レッド・メモリアル Episode18 第3章



 リーとタカフミは落ちつかないままに、シリコン・テクニックスのビルの20階に辿りついた。そ
こは、『ジュール連邦』では想像もできないほど、清潔感のあるフロアだった。
 タイル張りの床は染み一つない。壁紙、天井まで殺風景な印象となっていたが、ここでは清
潔感が保たれている。清掃用のロボットが行き気をしている。これも西側の世界では見られな
いものだ。
 だが、天井に埋め込まれている監視カメラをタカフミは覗きこんで言った。
「ここからも、奴らが見ているってか?」
 彼が見ている先には、監視カメラが設置されていた。それはもの言わぬ存在ではあったが、
じっと眼がそこにあり、見張られている。
「このビルのシステムをあいつらは制圧している。手中の中へと飛び込んできたようなものさ」
 リーは当たり前の事であるかのようにそう言った。
「このまま逃げちまっても、駄目なんだろうな」
 タカフミはそう言っている。彼は本当に逃げるような人間でないことくらいはリーも分かってい
たが、彼の人間臭いところだった。
「罠とは分かっていても、ベロボグの連中の目的が分かる。それに、何故私達をここへと送り
込んできたのかという事もな」
 そう言って、リーは携帯端末を展開させ、目的地の場所を再度確認した。すると、確かに目
標物はこのフロアにあるという事が分かる。
「しかし、ただのオフィスビルのフロアじゃあない事は確かだな。照明も落とし気味になっている
ようだし、日ごろ、社員達が出入りするような部屋でもない。だが、空調がしっかりと保たれてい
て、少し温度が低い」
 タカフミもしっかりとこの場の状況を判断している。
「ああ、おそらく、精密機器を保管しているんだろう」
 リーが答える。彼は通路を進んでいき、電子画面に示されている目的地を目指す。その場所
はもう目前まで迫って来ていた。
「思い当たる節がある。もしやと思っていたが、シリコン・テクニックスを探っていた時の事を思
い出す」
 タカフミが歩を進めながら言った。
「組織でも、シリコン・テクニックスを探っていたのか?」
 リーにとって意外では無かったが、それは初めて聞かされたものだった。
「ベロボグの組織との関連が疑われていた。西側と東側の技術を結んでいるような会社だから
な、その時に、我々は『レッド・メモリアル』の情報を掴んだ」
 リーとタカフミはある扉の前に止まった。
「『レッド・メモリアル』とは?」
 その扉を前にしてリーは尋ねる。
「赤いデバイスさ。大きさは親指ほどの小さな大きさだが、生体コンピュータとして働く。そこに
記録された情報は、どんなコンピュータでも、どんな暗号でも読みとる事はできないが、人間の
脳が直接イメージとして読みとることができる」
「それで、ここにもしかしたら、そのデバイスが保管されているのだと、そう言いたいのか?」
 リーが目の前にしている扉は、テンキーのロックが施されていて、金庫の様に分厚い扉が閉
まっている。
 どんな手をつかっても、暗証番号が分からなければ開く事はできないだろう。
「ああ、そして、何にせよ、それを保管したのは俺達組織なんだからな」
 タカフミの言葉に、リーは彼の顔を凝視した。
「それも、聞かされていなかったが」
「言っただろう?ベロボグは一時期、俺達の組織と共に動いていたが離反した。その時に生体
コンピュータの開発を行っていて、それがここに保管される事になった。しかも参ったことに、俺
はここの暗証番号を知っていると言う訳さ」
「じゃあ、あんたはベロボグが我々をここによこす事を知っていたのか?」
「いいや。このビルに来るまでは気が付かなかった。だが、この金庫扉は良く覚えている。つい
でに、この国の総書記を奴らは処刑したんだ。そんな時に、ここにある、『レッド・メモリアル』を
狙って一体何になる?
 確かにここの暗証番号を知らなければ扉を開ける事はできないだろう。下手にいじると、中
にあるものが自動的に破壊される仕組みになっている。暗証番号を解析しようとしても無駄な
のさ」
 そしてタカフミはテンキーに手を触れた。
「カードキーはどうする?」
 リーが尋ねると、タカフミは持っていた電子パットからケーブルのようなものを取り出し、その
先に付いているカードキー状のものを取り出した。
「準備がいいな」
 リーは言った。そして呆れたかのような表情を見せる。
「ベロボグは俺を最初から知っていた。それで、ここによこしたというわけか。奴でも開けないこ
の扉を開けさせるためにか」
「みすみす奴の手の内に収まるつもりか?その『レッド・メモリアル』とやらで、ベロボグが何をし
ようとしているのかという事も分からないと言うのに?」
 その時、リーの持っている携帯電話が鳴った。電話をかけてくる相手はもちろん一人しかい
ない。その携帯電話をよこした人物だ。
(目的地に辿りついたでしょう?さっさと目的のものを手に入れるのよ、それはそこにいる奴が
知っているはずだわ)
 テロリストを名乗る小娘が言ってくる。
「お前たちにそれを渡す理由は無い」
 リーは答えた。しかしながら、そんな言葉など予期していたかのように電話先の女は言ってく
る。
(いいえ、理由はあるわ。国会議事堂の地下にはまだ人質が40人以上はいる。今から、1分
以内にそこにある金庫室から、例のものを手に入れなければ、2分遅れるごとに1人ずつ殺す
事にするわ。あなたにもその悲鳴をたっぷりと聞かせてあげるわよ。それでもいいのかしらね
え)
 そこまで電話先の女が言ったところだった。
「おい、リー。俺に電話を変われ」
 タカフミが手を差し出して言った。彼の声が無人の廊下に響き渡る。リーはためらった。
「いいから変われ」
 半ば強引にタカフミはリーから電話をひったくるように取った。そして音声のみの通話に応じ
た。
「俺だ。お前たちの目的はこの俺なんだろう?あんたの父親、で良かったんだよな?には感心
するぜ。俺達が国会議事堂の地下に行く事まで予想していたのか?」
(ええ、あなたと話したかったわ。色々と下手なジュール語で喋るのは良いけれども、あと1分4
0秒で、あなた達の大切なお友達である、サンデンスキーの首を切る。ヤーノフの奴なんかより
もずっと苦しんで死ぬわ)
 電話先の小娘はまるで何かを楽しむかのようにそう言ってくる。自分の手の内に相手がいる
ことに、優越感を感じているのだろう。
「それは、あんたのお父様の主義に反するぜ。俺は確かにベロボグと一緒に働いた事もある
が、奴は正義を重んじる。大事な娘が、政治家の首を切って殺したなんて聞いたら、多分幻滅
するだろうぜ」
 タカフミの言葉は相手を挑発してしまわないだろうか。心配になってくる。リーが見た限り、あ
の小娘は大分頭に血が上りやすい性格をしているからだ。
(あと、1分よ)
 少しの間を置いて、女が言って来た。
「あいにく、『ジュール連邦』の連中とはウマが合わなくてな。俺の祖国は大分昔に『ジュール連
邦』と戦争した事もあるんだ」
「おい、タカフミ」
 人質を助けるつもりがあるのか。まるで相手を挑発しているかのようなタカフミの口調にリー
は焦る。
(本当にサンデンスキーが死んでもいいの?奴は組織側の人間なんでしょう?)
 どことなく電話先の女の声にも焦りが感じられる。
「大義のためならば多少の犠牲もいたしかたないって奴だぜ。ベロボグの奴に例のデバイスを
渡すくらいなら、一人や二人の犠牲なんて、仕方なんだぜ」
 タカフミは饒舌に言うのだった。
「本気か」
 リーはこんなタカフミを見た事が無かった。しかも、彼は余裕があるかのような姿をしている。
温厚そうな外見をしているにも関わらず、冷酷に振る舞えるのか。
(いいわ。サンデンスキーは殺す。さらに1分後には、別の人間もね。そして、あなた達も殺しに
いく)
 女がそう言った。こちらの方がよほど冷酷な言葉に聞こえる。
「いいや、そんな事にはならない」
 タカフミは今度は堂々たる声で言った。
(どうしてよ?)
 タカフミは素早い動きでテンキーを操作する。そして、自分が持っている携帯端末から延びた
カードキー状のものをテンキーの横にあるスロットに通した。すると軽い音が響き渡って、更に
重々しい音が響き渡り、金庫のような扉は開いた。
「なぜなら、扉は開けたからさ。デバイスはお前たちに渡す。それで十分だろう?」
 リーは思わず息をつく。本気でタカフミはサンデンスキーを殺させかねなかったからだ。
 タカフミは電話先にそう言うなり、重々しい扉を開くのだった。
(いいえ、まだ終わっちゃあいないわ。20分以内に、例のデバイスをそこに行く部下に渡しなさ
い。それが完了するまでは、人質は安全じゃあない)
「ああ、分かっているぜ」
 そのように言いながら、タカフミは金庫室の中に入り、リーもそれに続くのだった。
 金庫室の中は一定の温度に保たれているらしく、少しばかり肌寒い。青白い証明に照らされ
ており、そこには幾つもの銀色のケースが並んでいた。
「今のは本気だったのか?」
 リーが金庫室の中に入っていくタカフミを呼びとめるかのように、そのように言っていた。
「何だって?」
 タカフミは聞き返す。
「本気でサンデンスキーを見殺しにするつもりだったのか?」
 リーはじっとタカフミを見据えたまま言う。
「あのな、リー。一つ言っておく。"組織"の利益は世界の利益だ。本当は俺もサンデンスキー
や自分自身を見殺しにしなきゃあならない立場にある。
 だが、ここでベロボグ達にデバイスを渡さなかったとしても、奴は必ず何か別の方法を掴もう
とするだろう。奴は頭が切れる。だが、俺達にはまだ打開策が無い。だから、無暗に命をさら
すつもりはない」
「『レッド・メモリアル』というデバイスを渡すのか?」
 続けざまに尋ねようとするリーの言葉、タカフミはそれを遮った。
「ああ、あと、一つ言っておく、リー。俺の祖国では、年下の人間は年上の人間の言う言葉には
従うものなんだ。お前は40歳だったよな?俺より10歳も年下の人間が、偉そうな口をきいち
ゃあいけないんだぜ」
 そう言いつつも、タカフミは一つの金属のケースの前に立った。それは棚に収められている
銀色のスーツケースだ。
 彼はそのスーツケースにまたしても付けられているテンキーを、慣れたような手つきで操作す
る。
 スーツケースから軽い音が聞こえ、それが開くと、中から赤い光が溢れてきた。
「あったぜ、これが、『レッド・メモリアル』だ」
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