レッド・メモリアル Episode24 第6章




 アリエルが締め切られた部屋の中の中央にある寝台に座る。彼女はもうそのやり方が分か
っていた。細いケーブル類数本を、自分の脳の中にあるデバイスと直結させるのだ。
 しかしここで疑問が残る。
「『レッド・メモリアル』の装置はどうするつもりだ?あれがないと、この施設は制御することがで
きないんだろう?」
 リーがそのように尋ねると、レーシーの像は、
「ええ、その通りよ。あれがなければ動かすことはできないわ」
 そう答えてきた。本当にこの娘は、これからやる事が、どれだけ重要なことかわかっているの
だろうか。
 まるで子供がするかのような仕草をしている。饒舌に言葉を話すものだから、忘れてしまいが
ちだが、レーシーはまだ10歳だったはずだ。
 と、アリエルが横たわった寝台のすぐそばに置かれていたケース。それはこの部屋の情報機
器の中核となるボックスに直接接続されているようだったが、そのケースが開いた。
 すると中には、美しい赤色の光を放つガラスの棒状の装置が並んでいた。
 『レッド・メモリアル』だ。アリエルはすぐに分かった。
「ベロボグの奴め。まったく抜け目無いな。ここにも『レッド・メモリアル』を隠していたとは」
 とリーは言う。彼にとっては皮肉なのだろう。苦渋の決断をして、10個しかないと思われてい
たこのデバイスを破壊したのだから。
「ええ、お父様は何重にも策を張り巡らせているの。あなた達が想像もできないほどにね。この
デバイスは、近く量産体制に移る予定なの。そしてお父様の王国がこの世に築かれる」
 陶酔するかのようにレーシーは言った。
 リーはそのレーシーの言葉に少し反応したようだが、
「では、さっさと始めよう。準備が整っているならば事は早い。それに、この場所ももうすぐ浸水
するだろう」
 その場をしきっているのは自分とばかりにリーは言い張り、アリエル達は事を始めた。
「ええ…」
 レーシーがそう言うと、アリエルの横たわった寝台の隣にあるボックスの部分が唸りを上げ
た。どうやら、ここに《エレメント・ポイント》のバックアップ装置があるらしい。それはダンボール
箱ほどの大きさのものだ。石油採掘基地ほどの大きさの施設、暴走する絶大なエネルギー体
を、たったそれだけの装置で操ろうというのか。
 ベロボグは情報機器さえもさらなる時代へと押し上げようとしていたらしい。
 アリエルは前に『レッド・メモリアル』と接続しようとした時と同じく、目をつぶろうとした、しか
し、
「いいえ、アリエル、目は開いたままでいいわ」
 とのレーシーからの言葉、気がつけば、部屋全体が、まるで赤色に染まった宇宙空間に浮か
んでいるかのように、光学画面が広がっていた。
「ゲストにもわかりやすく展開させてあげるわ。これが、あなた達、組織が生み出し、お父様が
より洗練させた形の次世代情報機器だという事を」
 レーシーはそう言った。まるで彼女や、アリエルは、赤い宇宙に浮かんでいる恒星であるか
のように光り輝いている。
「接続は終わったわね、アリエル。だったら立ち上がっていいのよ」
 アリエルはまだ戸惑っている自分を感じる。前回に『レッド・メモリアル』で接続したときは、寝
台に横たわり、まるで夢でも見ているかのような状態だったのだが、今度ははっきりとした現実
感があるのだ。
「前置きはそれくらいにしてくれないか。私達が脱出する時間がなくなる」
 リーが間に割り入った。
 彼の言うとおりだ。まるで、世界から切り離されたかのようなこの場所にいると忘れがちだ
が、アリエル達が脱出する時間は残り少ないのだ。
 一見安全そうに見えるこのシェルターの中も、いずれは水没してしまうという。
「急ぎましょう」
 アリエルがそう言って、一行は行動を開始した。
 レーシーは、自分の背後の空間に、まるでカーテンでも下ろすかのように、複雑な文字の羅
列を展開させた。
 それはどうやらコンピュータプログラムのコードのようだった。コードは、非常に複雑であり、
そもそもそこに並んでいる文字は、アリエルの知っている言葉のものではなかった。
 リーがアリエルの隣にやってきて、その文字を見る。
「これは、どこの国の文字でもない。完全な暗号だ。まるで象形文字のような、いやそうでもな
い。何かのプログラミング言語か?」
 今、アリエル達が見ているものは、リーにもはっきりと見て取れる光学画面のようだった。何
も隠すことなく、レーシーはリーにもその情報を見せている。
 もはや包み隠すことなどないという事だろうか。
「アリエル。これをあなたが解読するのよ。今、ばらばらにパズルのようになっているこのプロ
グラムの配列を元に戻すこと、それが安全装置を働かすことができる唯一の手段になっている
の」
 レーシーはそう言って、アリエルをまるで誘うかのように迫る。
「私が見たこともない文字。こんな言葉、私は知らないはず、知らないはずなのに、理解でき
る」
 アリエルの頭には、目の前に並ぶ、奇妙な文字の配列が、意味をなしていることが理解でき
た。不思議だった。世界の反対側にある民族が使うような文字、太古に捨てられてしまったか
のような文字を目の当たりにしているというのに、アリエルはそれを理解することができる。
 頭の中で、その配列を読み取ることができるのだ。
「本当か、アリエル?このプログラムを理解することができるのか?」
 アリエルは立ち上がり、頭にケーブルをつないだまま、ズラリと並ぶ文字の配列へと手を伸
ばした。
「その文字は、アリエルだけが理解をすることができる文字。彼女が『レッド・メモリアル』とリン
クした時に作り出された、この世には存在しない文字なのよ。そのパズルのような配列は、アリ
エルだけが操作できる。お父様がこの《エレメント・ポイント》のエネルギー操作を、私達だけに
託すため、そうした手段を取ったの。どんな暗号解読機でもこの文字、配列を解くことはできな
いわ。
 今、ここに現れている文字は、アリエルだけが理解できる。わたしにも何が考えているかさっ
ぱり分からない。わたしが接続すれば、わたしにしか理解できない文字が現れることになるわ」
 リーの横に立つレーシーの像がそう言った。
「では、何故、君がやらずに、わざわざアリエルをよこしたんだ?」
 と彼はレーシーの像に向かって尋ねた。
「残念だけど、わたしの肉体はもう海の底に沈んで死んだの。今は、この《エレメント・ポイント》
内のコンピュータに住むだけの存在。
 このプログラムは生きていないと操作ができなくてね…」
 レーシーはリーにそう言ってきたが、彼はまた、レーシーに不信を抱く。本当にそうなのか。ア
リエルをここによこすために、そう仕組んだのではないのか。
 アリエルが、奇妙な形をした、象形文字のようなものに触れると、その文字が動き出す。まる
でパズルを動かすかのようにして、アリエルはゆっくりと、その配列を変えていった。
「アリエル。焦らせるわけではないが、時間が迫っている。そろそろ私達がやってきた脱出路
が、水没してしまう時間だ。潜水艦でもどることができなくなる。ここを海の底だということを忘
れないでくれ」
 リーがアリエルの横からそう言ってきた。
 だが、その時、アリエルは非常に集中していた。目の前の文字を一つ一つ解読し、複雑怪奇
なパズルを組み合わせていく彼女。
「少し、静かにしていて、集中しないと、理解ができない」
 そう言って、またアリエルはパズルのピースを一つ動かす。しかし、その量があまりにも多
い。数万ピースはあろうかというパズルを動かしているのだ。
 だがアリエルはだんだんと自分の意識が、このプログラムに吸い込まれていく様な気がした。
 この感覚は、まるで、コンピュータと自分が一体になっていくかのような感覚。《エレメント・ポ
イント》のプログラムと、自分自身が一体になっていくかのような感覚。
「ふふふ、アリエル。ゆっくりでいいのよ、ゆっくりと、ね」

 一方で、リーは自分の頭上から何かが崩れてくる、地響きにも似た音を聞いていた。
「まずいな、一部、施設が崩落したらしい。このままでは完全に水没して、戻ることができなくな
ってしまう」
 リーは少なからず焦っている自分を感じていた。
 ここ数年、自分の中には焦りというものがほとんどなく、常に冷静な、ロボットのような存在、
実際軍や国防省での評判はその通りだった。
 だが、この数ヶ月間、アリエルを前にしていると、自分の落ち着きが無くなってきてしまう事が
ある。彼女を守らなければならない。その使命をリーは感じていた。
 ほんの一ヶ月前にであったばかりの少女、べロボグ・チェルノに利用されるために生まれてき
た哀れな少女。しかしそれ以上にアリエルにはあることを感じている。
 リーにとって大切な人と重なってしまうのだ。
 軍人にとって、そのような感情は、余計なもの、任務に差し支えてしまう、捨て去らなければな
らないもの。だが今のリーは違う。軍からも見放され、解体を目前とした組織の者。
 リーはただ一人の人間。妻を愛し、国を愛して平和を望んでいた頃に戻っているはずだ。
「おい、アリエル。もう時間がない」
 そのようにリーが言っても、アリエルは目の前の膨大なパズルを解くことを止めようとはしな
い。
 アリエルは何かにとりつかれたかのように、一心不乱に、パズルを解いているのだ。この制
御装置が、まだ何とか抑えているエネルギー体を安全なままにしておくか、臨海爆発を起こす
か、それが、アリエルの肩にかかっている。まだ若い18歳の少女に。
 だが、リーは、まるで自分たちが、狭い容器の中に入れられ、海水の中を揺り動かされてい
る。そのような振動を感じた。更に部屋の天井から、塵のようなものがこぼれてくる。
 彼が持っている携帯端末がアラームを鳴らす。危険、と。
 作戦の予定ではもう潜水艦を使って脱出していなければならなかった。まさか、アリエルにこ
のような巨大なパズルが突きつけられるとは思っていなかった。
 アリエルはゆっくりと手を動かしながら、どれほど進んだのかもわからないパズルを解こうとし
ている。
 いつ終わるのか。もしやこの部屋が水没し、永遠に脱出できなくなっても、アリエルはこのパ
ズルを解くのか。
 リーはアリエルの体を掴もうとした。嫌な予感がしたのだ。ベロボグ・チェルノは、まだ罠を張
っているのではないかと。
 しかし、アリエルに掴みかかろうとしたリーの体は、衝撃とともに跳ね返された。彼の体は反
対側の壁へとぶつかる。
 今の衝撃は何だ?リーはそう思って自分の手を見る。すると火傷をしており、煙が上がった。
「やめてよ、あなた。お父様と知り合いだったからって、それ以外は部外者なんだから?」
 その言葉とともに、アリエルとリーとの間に立ちふさがったのは、レーシーの像だった。立体
の電子の映像でしかないが、今のは明らかに物理的衝撃だ。
 高電圧を浴びたかのように痺れている。今、レーシーがいる位置に、何か、電圧の膜のよう
なものが張られているのか。
「お前達…、アリエルに何をする気だ?」
 リーは体が痺れながらも何とか起き上がろうとした。
「選択を与えるの。アリエル自身が未来を決めるのよ。世界を救って私達と共に来るか、それ
とも、全て元通りにするか」
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