レッド・メモリアル Episode24 第5章



『WNUA軍』情報本部《ボルベルブイリ》

「例の件、早急に仕上がりそうか?」
 そう言ったのは、『WNUA軍』の情報本部の端のブースにいる、タカフミだった。彼女はフェイ
リンにコンピュータデッキを操作させ、次々と画面に戸籍表や身分登録証などを展開させてい
た。
「さすがですね。これだけの影響力があれば、人一人を簡単に別人に返ることができてしまう」
 感心したようにフェイリンはそう言った。
「バレないようにな。あの親子はもうそっとしておいてやりたい。そう、“長老”から言われてい
る」
 そう言っているタカフミも別の機材を取り扱っていた。それは指先ほど、ペンライトほどのもの
だった。
「それで、完全にあの子、セリアの娘さんは行方をくらませるんですか?」
「完璧さ」
 タカフミはそう言って、そのペンライトほどのデバイスを掲げてみた。問題なく作動するだろ
う。ただ、情報機器が満載されているこの情報センターでこれを使ったら、大変な事態を招くの
だが。
「諸君」
 そう言って、ブースの扉もノックしないでいきなり現れたのは、この基地の司令官だった。屈
強そうな軍人を二人連れてきている。
「そろそろお引き取り願おう。君達をもうここに置いておく余裕はないのでね」
 まるでそっけない物言いだった。厄介者のタカフミと、フェイリンをとっとと追い出したいのだろ
う。
「せめて、例の、“デイブレイク作戦”とやらが終わるまでは、いさせてくれると思ったんですが
ね」
 皮肉っぽくタカフミはそう言うのだが、
「我が軍は、戦争の最重要警戒態勢に移った。戒厳令を敷き、一般人の立ち入りを禁じる。さ
あ、君たちもさっさと出て行くんだ。これは…」
「分かったって。でていきますよ」
 と、タカフミは言う。その時、フェイリンにちらりと目をやって、目線である合図をした。するとフ
ェイリンは後ろ手で小さなメモリーデバイスを手に取るのだった。
 タカフミ達の厄介払いは、あっという間に終わってしまった。彼らは、もはや軍にとっては必要
のない存在、利もなければ害もなく、無罪放免が決まった犯罪者のようなものでしかない。
 だがタカフミは、すでにある行動をしていた。フェイリンと共に朝日が差し込む情報本部を外
へと出る。
 どうやら、うまくいったようだ。手に握り締めた装置を誰にも気づかれず、フェイリンから受け
取った。
 この装置があれば、アリエル達は永遠に姿をくらませる事ができるだろう。
 タカフミは、駐車場まで来ると、フェイリンに同じくらいのサイズのものを渡す。
「車のキーだ。君には、しばらく監視がつくだろう。我々と関わって余計な事をしないほうがい
い」
 タカフミはフェイリンにそう言った。フェイリンは車のキーをじっと見つめて、
「もう、私には関わる必要がないと?」
 彼女はそのようにタカフミに言った。
「ああ、軍も、何もかも忘れてしまえばいい。ベロボグ・チェルノの一件はもう俺たちの手から離
れたも同然だ。誰にも、どうすることもできない。俺たちができるのは、アリエル達を、永遠に関
わらせないことだ」
 タカフミが遠くから登っている朝日を見ながらそう言った。
「忘れられると思いますか?セリアは大切な親友だったんですよ」
「それも人生さ、生き残ったなら、前に進まなきゃあならない。」
 タカフミはそう言い残すなり、フェイリンとは別の車に乗ってしまった。
 フェイリンは彼を追いかけることはせず、しばらくその駐車場に立ち止まってしまっていた。彼
女が思い出すのは、セリアとの思い出。乱暴者ではあったけれども何年来の付き合いである
彼女。
 しかしもう、彼女は一ヶ月も前にいなくなってしまったのだ。
 あっけないくらいに、タカフミはフェイリンの下から去っていってしまった。

 潜水艦に取り付けられたドリル状のものをつかい、そのまま、《エレメント・ポイント》の外壁部
分に穴を開けていく。
 ベロボグはぬかりなく、旧時代に建てられたこの建物をも、更に強固な外壁で強化しているよ
うだったが、『WNUA軍』の掘削型潜水艦はそこへと大きな穴を開けていく。
 潜水艦が一つ中へと入れるくらいの大きさとなり、そのまま、内部へと突入していく。亀裂を
大きくせず、中を浸水させてしまわないように注意しながら、リーは潜水艦で掘り進んだ。まる
で水の中を掘り進んでいくモグラであるかのようだ。
 潜水艦の中はかなり激しい振動だった。お世辞にも乗り心地が良いものとはいえないだろ
う。
「よし、ここまで掘り進めば十分だろう。これは前から降りるようになっている」
 そうリーは言って、アリエルを促した。
「えっ?前から?」
 アリエルは少し戸惑った様子だった。無理もない。リーは小型潜水艦の前方部のドリル部分
をハッチのように開いた。
 驚いたことだろう。こんな乗り物は一般人が知るわけもないものだ。
「水中で物に杭を打ち込んだようなものさ。浸水する事がないように前方部から出るようになっ
ている」
 リーは安全を確認しようとしたらしい。潜水艦のハッチの先には空間が広がっており、そこは
さながら倒壊した建物の中のようだった。
 暗くなっており、何かの機械音そして、水が大量に溢れている音がする。
「急いで行動をしなければな。足元に気をつけて。この部屋が浸水してしまったら戻れなくな
る。おおよそ20分といったところだろう」
 リーはそう言って、アリエルの体を潜水艦から降ろさせた。足首くらいまでが水に浸かる。海
水がどんどん溢れてきているのだ。潜水艦が穴を開けた部分もあるのだろうが、ほかの場所
からも浸水しているらしい。
「さて、ここまで来て、どのように、そのシェルターへと行くのか」
 リーはそのようにアリエルに言った。するとアリエルは、
「レーシー、どのようにしたら、シェルターに行けるのか教えて」
 と、まるで慣れきってしまったことのようにレーシーに尋ねる。
(そっちの人の端末に浸水後の内部図を送るわ。ポイントの地点まで線で示したルートを通っ
てくれば安全だから)
 淡々とした口調でレーシーは言った。
「もちろん、私達を帰してくれるんでしょうね?」
 アリエルがすかさずいう。すると、レーシーはくすりと笑ったかのような声を漏らした。
「ええ、もちろんよ」
 と、レーシーは言うのだった。
 リー達は迅速に行動した。水没している通路や、道を遮断している壁などに遮られながら、こ
の水没した『エレメント・ポイント』の施設を下へ、下へと向かっていく。
 リーはアリエルにも見えるように、携帯端末の立体画面を展開させていった。シェルター部分
というのはかなりの地下深くにある。施設内の最深部。海の底にあった。
「ベロボグは用意周到だな。自分の死期も知り、シェルターに自分の娘の意志を残した。そして
暴走したエネルギーも君が来れば安定化する」
 と、地下深くへと伸びた縦穴を丈夫なロープに滑車をつけて降りながら、リーは言うのだっ
た。アリエルも慣れない作業をしながら、地下深くへと下っていった。リーが助けてくれるから良
いものの、一人だったら、こんな危なっかしい作業はできないだろう。
 底についた。その部分は水が水没しておらず。何やら周囲にある機械類もきちんと動作をし
ているようだ。
 底におり、周囲の様子を確認してリーが言う。
「ベロボグは、これだけ水中深くにも別の中枢部を隠していたとはな。そして結局のところ、私
達は、奴の計画に協力をしてしまうというわけだ。
 このままエネルギーを安定化させることができれば、それは奴の計画そのものだ」
 と、リーは言うのだが。
「でも、施設はこんなにめちゃめちゃなのに、そんな事ができますか?」
 アリエルが言う。
 警戒を払いつつ、先へと歩を進めながらリーは答えた。
「ベロボグには心底驚かされる。奴のカリスマ性、行動力、そしてありとあらゆるものに動じな
いほどの度胸。実際、奴は自分の死さえ恐れてはいなかった。奴が死んだからといって、まだ
影響力がないわけではない。
 ベロボグに惹かれた世界中の人間が、彼の亡霊に集まってくるだろう。そして後継者たちが
新たな王国を作ろうとする」
 と言いつつ、リーはだんだんと落ち着いた内装の通路を進んでいった。ここは本当に海底の
底にあるのだろうか。まるで先端技術を駆使したかのような内装でできている。
「あなた達はそれを止めようとしている」
 アリエルがそう言ったが、
「いや、どうかな。もう我々にはそのような影響力がない。できることといったら、あと一つ…」
 リーがそう言いかけたとき、白く落ち着いた通路の奥の方の扉がゆっくりと開いた。
 音もなく開いたその扉に、リーも遅れて警戒を払う。
(アリエル、心配はいらないわ。こっちに来て)
 と、アリエルを誘うかのような声が、彼女の頭の中に響いてきていた。
「レーシーね。本当に、大丈夫なんでしょうね。私達は、あくまで、あなた達が欲しがっている、
エネルギーというのを安定化させるためにここまで来た。だから、必ず帰るためにいるんだっ
て」
 アリエルは念を押すようにそう言った。
(分かっているって。さあ、あなた達の目的を果たすことができる部屋は、この奥よ)
 レーシーの声が響き、アリエルとリー達は、部屋の奥へと向かう。軍から支給されたブーツが
音を立て、他には全く音が聞こえない。
 やがて通路の奥の部屋へと入っていくと、妙にそこが落ち着いた空間で、最先端技術のコン
ピュータルームとなっている。
 それは、白く、一点の汚れもないような部屋となっており、逆に海水で汚れてきたアリエル達
のブーツがその場所を汚していってしまっているようだった。
 しかしその床の汚れは、まるでそこに沈み込むかのように消えてしまう。一切の汚れを残さな
いようにできているようだ。こんな海底深くの場所にそれが用意されているとは。
 部屋の中心には、横になることができる寝台があった。しかしその寝台は、眠るためのもの
ではなく、『レッド・メモリアル』を起動させるためのものだ。
 横にはテーブルが置かれており、そこにはコンピュータデッキがあった。
「レーシー、あなたはどこにいるの?」
 アリエルはそう言った。彼女はここにレーシーがいるものと思っていたのだ。
 だが、ここにはまるで人の気配がない。
(ようこそ、アリエル。お父様の王国の出発点へ)
 そのように響き渡る声は、アリエルの頭の中だけではなく、部屋全体に響き渡った。
「今のは?」
「私にも聞こえる。どうやら、ここが制御室か。『ゼロ・エネルギー』をコントロールする事ができ
るようになっているのか?」
 リーはそう言いながら、周囲の様子を警戒する。部屋の扉がゆっくりと閉じられ、この円筒の
部屋に危険がないかどうかを、リーはじっくりと確かめようとした。
「さあ、早く始めましょう。危険は無いし、事が終わったら、あなた達を帰す。ただ、本当にあな
たが帰りたくなればの話だけどね」
 唐突に、3D映像がアリエル達の目の前に現れた。それは白い装束をまとった、人形のような
姿をした少女。アリエルもよく知るレーシーの姿だった。
 しかしながらすぐに分かる、それはレーシーの姿をしているけれども、あくまで光学画面で作
られた存在であって、本人がそこにいるわけではないのだ。
 レーシーがアリエルを誘ってくる。
「さあ、来てアリエル。ここには素晴らしい世界が広がっている。お父様が求めた新しい世界は
ここにあるの。あなたはそれを受け入れるだけでいい」
「そんな王国など、もう存在しないぞ。それと、もう少しで、この施設さえも海の底へと崩れるの
ではないか?」
 レーシーの言葉にリーは皮肉を言うかのように答えた。
 すると、本物の人間がそこにいるかのように、レーシーはくすりと笑う。
「そうね。だから私はアリエルにここまで来てもらったのよ。お父様の王国を再建して、世界に
それを知らしめてやりましょう」
 そういうなり、レーシーの像はアリエルの傍までやってきた。
「さあ、はじめましょう。そこに横になって」
 世界中が動乱している。それは全ての人々に襲いかかるほどのものだ。だが、それは静か
に始まった。海の底にあるこの落ち着いた小さな部屋で、静かに始まろうとしていた。

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