っていたが、今、昼食を食べたばか
りだった。昼間が長い、白夜の国として知られる『ジュール連邦』では夕食の時間が遅く、アリ
エルもその慣習には習っていたが、昼食を与えられた時間が、午後の4時とは。完全に時間の
感覚を失ってしまっている。
 実際、食欲があまりなかったし、体に触るからと気遣った父親によって、ほぼ強制的に与えら
れた昼食の様なものだった。
 この、名も知れぬ、どこにあるのかさえも分からない医療施設には、調理場や調理師はいな
いのだろうか、アリエルの前に出されたトレイは、冷凍食品を解凍したばかりのもののようだっ
た。
 だだっ広い、恐らく100人以上は収容できるであろう食堂は、清潔感は保たれていたが、殺
風景で妙に広く、アリエルはあまり落ち着かない。
 テーブルの向かいには父親が座っている。彼は食事を済ませているのだろうか、ただコーヒ
ーを飲んでいるだけだった。
 アリエルにとっては、父がそんな日常的な姿をしているなど、とても想像できなかった。
「すまないが、まだ調理師は雇っていなくてね。設備はあるんだが。だが、いずれここにもそうし
た人材を集める事になる。今はまだ仮の運営だ。ただ、保存のきく食料は沢山ある。遠慮せず
に食べるといい」
 そのように父は言い、アリエルは食事を促された。しかし食事を促されたとしても、アリエルに
は食べるだけの落ちつきがなかった。
 突然、得体の知れない所に連れて来られ、父の過去を知る事になった。あらゆる事が一気
にアリエルへと押し寄せてきており、彼女はそれをどのように処理したら良いかが分からない。
 この施設は父が患者達が落ちつけるような環境として、立派に作り上げたものだろう。それ
は『ジュール連邦』のどこの医療施設でも見かけないほど、見事な作りになっている。ここまで
清潔な医療施設など珍しい。
 しかしながらアリエルは、落ちつく事ができなかった。
 自分がこの世界や国を本当に変える事ができる、その手助けができる存在なのかと、何度も
自問してしまう。
 アリエルは食事を口へと運んではいたが、その動きは何ともぎこちないものとなってしまって
いた。
 それに感づいたのか、父は言ってくる。
「不安かね?私が話した事が、そしてこれから起ころうとしている事が」
 アリエルにはどのように答えたら良いかが分からない。父は言葉を続けてきた。
「シャーリも確かに最初はそうだった。世界を変えるために生まれてきた存在と言われても、そ
れを自覚できなかった。だから私はしばらく彼女に時間を与え、自分で答えを出せるようにさせ
たのだよ」
 そのように父は説明してく。だがアリエルは、頭の中が混乱の渦中にいるのだ。
 アリエルが時間をかけながら、目の前の冷凍食品が全て冷めてしまうのではないかというほ
ど、ゆっくりと時間をかけて食事を進めていくと、やがて、だだっ広い食堂に黒いスーツを着た
女が姿を見せた。
 アリエルも知っている。父の記憶と自分の頭とを繋げた、あの能力者が、響く足音を鳴らしな
がら父の方へと近づいてきた。
 アリエルはちらりと彼女の方を見ただけだった。まだ、目の前に出されている冷凍食品は半
分近くが残っている。
 ブレイン・ウォッシャーとか呼ばれている彼女は聾であって、口がきけないという。だから彼女
は父の前に立ち、その目を向けているだけだった。
 すると父は何かを理解したようだった。
「そうか。シャーリから、準備が整ったとの連絡があったのだな」
 そう父は言いながら、その場の椅子から立ち上がる。
「すまないが、アリエルよ。大切な仕事がやって来た。シャーリからの連絡でね。我々もいつま
でもここにじっとしているわけにはいかない。動かなければならないのだ」
 言葉を発した父の目には、何か、眼光のようなものが光ったような気がアリエルにはした。
「君は、ここで待っていたまえ」
 アリエルにそのように言い残すなり、父はさっさと行ってしまった。

 ベロボグはすでにシャーリから受けた連絡の内容を知っていた。ブレイン・ウォッシャーが何
も語らずとも、彼はすでに次の計画を進めており、その内容についても知っている。
 計画は次の段階に突入しようとしている。そのためには慎重に動かなければならない。
 ベロボグは自らが管理、運営を行っている医療施設の中を進んでいき、その奥地へと向かっ
た。やがて彼がブレイン・ウォッシャーに伴って辿りついたのは、真っ白な姿をしたこの施設の
いたる場所の殺風景な風景とは異なる、コンピュータ機器が幾つも設置された場所だった。
 この部屋でベロボグは世界中にいる部下と連絡を取る事が出来、命令を下す事もできるよう
になっている。
 幾つも設置されている光学モニターの内、一つの通信がすでに行われていた。ベロボグはそ
の光学モニターの一つの前に座るのだった。
 ベロボグが席につくと、モニターの向こうにはすぐにシャーリが姿を見せた。
「お父様。お会いしたかったですわ」
 シャーリは半ば、恋しかったかのような声を出してくる。最後にシャーリと話したのは一日以
上前だったが、彼女にとっては父親というものは、そこまで恋しいものなのだ。それゆえに扱い
にくい面もあるのだが、それだけシャーリは、ベロボグにとって忠実な存在だった。
 シャーリはどんな命令でも聞く。そして非人道的だとさえ言われる任務も、まるで生きがいを
感じているかのようにこなす。
 ベロボグはそんなシャーリの事を、必ずしも良しとはしていなかった。
 長い難民キャンプでの生活が、彼女を変えてしまったのか。シャーリはより冷酷になり、『ジュ
ール連邦』という存在を憎むようになっていた。彼女にかかれば女子供であっても容赦はしな
いだろう。
 相変わらず自分を溺愛しているシャーリは、ある意味でベロボグから自立する事ができてい
ない。自分と言う存在が失われた時、シャーリは暴走するだろう。彼女の為にも、ベロボグは
末期の脳腫瘍を乗り越えなければならなかったのだ。
「お父様、いかがなさいましたか?」
 画面越しにシャーリがそのように言って来た。
「いや。何でもない」
 ベロボグはシャーリに対してのその不穏を隠して答えた。今は彼女の心情を上手く利用しな
ければならない。
「彼の始末はどうするのですか?言われた通りに行えば良いのですか?」
 シャーリの語気が強くなり、目を輝かせる。これから行おうとしている事に、一種の快感の様
なものを抱いているのだろうか?
「シャーリよ。始末ではない。そのような言葉を使うものではない」
 ベロボグはシャーリを戒めた。攻撃的な彼女を上手くコントロールしなければならない。
「すみません、お父様。ですが、ライブ中継はいつでもできる状態にあります」
 シャーリが少し面喰った様子で言って来た。
「ならば問題は無い。手順を確認しよう」
 すでにシャーリとの間では何度も確認をしてきたこの計画だが、これから行う事についての重
要性を考えれば、もう一度確認をしてもよいほどの事だ。
「まず、わたし達がライブ中継のセッティングを行います。そして彼を今、わたしがいる部屋へと
連れ込みます」
 シャーリがそのように言った。
「その通り。そして次に私が、声明を読み上げる。できれば私もそこに行きたかったが、計画が
差し迫っているようだ。上手く、私の声明が伝わるようにやる」
「そして、お父様の声明が終わった後で、行うのですね。絞首刑を。その準備はすでに出来て
います。彼の首に縄を吊るし、ただ椅子を蹴り飛ばすだけでよい」
 シャーリがまた恍惚名笑みと共に残酷な事を口走る。ベロボグはそれを戒めた。
「シャーリよ。人道的に行われる処刑と言うものは、一種の儀式であって殺人ではない。特に、
相手が一国の主であるような場合はな。あくまでも最期まで彼に無様な姿を見せさせるのでは
ない」
 ベロボグは再びシャーリを戒めた。だが、シャーリは不服であるかのようだった。
 彼女は『ジュール連邦』という存在そのものに対して、憎悪を抱いている。憎悪の下に処刑を
行わせる事は、ただの復讐でしかない。ベロボグの計画に復讐というものを介入させてはなら
ない。
 これは、新時代の幕開けに必要なものなのだ。
「わたし達の行いは、全世界へと放映されるのですね?」
 シャーリはそのように言って来た。これから自分が行う事に楽しみさえ見いだしている。自分
はシャーリを、殺人に快楽を見出すように育てた覚えは無いものを。
「新時代の幕開けに同調する者達が、その瞬間を目撃するのだ。そして、我々の目的はそれ
だけではない。処刑はあくまで、表向きの舞台であって、旧時代からの離脱でしかない。新時
代の計画も同時に行わなければならない。それは分かっているな?」
 ベロボグは再度確認する。
「もちろんですわ。その方に関してはすでに計画を進めています」
 総書記の処刑を行う。それは確かに時代に対して大きな変革を起こすものであるかもしれな
い。しかし、それだけでは後の『ジュール連邦』が大きな混乱期に突入していく事は明らかだ。
 だからベロボグはすぐに新時代の幕開けを開かせる、新たな計画をも用意していた。その計
画には、シャーリ達だけではなく、アリエルも重要な役割を担う。
 暴力的、攻撃的な性格を持つシャーリよりも、恨み、復讐の相手を持たず、人道的な考えが
できるアリエルの方が、ベロボグにとっては期待ができたのだ。
 これからの時代は、そうした人間こそ重宝される。シャーリにもそれが分かれば良いのだが。
Next→
3


トップへ
トップへ
戻る
戻る