レッド・メモリアル Episode24 第8章


『タレス公国』《プロタゴラス》

「一体、どうしたというんだ?」
 カスターは、苛立ちながら、やってきた情報担当官にそのように言い放っていた。大統領執
務室では、逐一、デイブレイク作戦についての情報が入ってきている。それが30分前から、ぷ
っつりと切れており、この非常時に彼ら閣僚は非常に緊迫感に包まれていた。
 ほっとしたかのような表情で、情報官はカスターへと言ってくる。
「『エレメント・ポイント』のエネルギーは安定化した模様。視認しても分かる通り、もう光の柱が
出ておらず、放射線反応もありません。つまり、自体は収拾しました」
 カスターは背後を振り向き、カリスト大統領の方を向く。
「そうか、それは朗報だ。すぐに現地の作戦本部へとつないでくれ」
 と、大統領は、座っていた椅子から身を乗り出して言うのだった。
 この危機的状況におきながらの朗報。大統領の心中はさぞかしほっと一安心をしたことだろ
う。だがまだ油断はできない。『ジュール連邦』残党軍の動きも警戒しなければならない。更
に、『エレメント・ポイント』を自分達の手で、『WNUA』が制圧、管理しなければならないのだ。
 しかしながら、カスターの関心事はまた別のところにあった。
「では、リー・トルーマン達はどうなったというのだ?」
 カスターにとってはそちらの方が重要だった。デイブレイク作戦が終わり、リー・トルーマンが
帰還したら、すぐに奴を逮捕する。そのつもりだったのに。
「それが潜水艦は、沈没しました。彼らが向かった制御室も同様です。リー・トルーマン自身も、
同行したアリエル・アルンツェンも行方不明です」
 それはカスターにとっては思わず舌打ちをしたくなる出来事だった。彼は聞き返す。
「では、あの施設と共に海底に没したというのか?」
「ええ、恐らくは…」
 その情報官の曖昧な返答に、カスターは苛立った。
「いいか、トルーマンと、アリエル・アルンツェンは、べロボグ・チェルノの残党共につながる、重
要な存在なのだ。海中に没したかもしれません。という答えでは誰も納得せん。何としてでも発
見するのだ」
 その時、また別の方向から声が上がる。
「今、入りました情報によると、エネルギー安定化の直後『エレメント・ポイント』から、何やら、
不審物が発射されたとのこと。形は魚雷に似ていますが、速度は遅く…、小型潜水艦かと」
 と言って、電子パットをカスターの元へと持ってくる情報官が一人。
 画面を確認もせずにカスターは声を上げる。
「それだ!それにリー・トルーマンが乗っているんだ!」
 カスターは思わず声を上げていた。しかし戸惑ったかのように情報官が付け加える。
「潜水艦は、すぐに姿をくらましました。どのソナーにもレーダーにも引っかかりません」
 すると、カスターは、
「何としてでも、見つけ出すのだ。あいつらを逃がしたままにはできん」
「カスター君!少し落ち着きたまえ」
 それを諌めたのは大統領だった。彼は自分の椅子から立ち上がると、カスターの元へとやっ
て来る。
「今、我々に協力した“組織”という者達の情報を探らせている。彼らが我々に渡してきた情報
から辿っていけば、リー・トルーマンらの向かう場所も明らかになる」
「ええ、その件ならば分かっております。申し訳ありません」
 カスターは少し恥じたようにそう答えるのだった。しかし、
「大統領。今しがた、《ボルベルブイリ》側で、非常事態が起こりました」

《ボルベルブイリ》『WNUA軍』情報本部

 『WNUA軍』の《ボルベルブイリ》情報本部では、情報官らが必死に対応に追われていた。彼
らは必死に光学画面を操作したり、サーバーのデータを修復しようとしていた。
「ええ、すべてのデータです。“組織”と名乗る連中のものはもちろんの事、他にも、アリエル・ア
ルンツェンらの情報すべてが、消去されていっています。おそらく、ワームと呼ばれる侵食性の
ウィルスが原因です」
 『WNUA軍』情報本部の司令官のカイテルは本国へとそのように連絡を入れていた。彼らは
突然起きた事態に必死になって対応をしていたが、間に合わない。どんどんデータは消えてい
く。それも明らかに意図されているように、“組織”の関連情報のみが削除されていくのだ。
(バックアップデータはどうだ。本国にもすでに転送しただろう?)
 カイテルは電話先から聞こえてくる、カリストの苛立った声を聞いていた。
「駄目です。送られてきた時に、すでに誘発のプログラムが仕込まれていたらしく、それらも自
動的に削除されるようになっていました」
(何だと!どうにかならんのか!リー・トルーマン達の行方だけでも!)
 カスターはわめきたててくるが、もはやどうしようもない。プログラムは巧妙に仕込まれてい
る。
「おそらく、あのタカフミ・ワタナベという男が仕込んでいったのでしょう」
(そいつは今どこにいるんだ?)
 すかさずカスターは尋ねてくる。
「帰りました。もう用は無いからと。我々もそのように思っていましたので…」
(帰っただと?奴は機密情報を消そうとしたんだ!立派な国家反逆犯罪だ!)
 カスターのわめきたてにも、もはやどうする事もできない。あのワタナベという男はすでに行
方をくらました。
 全て、計画されていたのだ。
(何でもいい、例の組織という連中の足を掴むのだ!)
 とカスターは言い放ってきたが、その組織の連中の足がかりとなるものは、すでに次々と消
滅していっていた。

「カスター君。力が入りすぎだ」
 そう言ってきたのは、カリスト大統領だった。たった今、《ボルベルブイリ》駐在軍に連絡を入
れたカスターは、まるで全力で走ったかのように息を切らせている。
「しかし、あのベロボグ・チェルノと繋がりのあった組織の連中ですよ。もし放っておけば、ま
た、新たなべロボグ・チェルノが出てくるかもしれません。今のうちに叩き、徹底的に壊滅させ
ておくのです」
 そのようにカスターは力説するのだが、
 大統領は彼の肩へと手を乗せた。
「ああ、それは君に任せるよ。しかし、おそらく無駄だろう。彼らは今までずっと我々に隠れて活
動をしてきた。そんな彼らが完全に活動から手を引いたんだ。簡単に見つかることはないだろ
う」
 そして大統領は、もう一つ、執務室にある最も大きく映し出している光学画面の方へと向かっ
た。
「それに、我々の有事はまだ続いている」
(大統領、『スザム共和国』への攻撃が開始しました。『ジュール連邦残党軍』がいると思われ
る施設への攻撃を中心に進んでおります)
 そのように画面の先から報告があった。
「ああ、分かっている。引き続き攻撃を続行しろ」
 大統領はほとんど感情のこもっていない声でそう言っていた。
 もう大統領は自分の情に左右をされることはやめた。
 カリストはあの組織にすでに影響されていた。もはや、この世界の現状に情などいらない。
 ただ冷徹に、事をすすめるしかないのだ。

『ジュール連邦』某所

「結局、ベロボグの抜かりなさに助けられるとはな…」
 そう言って、リー・トルーマンは海岸に流れ着いた、まるで壺のような姿をした潜水艦に目を
やっていた。
 あれがなければ助からなかった。彼らが脱出した直後『エレメント・ポイント』は海の底へと沈
んでいった。
 だが、『エレメント・ポイント』は最後の役割を果たし、『ゼロ・エネルギー』の暴走を止めた。
 ベロボグは自分でまいた種を自分で狩ったのだ。リーは、海の向こうを見ていた。あの『エレ
メント・ポイント』があった場所を。
 『ジュール連邦』北部の気候は非常に肌寒く、また、厚い雲に覆われた曇りの天候ばかりだ。
しかし、今日は澄み渡った空気が広がっている。
 相変わらず寒い。その寒さはまるで肌を突き刺してくるかのようだ。だが、今日は朝日が出て
いた。
 誰もいない。車も通らない、海岸沿いの通りを、リーとアリエルは歩いていた。
 特に会話もなかった。二人共、死地から脱出してきたというのに、ただ呆然と歩いていた。
 リーはここまで疲れたのは何年ぶりだろうと思う。一昼夜の出来事ではあったが、常に緊張し
た状態が続いていたし、何よりも彼は、アリエルを守らなければならなかった。
 アリエルはもっと疲れているだろう。だが、それもここまでだ。
 朝日を浴びながら、二人はしばらく歩いていく。特に会話もない。建物も立たず、滅多に車が
通ることがないところを歩いていく。
 潜水艦から脱出して30分ほど歩いただろうか、二人の視界に、車と、二人の人が待っている
のが見えた。
 アリエルははっとそれに気づいたようだった。
「あれは、お義母さん?」
 そう、アリエルが言った。
「ああ、タカフミが連れてきてくれた。誰にも知られないようにな」
 そうリーは言った。
 感動の再会というやつなのだろうか。アリエルが勝手に飛び出してから2日。あの義母、ミッシ
ェルは娘の安全を何よりも願っていたことだろう。生きては帰ってこれない。そうとさえ思ったは
ずだった。
 だが、リーもアリエルも、ゆっくりと彼女らが待っているところへと進んでいった。
「アリエル…」
 ミッシェル達と車が2台待っているところまで行くと、ミッシェルがそう呟くように。
「あ、あの、その、お義母さん」
 アリエルは、とても戸惑っている。ミッシェルはどうともとれないような顔をしており、怒ってい
るのだか、娘との再会に喜んでいるのか、そのどちらともとれないような顔をしていた。
「あなたはもっと、親孝行な娘だと思っていたわ。自分の母さんが死んで、それがもっとわかっ
たと思っていたけれども、本当に、心配をかけさせてくれたものね」
 冷たい響きを持った言葉だった。長年苦労を蓄えてきたかのようなミッシェルの顔には、影が
入り込み、まるで娘を拒絶しているかのようである。
 アリエルはショックを受けたように膠着してしまった。
「おいあんた。娘さんはだな…」
 気まずい雰囲気が流れる中、間にタカフミが割り入ろうとした。しかし、次の瞬間、ミッシェル
は自分の娘を抱きしめていた。
「お義母さん…」
 驚いたかのようにアリエル。
「もう、二度と心配をかけさせないで。あなたのお母さんに申し訳が立たないんだから」
 そうミッシェルは言うのだった。
 そして、二人はしっかりと抱きしめ合うのだった。無言だった。それ以上話す必要もない。こ
の親子は今、ようやく再会でき、誰にも邪魔されない平穏を手に入れることができたのだ。
 しかしそのためには、まだ幾つかの段階が必要だった。
 ベロボグ・チェルノの勢力の残党達を欺き、更には、『WNUA』『ジュール連邦』どこの国の政
府をも欺かなければならない。
 しかしそれは、タカフミ達の技術と経験をもってすれば可能だった。
 しばらくして、ミッシェルとアリエルは抱擁を解いた。
 少し二人の様子を見て、タカフミがアリエルへと近づく。
「アリエル。ちょっと、痛むかもしれないが…」
 そう言って、タカフミはアリエルの右の額の辺りに、黒いペンライトのようなものを近づけた。
 アリエルは少しうめいたが、それだけだった。
「何を?」
 右の額の辺りを抑えて、アリエルは言った。少し痛むのだろう。だがそれはすぐに消えるはず
だった。
「君の脳に埋め込まれたチップを機能停止にした。別に体には何の問題もない。だがチップが
発している信号は停止したから、もう誰も君達を追ってくるものはいない。それに、この情報だ
が、君達の新しい身分だ」
 そう言って、タカフミは持っていた電子パットをミッシェルへと渡した。
「あの人が、やってくれたの? アサカ・マイさんが?」
 それは知っていたかのような言葉だった。
 新しい身分、新しい生活。誰にも知られないところで生活することができるという資格。これは
ミッシェルが要求したものだった。
 組織のメンバーのトップに、アサカ・マイがいることを知り、ミッシェルがタカフミを通して接触
したのだ。
 『ユリウス帝国』元国防長官であるマイは、その部下であったミッシェル、そしてアリエルのた
めに新しい身分を用意した。政府にもばれない非公式な方法で。
 それが今、ミッシェルの手へと渡された。
「あなたには、ありがとうとだけ言っておくわ。アサカ・マイさんには、あなたの恩は一生忘れな
いと言っておいて」
 ミッシェルの言葉はそっけない。タカフミは苦笑した。手を回してあげたのに、やはり彼女は
自分達に気を許していない。だが、元上司のアサカ・マイは別のようだった。
「あと、我々からは車も渡しておく。追跡されないように、目的地までは何度か乗り換えられるよ
うにではずも整えていた。今日中に国境を超えれば、誰も追ってこれない」
 そのようにリーは付け加えるのだった。
 するとアリエルはリーの背後から、
「あ、あの…、リーさん」
 慌てたようにアリエルがリーの背後から呼びかける。
「色々と、ありがとうございます。私が一人だったら何も出来ませんでした。私は、あなたのこと
を一生忘れません。その、いろいろありましたけれども、あなた達は私達に良くしてくれた。そ
れも最後まで」
 アリエルの話す『タレス語』はたどたどしかったが、それはリーにも伝わった。
「ああ、例には及ばんよ。私は自分の信念のために動いたんだ」
「あと、あなたの奥さんの話ですが…」
 アリエルがそう言いかけると、リーは遮った。
「いいんだ。君にその気があったわけじゃあない。もう私の妻の話は十数年も前の話だ。ただ、
私くらいの年になると、誰かを守りたくなる。それだけの事だ。君は、お義母さんに心配をかけ
ることなく、平和に暮らせばいい。そして、立派な大人になるんだ。
 ベロボグ・チェルの事も、もう忘れるんだ。それが君が選んだ道だ」
 といい、まるで、自分を避けるかのような言葉を発する。そして、彼はタカフミが乗ってきた方
の車へと向かった。彼はその車に乗ってどこへと向かおうというのか。
 言葉はなかった。だが、アリエルはリーの背中に何を感じていた。それは、アリエルが生まれ
てから一度も感じたことがない感情だった。
 ベロボグ・チェルノからも感じることができなかったもの。そして、わずか一ヶ月間の間だけの
出会いであっただけ。その間、アリエルが薄々と感じていた感情。
 それが去っていくリーの背中にはあった。
「さあ、アリエル。私達も行くのよ」
 と、養母のミッシェルが言ってきた。彼女の言うとおりだったが、アリエルは名残惜しくリーの
背中を見つめていた。
 極寒の地、だんだんと風が強くなってきていた。朝日が再び雲に覆われて隠れていこうとして
いる。



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