レッド・メモリアル Episode17 第5章



3:55 P.M.

 ベロボグは自らが用意していた草稿を読み終え、演説を終えた。草稿の内容は頭の中に入
っていたから、彼はそれをその場に合わせて適切な内容に仕上げ、その演説を終えると、画
面を、シャーリ達がいて、ヤーノフが拘束されている、国会議事堂の方へと戻した。
 自分がヤーノフの処刑に立ち会う事ができないというのは、少し世界に対して非礼をするよう
な気もしないでもない。
 しかしアリエルの確保が予想以上に遅れた上に、ヤーノフの処刑と共に、進めなければなら
ない事があった。
 過去の負の遺産の抹消は、これからの新時代に訪れようとしている事に比べれば、実に些
細なものであるかもしれない。必要なものは、新時代にやってくるもの。ヤーノフは過去の存在
でしか無い。
 ベロボグはその新時代の為の計画を進める必要があった。
 この演説は、一つ計画が進められた事を意味している。全世界がヤーノフの処刑に対して釘
付けになっている間に、ベロボグ達は次の計画を進める。シャーリ達はすでにその計画に対し
て動こうとしているようだった。
(お父様、わたし達はいつでも次の行動に移れますわ。ご命令とあらば)
 拘束されているヤーノフが映っている画面とは、また別の画面にシャーリ達の姿が映されて
いた。彼女らはすでに武装を始めている。
「ああ、分かっている。私も準備が出来次第、《ボルベルブイリ》に向かい、君達と合流するつも
りだ」
(ええ、では後ほど。わたし達は混乱に乗じて、この地下から脱出します)
 シャーリはまるでこの現状を楽しんでいるかのような笑みを見せ、通信を続けた。
 ベロボグも急がなければならなかった。彼は撮影を行っていた部屋を後にする。誰にもこの
場所を特定される事がないように、全ての撮影機材やコンピュータの電源をオフにしていく。全
世界へと発信されたあの演説は、誰にもこの場所から発せられたものであると言う事は特定で
きないはずだ。
 ベロボグは静かにこの部屋を出た。そしてアリエルがいる場所へと戻る。
 アリエルは自分がどのような事をしたか、それを知る事はないだろう。ベロボグと顔を合せな
かった小一時間ほどの間、彼はこの世界を揺るがす鉄槌を放った。しかしながら、アリエルが
それを知らない。
 その方が、アリエルの身のためだ。アリエルは温床のような環境で育ってきた。彼女のその
豊かな感情と純粋な性格は、ベロボグとしてもそのままにしておきたい。自分の国が混乱に陥
っていく有様から、アリエルは離れているべきだ。目を向けるべきではない。
 アリエルは食堂からロビーへと移っており、そこに設けられた窓から、海の方を向いていた。
北の大地の海は、絶壁に叩きつけられる荒々しい波を見せていたが、アリエルのいるロビー
は暖かい環境に保たれている。
 彼女は入院着のような白衣を着たままそこにいた。彼女は一体、何を考えているのだろう
か。それはベロボグとて分からない事だった。
 そして彼女が彼の側につくのかどうか、それさえもベロボグには推し量れない。もし彼女が自
分の側につかなかったとしても強制するつもりはなかった。
 ベロボグが近づいていくと、アリエルは自分の父の方は見ずに口を開いた。

 荒々しい波が、ロビーに設けられた大きな窓その下にある断崖へと打ちつけている。北の大
地の海だけがアリエルの視界の先には開けているだけで、その他には何もこの地には目に映
るものがなかった。
 ここは一体どこにあるのか。アリエルにもその場所を知る事はできないようになっている。都
市や人々とはかけ離れた場所に、この施設は設けられている。あたかも何かの流刑地である
かのように。
 父から下された選択肢を、アリエルは選びとろうとしていた。彼についていくか、ついていかな
いかという事だ。ここ数日の間、アリエルはシャーリ達に捕まり、初めて出会った父と巡り合っ
た。
 そして父の記憶から真実を聞かされる事になった。
 それはこの世界を取り巻いている真実であり、父の真実だった。
 自分の知らない場所で起こっていた、その様々な真実に直面して、アリエルは、自分の決断
に迷っていた。
 このまま平和な生活を続けていく。しかしそれが自分にとって本当に大切な事なのか。それと
も父についていく事で、この世界に対して、何か影響を及ぼす事ができるのかどうか。
 そしてこのままこの場から逃げ出したとしても、母と会う事はできない。
 小一時間程度で席を外していた父は戻って来た。ロビーの窓に反射して父の顔が見える。彼
はまた一度、何かを成し遂げたかのような表情をしていた。父の進めていた計画と言うものに
進展があったのだろうか?
「あなたの言っていた事を、私は考えていた」
 アリエルは真っ先にそう言った。言葉通り、父に選択肢を与えられてからと言うもの、アリエ
ルが考えていた事はそれしかなかった。
「そうか。私が与えた選択肢は決して簡単な道のりでは無いだろう。君にとって困難な道のりも
待ち受けているかもしれない」
 父は静かにそう言ってくる。そしてアリエルの背後から、その大きな手のひらを優しくアリエル
の肩へと乗せてきた。
「一つ約束して。私のお母さんとまた暮らせるようにと」
 アリエルはその父へとそのように言った。
「どの選択肢を選んだとしても、君を育てのお母さんと再会させるつもりでいたよ。そして産み
の母親とも」
 父の言葉に新しいものを見つけた。アリエルは思わず父の方へと顔を上げた。背の高い彼
はアリエルの背でさえ見上げるほどの身長がある。
「私の産みの母親?」
 アリエルにとっては意外な言葉だった。そんな言葉が父から出てくるとは。
 アリエルは物心ついた頃から、ミッシェルが自分の本当の母ではなく、産みの母親はとうに死
んでしまったと聞かされていた。自分の出生については、ミッシェルによれば、孤児として預け
られたものを育てられたと言う事だけ聞かされている。
 今まではそれで不自由をしなかったのだ。自分の産みの親の事など、探そうともしなかった。
「君の産みのお母さんも、この計画に関わって来ている。そして君が危険な事に巻き込まれて
いるのだと誤解をしてしまっているらしい。君と会う事によって、その誤解も晴れていく事だろ
う。私はそう思っている」
 父のその言葉が意味する事は、更なる多くの謎が解けるという事でもあった。八方ふさがり
になってしまっているアリエルにとっては、それは何としても手に入れたい事だった。
「私はあなた達と共にいく。でもそれは自分の意志であって、誰にも命令されたものではない
事。それで構わない?」
 アリエルは父の方を振り向いてそのように言うのだった。
「もちろんだ。君がそう言うと思ってあるものを、きちんと無くさずに用意させておいた。君には
私と共にある場所へと向かってもらう」
「それはどこ?」
「《イースト・ボルベルブイリ・シティ》。そこにシャーリ達も向かう事になっている。君にとっては
少し働きづらい相手かもしれないが…」
 シャーリと共に働く。あのシャーリは自分の事を、ジュール人だというだけの理由で、恨んでい
やしないかと、アリエルを思いとどまらせようとしてしまう。
「いえ、いいの。シャーリの事は、もう分かったから」
 アリエルはシャーリの事について、すでに受け止めるだけの覚悟ができていた。彼女が辿っ
た境遇、そして彼女が血のつながった異母姉妹だという事も理解した。
 シャーリも父の為に行動する必要があるのだろう。
「そうか、シャーリの事も理解してもらって助かる。それでは、早速向かうとしよう。我々の家族
が待っている」
 ベロボグはそのように言い、アリエルを先導しようとした。
「そしてその前に、君は着替えていきなさい。その格好では何かと不自由するだろう」
 父はアリエルを気遣うのだった。

国会議事堂地下

 《ボルベルブイリ》の地下にいるシャーリは、部下から寄せられる連絡を刻一刻と受けてい
た。
(彼らは、どこにも寄らず、まっすぐ標的のビルへと向かっています。今の所は順調だ)
 部下からの連絡が入る。その言葉にとりあえずシャーリは満足した。
 そしてシャーリはもう一つ、自分の前に展開する光学画面へと目をやった。その画面では、
正に今、『ジュール連邦』の総書記であるヤーノフが、絞首刑へとかけられようとしていた。
 自らの執務室に設置された簡易的な絞首刑台を使い、彼は吊るされようとしている。
 その時間まではもう間も無かった。全世界にネットワークを介して中継されている画面の向こ
うでは、この処刑を待っている者達もいる。
 ヤーノフは実際のところ、西側諸国のみならず東側諸国内部、そして第三世界においても、
独裁者として知られている男だった。だからこの処刑を望んでいる者達も多いはずだ。
 ヤーノフが処刑され、『ジュール連邦』がこの戦争と共に解体すれば。そのように思っている
連中も少なくないだろう。
 そしてシャーリ達もその一員である事は、隠しようもなかった。
 できる事ならばシャーリは自ら、このヤーノフを処刑にかけてやりたかったが、そういうわけに
もいかない。自分にはお父様に与えられた大切な任務があるのだ。
 全世界が東側の支配者が処刑されているのを目の当たりにしている中に、シャーリ達は動
かなければならない。お父様からの大切な任務が残されている。
「シャーリ様。そろそろ出ないと」
 同じ部屋にいる部下が言って来た。時計を見ると、処刑の時間まで残り30分を切っている。
これだけ時間があれば十分だろう。
 十分にこの場所から脱出する事ができ、混乱の中をあの場所へと目指す事ができる。
「レーシー。さっさと行くわよ」
 シャーリはレーシーに向かってそのように呼びかける。もうこの国会議事堂には用事は無
い。世間が混乱している間にさっさと脱出してしまい、あの場所を目指す必要がある。
 この国会議事堂の占拠は大胆な行動だったが、次の任務には慎重な行動が伴う。
「分かったよ」
 レーシーはそのように言い、座っていたソファーから降り立った。
 シャーリはショットガンを片手にどんどん歩いていく。そして部下達の姿を一瞥した。この国会
議事堂の地下に突入した部下達は、ほとんどが、この場に残り、ヤーノフの処刑を取り行う重
大な任務を遂行する。
 シャーリ達は外へと出て、重要な任務をこなさなければならない。それはお父様から与えられ
た重大な任務だ。
 相変わらず照明が落ちている地下シェルターの曲がりくねった道をシャーリ達は歩いていく。
この丸一日間、暗がりにいたせいもあって、もはやその暗い視界には慣れ切っていた。
 シェルターの奥の奥の部屋には食糧倉庫があり、シャーリ達はそこの壁の一つに穴を開けて
いた。
 政府内部に協力者がいたからこそ、こんな大胆な作戦を遂行する事ができた。食糧倉庫か
ら一番近い地下水道でも10m以上は離れているが、そこまで穴をあける準備はすでにできて
いたのだ。
 後は強力な指向性爆弾で壁を吹き飛ばせば、中へと突入する事ができた。シャーリ達は今
度は数名の部下を連れて、その開けた穴を外へと出ていくのだった。
 《ボルベルブイリ》の地下を走る下水道は何回もの改築をされていて、現在では図面も残って
いないような地下水路がある。ジュール連邦軍の連中にとっては知りようも無いような場所まで
道が伸びている。
 彼らは、ヤーノフがお父様の組織の最終目標だと思い込んでいる。だからその直前になって
脱出しようとしているシャーリ達の存在には気づいていないだろう。
「またここを通るの?お洋服が汚れちゃう」
 レーシーは緊張感も無い子供の様な態度でそう言って来た。実際、彼女は子供だ。今、自分
達がしている事が、どれだけの事をしているかは、はっきりと分かっていないんだろう。
「静かにしていなさいよ、レーシー」
 下水道のトンネルの中は声が響く。シャーリはレーシーを制止しながら、下水道の中を進ん
でいく。
 お父様はいつでも見守ってくれている。だから今度の作戦も成功するに違いない。そう思い
つつも、シャーリは携帯端末を取り出し、ヤーノフの処刑の様子の中継をチェックした。
 処刑までの時間は20分ほどしかない。全世界が注目している間に、次の行動をしなければ
ならない。
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